furukawaさんのブログ

お茶の間シネマトーク「奇跡の絆」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

浮気の罪滅ぼしとして、奥さんであるデビーがボランティアをしているホームレスの支援施設で手伝いを始めるロン。

神経質なロンにとって、その環境は菌にあふれている不浄な場所で、こまごま手伝いをするより必要なお金を寄付することですまそうとするのです。一方、デビーは、何の偏見もなく真の思いやりと奉仕の気持ちで、そこにやってくる一人一人と平等に友人になろうと務めます。

そのホームレスのなかには、「自殺者」と名のる暴力的で破壊的で見るからに凶暴な黒人男性もいて、デビーの優しいひとことにいちいちくってかかってくる始末。しかし、デビーは彼がどのように振る舞おうとも変わりなく気にかけることをやめません。

そんなデビーの無防備であるがままを受けとめる姿勢に、すこしづつ心を開きはじめる「自殺者」ことデンバー。それとともに明らかになる、人種差別による過酷すぎる彼の過去。

「ムーンライト」という貧しい黒人青年の成長を描いたアカデミー賞作品を観たばかりだったので、この黒人男性デンバーの過去とも相まって、つい最近まであたりまえのように行われていた人種差別にこころが痛みました。

デビー・ロン夫妻とその黒人ホームレス デンバーとのかかわりあいにおいて、一見、裕福なデビーとロンが与えて貧しいデンバーが与えられるという図式なのですが、結果としては両者が同じように受け取り、癒され、解放されてゆきます。そして、それが当事者にとどまらず、もっともっと多くの人に広がってゆくことに・・・。

つながりあったときに起こるさまざまな愛の奇跡。

まったく偏見をもたず、過去ではなくたった今のあるがままをみようとするなかで、癒しというものは自然に起こってくるし、人は自分の真の姿をあらわさずにはいられないのだと感じます。

これはNYタイムズのベストセラーとなったノンフィクションをもとにしたストーリーなのですが、最後のエンドロールに黒人ホームレスのデンバーの実写と肉声があり、そこでこんな言葉が語られています。

「誰もがみんながホームレスであり、家に帰るために闘っている。その途上で、怒りと不安で不合理なことをしてしまうんだ」
「与えたものだけが、永遠にあなたの手にのこるものだ」

まったく無学なデンバーにとって、これはまさにハートで体験したことなのでしょう。



邦題は「奇跡の絆」といいますが、もとのタイトルは「Same Kind of Different as Me」、私とちがう同じ種類のひと。

違いに注目すれば、いつまでたっても違いしか見えないけれど ・・・ その違いという見かけを越えて、同じであるところを見ようとすることから癒しが可能となります。

癒しと日々向きあうものとして、多くの気づきをもらうことができる作品でした。

涙壷度・・・★★☆☆☆(実話はやっぱりこころを揺さぶるものがあります)

PS 無条件の愛にあふれた女性デビー。ずっと、この声、この話し方、知っているな〜と感じていたのですが ・・・ 観終わってしばらくして気づきました。レニー・セルヴィガーさん。あのオフィスの机に大きな板チョコをたたきつけてかちわっていたブリジット・ジョーンズも、しっとりと大人の女性になったのですね!(笑)

 

 

気づきの日記「こころの消しゴムを使う」

お絵描きは、自分のこころの状態を知りたいときにとても便利なツールです。

震災のときにもお絵描き(アートセラピー)は、子どもたちのこころを癒すのに役立っていましたが、子どもだけでなく大人のこころのためにも使えるツールです。

ただ描きたいものを気軽に描いてもらうだけで、そのときのこころの状態が手にとるようにあらわれます。また、こころの状態を知るだけでなく、表現された問題を手放す癒しのための道具としても使うことができるのです。

自分や他人、空間をどんな色で塗っているのかとか、どこにどんな大きさで、どのぐらいの距離感で表現しているのかなどで、一目瞭然にさまざまなことを知る手がかりとなります。修正ポイントも知ることができます。

それは、絵だけでなく、文字という表現でもじつは同じなのです。

たとえば、一枚の白い紙をわたして「心」という文字を書いてみてください、とお願いすると、

スペースいっぱいに堂々と文字を書く場合もあるし、十分なスペースがあるにもかかわらずちんまりとはじっこに書く場合もあります。それが、そのときのその方のこころの状態です。

「ありゃ、見かけによらず、すんごくちぢこまっているわ〜!」(コワもてに見えるけれど、案外、内側はまるで違うの? という方がいらっしゃいましたっけ)。

そんなとき、「あらあ〜、けっこう繊細なのかも〜」「ちょっとコワがりさんかな〜?」「のびのびできていないみたい」と感じとることができます。

でも、ご安心ください! それも、じつはほんとうの自分ではないから。

闘い好きなエゴがやりたい放題やっているうちに、ふと気づいたらやり放題がすぎてしまい、その報復を怖れるようになり(そう、コントロールしたり、攻撃したり、好き勝手したりすればするほど、こころのなかでは罪悪感を感じるので、やり返されるに違いない・・・ という怖れを感じるようになります)、その結果ちぢこまってしまうのです。これも、エゴがお好みのギャングドラマを模倣しているだけなのですが、どうやらそこに安らぎは期待できそうもありません。

そこで大切なのは、「こんなビクビクしているのはほんとうの自分じゃない。ニセモノだ、エゴの自分だ!」「こんな、やった、やられたなんていう世界はもうこりごりだ!もう望んでいない」と気づくことが大切です。

気づかない限りはやめられません。エゴにのっとられたまま、ニセモノの自分のままです。

気がつくことができたら、エゴの書いたちっちゃな「心」の文字を消しゴムで消して、本当の自分としてゆったりびのびと怖れなく表現することができます。

こんなふうに、絵や文字の場合はわかりやすいのですが ・・・ じつは、自分が見ている外側の世界もまったく同じで、こころが描き出しているイメージなのです。

自分の目にする世界は「自分の鏡」であるとか、「自分のこころの反映」であるといわれています。

そうなのです。まるで絵を書くように、私たちは自分のこころの思いというものをそのまま自分の外側に表現して、それを世界よんでいます。

でも、自分の描いたものによっておびやかされ、苦しめられていることが多々あります。

もし絵や文字のように紙のうえに描かれていたなら、「この暗い絵やちぢこまった文字は好きじゃない!」と認めて、「ほんとうの自分を表現したい」と選びなおすことで、好きじゃないイメージを消すしてあらたに描き直すことができます。

目にしたものの間違いに気づくことによって、それを訂正することができます。

世界も「こころの鏡」「こころの反映」であるならば、訂正のしかたは紙の上に描かれた絵や文字とまったく同じなのです。

だから、気に入らないものを目にしたとしたら、本意じゃないものが目のまえにあらわれたとしたら、それに反応しまくって取っ組み合いをくり広げるのではなく、唯一やらなくちゃならないのは、

「これはほんとうの自分なんかじゃない、すっかりエゴにのっとられていたんだ」と認めることによって、消しゴムで消してしまえばいいわけです。

ほんとうの自分に困った問題などないはずなのです。トラブっているときは、いつもエゴに乗っとられているときです。

「 消しゴムってどこにあるのですか?」って?

自分が目にしているものを消すための消しゴムは、そのイメージを最初につくりだしたところ、つまり自分のこころのなかにあるのです。その目にしているイメージのすべては、絵や文字と同じで自分のこころの表現(投影)だからです。

だから、外側をいじくりまわすのではなく、すみやかに消しゴムのあるところで消す作業をしてあげることが大切なのです。

その消しゴムの名は ・・・ 「ハイヤーセルフ」といいます。

かなり強力なので、この消しゴムにあったらエゴのイメージはひとたまりもありません。

不本意な絵や文字と同じように、目にしているものがほんとうの自分の表現などではなくエゴの表現であると感じたら(ネガティブなものは全部、エゴの表現です)、こころのなかですぐに消しゴム(ハイヤーセルフ)を使ってあげることです。

