金曜日, 11月 23 2018

金曜日, 11月 23 2018

気づきの日記「ひとつである内側と外側」

目を閉じると・・・そこに暗闇としての内側のスペースが広がっているのを感じます。

しばらくそのまま目を閉じて坐っていると、考えは勝手にあらわれてくるし、突然お腹がなったり足が痺れたりという感覚というものもあらわれたり。また、昔の記憶がふとやってきては、それとともに感情がわきあがってくることもあります。

その内側のスペースには、考えやら感覚、記憶、感情などがやってきては去っていくのです。

そして、その同じスペースに色や形や動きもあらわれることができます。それは、目を開いたときには顕著です。

そのスペースにはっきりとした色や形や動きが加わることを私たちは「世界」と呼び、考えや感覚、記憶、感情などのあらわれとは別もの扱いにしています。世界という外側と、こころの世界という内側というふたつの世界にわけているのです。

しかし、自分の考え、感覚、記憶、感情と、世界と名づけられた色や形や動きという要素は、まったく同じスペースにあらわれているものであり、じつは内側と外側の区別というものはありません。

それは、自分の意識(こころ)というステージ上で起きているように見える現象の数々なのです。そして、それらは、やってきては去ってゆきます。

いつも流れているのです。せき止めることなくただ流れていることによって、そこにはおだやかさがあります。

通称「世界(外側)」と呼ばれるところに一本の樹があるとします。私たちはこの樹について、いつ新芽を出し、いつ生い繁り、いつ花を咲かせ、いつ葉をちらすのか、まったく予測できません。知らなくていいと思っています。

その一本の樹の一生を予測できないことは理解できるのですが、樹と同じスペースに存在している自分というものの行動、考え、感情、記憶、感覚などが予測できないということはなかなか受け入れることができません。

けれど、自分の意識のスペースに存在する、という意味では、樹も、ポストも、カップも、あなたも私も、まったく同じレベルなのですね。

私たちは、自分については「いつ芽が出て、いつ花が咲くのか? 私こそが決めることができるのだ」と信じがちです。「この結果は私しだしだ!」と。でも、そう信じて、そうならないことこそが苦しみの原因といえます。

この自分の内側のスペースにあらわれてくるのもの、考え、感覚、記憶、感情、世界(人と自分)にはコントロールということがまったく通用しません。自然発生的に勝手にじゃんじゃんやってきては、ただ静かに去っていきます。(わたしたちがちょっかいを出さなければ・・・)

そして、それをそのまま、あるがままにしておくことが「ゆだねること」であり「明け渡し」です。

自分ではうかがい知ることができない完全な秩序に対して、自分を「ゆだねる」ことです。

でも、私たちは自分のあれこれについて「私がどうにかできる」「私こそ私の行くすえを決める人」と信じているので、流れくるものをじゃんじゃん行かせてあげることができず、少しでも自分の意にそわないと、すぐにちょっかいを出してつかみかかり、思いどおりにしようとしてはケンカを売って、それらがそのまま去っていくことを許さないでいるのです。

コントロールしたくてしたくてたまらない存在とは、じつはほんとうの自分ではありません。エゴという名の思考であり、そのニセの自分にこそ、ご退場いただかなければなりません。

エゴは口を開けばイジワルなことしか言いません。ちょっといいことを言ったとしても、自分を特別に感じさせて人とのあいだに溝をつくろうとします。必ずあとで仕打ちがまっているのです。

だから、エゴにはそのスペースから何歩も退いてもらって、スペースの向こう側に落っこっちゃってください(向こう側ってどこだ??笑)。

エゴというニセの自分はあまりにも怖がりなので、コントロールが存在しないところで懸命に仕切ろうと頑張ります。しかし、それができないからこそ問題が生まれ、苦しみが生まれてしまいます。

コントロール狂のエゴには何歩も後ろにおさがりいただいて、そのかわりにほんとうの自分であるハイヤーセルフにご登場いただきます。そして、その光のなかですべてを見ることで、別な見方ができるようになります。

いままでステージには照明がないまま暗闇のなか手探りで奮闘していたのです。だから、ものごとをあるがままに正しく見たり、受け入れることができませんでした。

このスペースをハイヤーセルフの光で照らしてもらえるようにお願いします。すると、ステージに光がやってきて、光であふれて、「あれ? いままで怖いと思っていたものは全然怖いものではなかった!」と気づくかもしれません。

これがすべてを自分で決めようとする「コントロール」というものを手放して、もとから存在している宇宙の秩序、完全さのなかに「明け渡して」、あるがままに見せて、体験させてもらうこと。

ハイヤーセルフのいっぱいの光のなかで、「いったいなにが起こっていくのだろうと?」と興味しんしんで見ること。

エゴではなく、ハイヤーセルフとともに見ることで、「かならず、いちばんいいことがもたらされる」という確信と安心感を感じることができます。

それこそが、そこに存在しているギフトを受けとるために大切な「信頼」です。ハイヤーセルフの手を握って、その存在の光とともにいれば大丈夫!という信頼。

ただ後ろにさがる気持ちで、静かにして、さまざまなものがあらわれるそのスペースをオープンしてみましょう。

そしてやってくるものを、ハイヤーセルフとともに信頼をもって穏やかに受けとめて、そして見せてもらいましょう。「すべては、私にとってのかけがえのないギフトだ!」という信頼とともに♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