「私が目にしているものは、私のなかの罪悪感という感情をかたちにして外に映しだしたものです。でも、わたしは罪悪感と仲良しのエゴなどではありません。ハイヤーセルフ、わたしのこころのなかにある間違った罪悪感を取り消して、ほんとうの私の完璧さと輝きを表現できるように助けてください。ほんとうの自分を外側に見せてください」とお願いします。

これが強力な消しゴムの使い方です。

大切なのは、被害者として外側をいじくりまわすことなく、エゴになっていたことを認めて、すみやかに消しゴム(ハイヤーセルフ)を選ぶことなのですね。

消しゴムによってニセモノの罪悪感が取り消され、安らぎを感じられるようになり、それを外側にイメージとして見ることができるようになります。

ハイヤーセルフのアートセラピー、是非やってみてくださいね☆

 

 

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台風、接近中のさなか

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

きょうはお友だちとデート♡のお約束だけど、台風がこちらめがけて接近中。それもかなり強力だとか。

さて、どうしたものか・・・と直前まで考えて、結局、ササっと行って、サクっとランチをして、ススっと帰宅する、ということで決行することにいたしました。

外を歩かなくてもよいように・・・地下鉄から直結のペニンシュラホテルの「カフェ&ブティック」へ。(ペニンシュラさんは、お食事もスウィーツも大のお気に入り♪)

平日限定のリーズナブルランチ(ボロネーゼ、サラダ、パン、プチデザート)は、¥1200 です。

お話しがはずんで、スウィーツとコーヒーも! どれにしよう??

甘い香りのメロンショート、さっぱりしていてめちゃくちゃ美味でした。

そして、こちらに来ると買いたくなるのがスコーン。アプリコット味をお土産に。

帰りも、雨はまだ小降りでスムーズに帰宅できました。

ササっと行って、ススっと帰って、一瞬、別世界にワープしたような不思議なひとときでした。

 

 

気づきのぷちノート「ガッカリ感を感じたら、ご注意!」

以前も書きましたが、「トーストはバターをぬった面から床に落ちる」「お皿はお気に入りから割れる」・・・なんていわれています。

私もいつもは作らないような手のこんだお料理を作って、「よしよし! これで完成♡」とお皿にきれいに盛りつけたら、みごと全部ひっくりかえしたことがあります(泣)。

エゴは私たちがルンルン♪ よい気分になっているときには、必ずペシャンコにしようと企てています(ほんとうに幸せになったらエゴは消滅してしまうので)。

けれど、ほどほどに不幸せ感が漂っていて、エゴをおびやかすような状態ではないときには、かえってちょっとした楽しいプレゼントをくれたりさえするのです。

つまり、「そのまま不幸せ感を漂わせながら生きていればいいんだよ!間違っても、エゴとサヨナラしてすっきりと幸せになろう!なんて考えちゃだめだよ。このぐらいのちっちゃな幸せが身の丈だろ?」というわけです。

 

そんなわけで、日々の生活のなかには、さりげなく自責の念を感じたり、自己嫌悪になったり、後悔したりする、罪悪感という名のドラマがくみこまれていて、この瞬間を使ってエゴはさらにパワーアップをはかろうとしています。

そのドラマに反応してしまうと、もれなく罪悪感を感じることとなりエゴはその罪悪感を糧にして肥えてゆきます。

今ちょうどお友だちからメールが入って、「ホテルランチをしたあとなのに、つきあいで天ぷらソバ食べてる(汗)」というメッセージが。本当は食べたくて食べているに、なんか悪いことをしているような気になっちゃったりするものですよね。

これもエゴの罠。「楽しみすぎだろ、それは!」って。ほんとうは、そうしたかったのだから、ただ素直に自分を楽しませてあげるだけでヨイのですね。だから、楽しんでね♡

そのようなわけで、日々の生活のなかでエゴがガッカリ感(罪悪感)をもたせようと常にチャレンジしてくることをアタマにおいておかなければなりません。

なにが起きようとも、なるべく反応しないようにすることが大切なのです。「罪悪感という、その手にはのらないよ!」と。反応すると、まんまとエゴの思うツボです。

そして、そんなガッカリ感をもたせる何かが起きたら、「これはわたしのエゴが作りました。罪悪感を感じさせるためのワナです。エゴが作りだしたものと私のこころにある罪悪感をとり消してください」とハイヤーセルフにお願いしちゃいましょう。

そうすると、エゴが罪悪感を増幅しようとした企んだワナを、エゴを取り消す機会にすることができます。

「私には楽しむ権利がある♡」と軽く、楽しく、罪悪感というエゴの思いをもたずに楽しみましょう♪

 

 

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ベナイユン監督との映画撮影

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きょうは、オフィス・るんに Nelly Ben Hayoun監督とスタッフのみなさまがお越しになり、私とBen Hayoun監督とのインタビュー場面の撮影が行われました。

Ben Hayoun監督が製作されいるのは「 I am (not) a Monster*」という作品で、2019年のサンダンス映画祭でプレミア上映される予定のドキュメンタリーです。

その作品では「知識や、考え方とは、誰が所有するものか?」というテーマを扱っており、今回はBen Hayoun監督にヒプノセラピーとはどのようなものなのか、ヒプノを通してのこころや考えについてのインタビューを受けました。

日本語でインタビューをしていただく予定だったのですが、Ben Hayoun監督と楽しくおしゃべりしている流れでそのまま英語のインタビューに突入してしまったので、いささか、というか、かなり意味不明になっていないかそれだけが相当に心配です(大汗・こんなことになるんだったら、ちゃんと用意しておくんだったわ!!)。

また、Ben Hayoun監督がヒプノセラピーを体験してみたいということで、いきなりその30秒後にはセッションに突入! という急な展開(こころの準備もなにも、あったものではありません・笑)。

本当はこれも「当日はセッションはいたしません。なぜなら受ける方の準備が必須だからです」とお話ししていたのですが、まあ、セッションの完成度はさておき、体験していただけてよかったと思っています。

いったいどんな作品になるのでしょうね?

Ben Hayoun監督はフランス出身の映画監督、教育者、デザイナーということだったので、いったいどんなスゴイ方がいらっしゃるのかと思っていたら、そのすばらしい経歴にもかかわらず、なんともキュートでハートがあたたかいチャーミングな方で、緊張などまったくなくいつもの調子でインタビューもセッションもしてしまった感じです(ある種、コワイもの知らず・・・汗)。

ネリさん(Ben Hayoun監督)とスタッフのみなさま、暑いなかほんとうにお疲れさまでした。(制作の大塚さん、録音の平井さん、監督のネリさん、撮影監督のフィオナさん)

Ben Hayoun監督のプロフィール
Nelly Ben Hayoun Studios

*「I am (not) a monster」
複数形式の作品(映画・ショートフィルム・イベント・彫刻など)で構成された、現代社会のイデオロギーを追求するプロジェクトです。AI(人工知能)でグローバルな収集性が発達する一方、人々の知識と文化遺産の関係を探る企画です。ネリ・ベンナイユンは日本の文楽や能楽師から学び、文楽人形を手に、ハンナ・アーレントの思想を再現します。世界各国の有力な思想家と対面し、また、無学費のUniversity of the Undergroundという大学の生徒や家族とも関わります。彼らとともに、古来からの質問を問い正します「知識や、考え方とは、誰が所有するものなのだろうか。」

 

美容室のひとこま

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

美容室でカットやカラーをしてもらっているとき、美容師さんとあれこれお喋りしています。

そしてカラーがぬりおわって、「じゃあ、これでしばらくお待ちください」とコーヒーが出てくると、ようやく目のまえにおかれた雑誌をパラパラ。

あれこれ流し読みしていると、まわりの会話も自然と耳にとびこんできます。

「最近、中目黒駅のそばにおいしいパンケーキ屋さんがまたできましたよね!」なんていう会話に、

(そうそう! FLIPPER'S でしょ。代官山にもあるけど、中目にもできたんだよね〜)なんて、勝手にこころのなかで会話に参加してたり。

すると、鏡の向こうにすわっている男性のお客さんの声で、

「最近、耳がすごく汚れるんですよ。もう、真っ黒で・・・ススみたいなのがごっそりとたまるんですよ」

ええっっ、ただならぬ会話に耳ダンボ!

(へ〜・・・ 男の人って、そんなに耳汚れる人いるの? 髪で隠れていないだけでそんなに違うかな〜?)(なんの仕事しているんだろ? 工事現場? 清掃工場? )(それとも、この人の体質のせい? 耳が毛深いとか? )とモウソウがふくらみます。

さらに会話は続きます。

「だから、一週間に一回は必ず耳掃除に行くんですよ」と男性。

(え〜、そりゃ忙しくて大変だわね!)

「耳掃除してもらうとごっそりとれるし」と男性。

おもわずビジュアル化して、(ひゃ〜!!)とこころのなかで悲鳴する私。

「でも、最近、歯まで勝手に抜かれちゃって・・・」

(え〜〜〜〜っ!!(汗)耳鼻科で歯まで抜かれるっていったい? 汗 )

・・・ ってこの人、「抜かれちゃって」なんてゆうちょうに言っているけど、もうはえてこないからね〜!

「もうトシなんですかね。いいかげん・・・」「からだもボロボロだし・・・」

(って、あなた、20代ぐらいでしょ、まだ ・・・汗)

「毛なみもよくないし・・・」

えっ ・・・ 毛なみぃ・・・・???

あ〜・・・い、い、犬の話だったね(汗)。

「早く言ってよ〜!!」 と、こころのなかで大笑いしている私でした。

 

気づきのぷちノート「ハイヤーセルフにお願いするときは・・・」

「問題と感じることは、すべて高い意識(ハイヤーセルフ)に委ねてしまいましょう!そして、 あとは全部やってもらいましょう!」

「はい!わかりました」と元気よく返事をして、

その問題を指でつまんでハイヤーセルフセルフの手のひらにのせたはいいけれど ・・・

「ちょっと、ちょっと、いいかげんにあなたのその指はなしてくれませんか〜?」ってなことになっていませんか?

私たちが「委ねる」というとき、こんな感じのことが起きているのです。

「はい、委ねます」といってそれを渡したフリをしながら、自分の指は決してはなすことはなく、さらに問題を間近でガン見しつづけているのです。「いつやってくれるの?」「どんなふうに?」って。

なぜそうなるか ・・・ というと、こころの深いところでは「信頼できないよ」「私が見ていないとひどいことになる」と思っているから。

「きっと好き勝手にされて、私にとっては困ったことになるかも」とか、「委ねなさいっていっても、あとであなたが自分でやらないからでしょっていわれそう」とか、「誰も、私のことなんんか真剣に考えてくれないから、委ねたらどんなことになるか」とか、ぜんぜん渡しきれていません。

だから、まるで問題がとり餅で指にネバネバとくっついたような状態になっていて、ほんとうに「手放す」「委ねる」という感覚がわからないのです。

ほんとうに手放すのは、コントロールしないこと、もうそれ以上つべこべ言わないこと、お願いして忘れていること、すべてがうまくいくと信頼していること、自分をスコンとからっぽにすること、そしてすがすがしい気持ちになること。

ハイヤーセルフは、「はい、受けとりましたよ。何かすることがあったら知らせますから、あなたはどこかに行ってリラックスしていてくださいね」といっています。

委ねたのに、お願いしたのに、助けてもらえないじゃない? って感じるときは・・・真に委ねていないわけです。

真に委ねたときでない限り、ハイヤーセルフはやってくれません。手が残っていたら、「まだ自分でやりたいのね。じゃあ、そうしてね」って尊重してくれるのです。けっして意志を侵害して勝手にすることはないのです。

信頼して、本当に手放して、自分の手をからっぽにしましょう ・・・

さて、なにが起こるでしょうか?!  (きっと、びっくりするかも♪)

 

 

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姫のお茶会♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

クライエントさんにもたびたびオススメしている「お姫さまごっこ」。

それは、自分で自分をお姫さまのように大切に扱うごっこ遊びセラピーで、自然に自尊心を育てることができます(詳しくはコチラのブログへ)。

ずいぶんまえから、お友だち二名も日々参加してくれていて、楽しくお姫さまごっこ続行中。音楽をされているお二人は「妙なる調べの国」と「天上の調べの国」にお住まいで、私は「癒しとやすらぎの国」です(笑)。

ふだんの呼び方も「○○姫」。メールでは「○○姫、ご機嫌うるわしゅう♡」ではじまります。

たとえ自分で自分にお茶をいれているときでも、「(侍女や執事、おつきのものが)今、お茶を用意してくれました」 ・・・ となるわけです(笑)。

これはけっこう優雅な姫気分が満喫できるし、今やあまりにも自然すぎて自分たちが姫以外のなにものでもないような気分でリアル姫になりきっています。

そんな二姫さまと三人で、お茶会をしてきました。私たちのあいだではカメリアの丘とよばれている椿山荘にて。

三人だと、スウィーツタワーも華やかです。この日は、ピーチアフタヌーンティーで、スコーンも、スウィーツも桃テイストにあふれています。

ポットサービスの紅茶は三杯分ほどあるので、二姫さまとシェアをしながらいただいたら、七種類もの違ったお茶をた〜ぷりと楽しむことができました(+ 珈琲で、おなかたぽたぽ・・・)。

三姫お茶会風景、トゥ〜ルル・ル・ル♪ 徹子の部屋風・笑( K子姫作)。

姫さまがたと楽しいひとときでした♪

 

 

連日、すごい暑さ (○´―`)ゞ

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午前七時、朝ゴハンをするカフェ(@IVY PLACE)に向かって歩いていると、ジリジリ、メラメラ、もう溶けちゃいそう。こんな夏の早朝は、ラジオ体操も苦行でしかないですよね(汗)。

汗だくで到着すると ・・・ まずは駆けつけ一杯! フレッシュジュースのサービスが。ありがたや〜♪

私は絞りたての桃をイッキしましたよ〜。ふ〜・・・。

あまり甘くないオトナのネクターで、暑いときにはぴったりです。

いつもの定番で、バターミルクパンケーキと、

玉子料理をたのむのですが、本日はプロシュートとルッコラのオムレツをチョイス。

しかし、やってきたのはなんとドデカ サンドイッチ!(汗・暑さのあまり文字までまともに読めず・・・)

しっかりいただき、エネルギーチャージしました!

帰りはさらに炎天下。ほんとに近所なのに、身のキケンを感じる暑さです。工事やら配達やらセールスやら ・・・ お外でお仕事のみなさま、どうぞくれぐれもお気をつけくださいね。

 

 

気づきの日記「その騒音、どこからやってきたの?!」

夜中の1時すぎごろになると、たびたびバイクのエンジン音がして、数分ハデに「ドドドドド!!」とふかしていたかと思うと、「バリバリバリッ!!」と破裂音のような爆音とともに走りさってゆくのです。

うるさ〜〜い(怒)☆  とくに、こんな熱帯夜つづきで寝つけないでいるときには、「この音のせいで眠れないじゃないか!」とバイクの音にすべてのイライラをぶつけたくなります。

どうやら近所で夜中まで仕事をしてるおにいさんが、路駐してあるバイクで帰途につくらしいのですが、ここまで無意味に音を大きくする心理って、いったい?!・・・ (汗)

それはやっぱり、「注意をひきたい」「目立ちたい」につきます。それも、なまじっかな音じゃダメで、ここまで大きな音にしないと「誰も自分に気づいてくれない」という見捨てられ信念。

トシの離れたお兄ちゃんお姉ちゃんのなかで育ったため、いくつになってもおチビ扱いで、まっとうな発言権が与えられなかった ・・・とか、両親が二人とも働いていて、忙しさのあまり自分の言うことに対して真剣に耳を傾けてもらえなかった ・・・とか(他にもいろいろありますが)、そんな無力感から爆音で気をひきたくなったりするわけです。

そんな理由をイメージすると、その爆音にむかって「ハイハイ、ちゃんと気づいていますよ〜。お仕事おわったのですね。遅くまで疲れたでしょう? 今から、帰るのね。気をつけて帰ってくださいね」なんて、こころのなかで声をかけちゃったりします。

でも 、そんなことを言っても結局は ・・・ 外に見えていること、自分が目にしたり体験していることって、「必ず」や自分のなかにある思いの証であって、私と無関係ではありえないのですね。

つまり、自分のこころのなかに「隠しもっている」、無意識化して自分でも気づいていない思いを、外に見ることによって、他の人のこととして片づけているのです。つまり、自分のもっていたくない思いを「外の世界」に捨てて、知らんふりしているわけです。

そうなると ・・・ あら、イヤだわ(汗)。思いっきり音をだして声をはりあげていたのは、誰?  ・・・ 「私」ではありませんか?!(苦笑)

「私はここにいますよ! 誰か気づいてください! かまってください! そうじゃないと、存在していないように感じているんです〜(泣)」と、自分のなかで声をはりあげている存在がいるのに、その声に対して「黙れ! 女々しい! そんな声など聞きたくない」とおもいっきり無視しようとします。

その無視の結果として、「外」の出来事に見えるようなトリック(投影=こころのなかの隠された思いを外に捨てて、人のなかに見る)を使って、女々しい自分を否定しようとするわけです。

けれども、この女々しく聞こえる思いでさえも、じつは「過去」の遺物であり、自分の「本当の思い」ではありません。恥じる必要などないのですね。

しかし、それをまだ現在の思いだと勘違いすることで、恥ずかしく思い、無視して、封印して、投影します。誰か他の人のなかに見て、それを責めることによって、ずっと同じことをくり返してしまいます。それは、取り消されることがありません。

どんな思いにしても、私たちの思いにはものすごいパワーがあります。

聖書で言われているように、「山をも動かす」パワー。その思いは自分の世界に表現されて、必ず自分のもった思いをそのまま体験することになるのです。

そんな自分のパワフルさに私たちはうすうす気づいているようで、だからこそ自分の思いに脅威を感じて、その思いと正面から向き合いたくないのです。どこかで、見て見ぬふりをして、あいまいにしておきたいのです。

たとえ、それがニセモノの思いであるにしても、それを放置して、野放しにすることで、いつしかどれがホントの思いなのかわからなくなってしまいます。そうして、自分自身がその思いに騙されるということが起こります。

だから、何かに腹がたったり、動揺するときに、その出来事の「被害者」になって終わりにすることもできるし、

あるいは、怒りや動揺を、自分のなかに抑圧されて気づくことができなくなっていた思いを探求するためのアラームとしてとらえることもできます。

強烈に腹がたっているときこそ、自分のなかにその間違いがあることに気づくチャンスなのです。

まずは、「すべては私の思いの結果」であり、「これは私のこころのなかで起きていることだ」と外に見ていたことを、自分のなかに取り戻してみます。人ごとではなくて、私のなかの出来事ととして感じてみます。

すると、すぐに「あ、これはまさに私のことだ!」と気づく場合もあるし、まったく合点がいかない場合もあります。

そのときには、怒りや動揺の気持ちを掘り下げてたどってゆくことで、新たな気づきをえることができます。それはいつでも、「やだ〜! 私ったら、こんなこと信じてたの〜?」という笑っちゃう信念です。

そして、その探求を正直にして、ちゃんと気づいて受けとめてゆくと、同じことが起こったとしてももやは反応することがなく、どうでもよくなっていたりします。

あるいは、出来事自体が消え去ってなくなってしまったりします。(学びが終わったのですね!)

私の場合、気づきをえて「あのバイクのおにいさんじゃなかった! 私だったのね!」と認めたあたりから、音が消え去りました。

バイクのおにいさんがいなくなったのか、音がしないバイクに乗り換えたのか ・・・ 不明ですが、私のこころのなかのいにしえの「見捨てられ」信念が正面から見られて、手放されたので、おにいさんの存在も私の意識のなかから消え去ってしまったのでした(チャンチャン♪)。

 

 

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