18-11-23 ひとつである内側と外側

目を閉じると・・・そこに暗闇としての内側のスペースが広がっているのを感じます。

しばらくそのまま目を閉じて坐っていると、考えは勝手にあらわれてくるし、突然お腹がなったり足が痺れたりという感覚というものもあらわれたり。また、昔の記憶がふとやってきては、それとともに感情がわきあがってくることもあります。

その内側のスペースには、考えやら感覚、記憶、感情などがやってきては去っていくのです。

そして、その同じスペースに色や形や動きもあらわれることができます。それは、目を開いたときには顕著です。

そのスペースにはっきりとした色や形や動きが加わることを私たちは「世界」と呼び、考えや感覚、記憶、感情などのあらわれとは別もの扱いにしています。世界という外側と、こころの世界という内側というふたつの世界にわけているのです。

しかし、自分の考え、感覚、記憶、感情と、世界と名づけられた色や形や動きという要素は、まったく同じスペースにあらわれているものであり、じつは内側と外側の区別というものはありません。

それは、自分の意識(こころ)というステージ上で起きているように見える現象の数々なのです。そして、それらは、やってきては去ってゆきます。

いつも流れているのです。せき止めることなくただ流れていることによって、そこにはおだやかさがあります。

通称「世界(外側)」と呼ばれるところに一本の樹があるとします。私たちはこの樹について、いつ新芽を出し、いつ生い繁り、いつ花を咲かせ、いつ葉をちらすのか、まったく予測できません。知らなくていいと思っています。

その一本の樹の一生を予測できないことは理解できるのですが、樹と同じスペースに存在している自分というものの行動、考え、感情、記憶、感覚などが予測できないということはなかなか受け入れることができません。

けれど、自分の意識のスペースに存在する、という意味では、樹も、ポストも、カップも、あなたも私も、まったく同じレベルなのですね。

私たちは、自分については「いつ芽が出て、いつ花が咲くのか? 私こそが決めることができるのだ」と信じがちです。「この結果は私しだしだ!」と。でも、そう信じて、そうならないことこそが苦しみの原因といえます。

この自分の内側のスペースにあらわれてくるのもの、考え、感覚、記憶、感情、世界(人と自分)にはコントロールということがまったく通用しません。自然発生的に勝手にじゃんじゃんやってきては、ただ静かに去っていきます。(わたしたちがちょっかいを出さなければ・・・)

そして、それをそのまま、あるがままにしておくことが「ゆだねること」であり「明け渡し」です。

自分ではうかがい知ることができない完全な秩序に対して、自分を「ゆだねる」ことです。

でも、私たちは自分のあれこれについて「私がどうにかできる」「私こそ私の行くすえを決める人」と信じているので、流れくるものをじゃんじゃん行かせてあげることができず、少しでも自分の意にそわないと、すぐにちょっかいを出してつかみかかり、思いどおりにしようとしてはケンカを売って、それらがそのまま去っていくことを許さないでいるのです。

コントロールしたくてしたくてたまらない存在とは、じつはほんとうの自分ではありません。エゴという名の思考であり、そのニセの自分にこそ、ご退場いただかなければなりません。

エゴは口を開けばイジワルなことしか言いません。ちょっといいことを言ったとしても、自分を特別に感じさせて人とのあいだに溝をつくろうとします。必ずあとで仕打ちがまっているのです。

だから、エゴにはそのスペースから何歩も退いてもらって、スペースの向こう側に落っこっちゃってください(向こう側ってどこだ??笑)。

エゴというニセの自分はあまりにも怖がりなので、コントロールが存在しないところで懸命に仕切ろうと頑張ります。しかし、それができないからこそ問題が生まれ、苦しみが生まれてしまいます。

コントロール狂のエゴには何歩も後ろにおさがりいただいて、そのかわりにほんとうの自分であるハイヤーセルフにご登場いただきます。そして、その光のなかですべてを見ることで、別な見方ができるようになります。

いままでステージには照明がないまま暗闇のなか手探りで奮闘していたのです。だから、ものごとをあるがままに正しく見たり、受け入れることができませんでした。

このスペースをハイヤーセルフの光で照らしてもらえるようにお願いします。すると、ステージに光がやってきて、光であふれて、「あれ? いままで怖いと思っていたものは全然怖いものではなかった!」と気づくかもしれません。

これがすべてを自分で決めようとする「コントロール」というものを手放して、もとから存在している宇宙の秩序、完全さのなかに「明け渡して」、あるがままに見せて、体験させてもらうこと。

ハイヤーセルフのいっぱいの光のなかで、「いったいなにが起こっていくのだろうと?」と興味しんしんで見ること。

エゴではなく、ハイヤーセルフとともに見ることで、「かならず、いちばんいいことがもたらされる」という確信と安心感を感じることができます。

それこそが、そこに存在しているギフトを受けとるために大切な「信頼」です。ハイヤーセルフの手を握って、その存在の光とともにいれば大丈夫!という信頼。

ただ後ろにさがる気持ちで、静かにして、さまざまなものがあらわれるそのスペースをオープンしてみましょう。

そしてやってくるものを、ハイヤーセルフとともに信頼をもって穏やかに受けとめて、そして見せてもらいましょう。「すべては、私にとってのかけがえのないギフトだ!」という信頼とともに♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング