金曜日, 12月 28 2018

金曜日, 12月 28 2018

気づきの日記「たった今、幸せでいる! と決めること」

「このこころの痛みがなくなったら・・・」
「このやっかいな問題が解決したら・・・」
「この忙しさから解放されたら・・・」
そうしたら、そのときにこそ幸せになろう。けれど、それは今じゃない。今なんて、ムリっ!!

この考えじたいが、幸せになるためにはムリっ!です(笑)。

「いつか、そのときには」なんて ・・・ その「いつか」はいっくら待ってもやってきません。あるのは、いつだって「今」「今」「今」・・・。

この「いつか」という言葉は、エゴが大好きなセリフです。「いつか」と言ってしまえば、「今」から注意をそらすことができるからです。

「たった今、幸せでいる」ということから意識をはずして、「いつか」という存在などしない架空の時間を目指せ!と指示します。

「またそのうちにね!」「またいつかね!」と言ってしまえば、お茶をにごして、「今すぐ」なにかをする!という責任から逃れられる気がします(そんなに会いたいと思わない友人にも、「またいつかね!」と言っておけば、ヨイ感じでお別れができます・笑)。

エゴは「いつか」という言葉を使って、「今ここにあるもの」を煙にまこうとします。私たちは、「そっか! いつか幸せになるんだから、今はしょうがないよね!」「いつか、それはよくなるんだね!今はあきらめていいんだ」、そして「今は苦しくても仕方がない」とあきらめて、今を無力にします。

そして、エゴがじゃんじゃん投げこんでくる痛みややっかいごとや大忙しに正面から向きあって、ホンロウされることになります。それらが、「今、幸せを感じないためのオトリの数々」であるとも気づくことなく・・・。

今、大人気の映画「ボヘミアン ラプソディ」の主人公 フレディ・マーキュリーは45歳で病気によって亡くなるのですが、彼の公での最後のインタビューで(これは映画にはありません)、こんなことを言っていました。

「僕にとっていちばん大切なことは、幸せでいること。自分らしく生きること。残された年月をできる限り生き生きと楽しく過ごそうと思う」・・・これは、フレディが病気になってそういう生き方をしていたというよりは、彼のそこまでの人生そのものだったように感じます。

重い病気であると診断されたり、あるいは余命を宣告されたとき、まだ何も変わらず十分に元気であるにもかかわらず、人生がすでに終わってしまったように、つまり死んだような絶望感のなかで生きてしまう方が多いのです。せっかく生きているのに、気持ちはもうすでに死んでしまっているのです。

そして、死んだように生きている(すでにこころは死んでしまっている)のに、「死ぬのがコワイ!」と怯えます。

あるいは、重い病でなくとも、つねに過去にとらわれ、また未来を思い煩い、たった今というまっさらな時間が汚染されたようにすっかり台無しにされてしまう場合もあります。

フレディは「たった今、幸せでいる」ということの達人だったように感じます。

だから、決して逃れられない病の悲劇の主人公にひたっていません。ほんとうに亡くなる寸前まで、バンドの仲間や大切な人々に囲まれて、自分の好きな歌を歌いつづけて、つながりあって、わかちあって、愛しあって 、そしてついに旅立っていった・・・ そんな彼の生き方が、きっとこの映画のなかで私たちのこころに伝わり、「自分を生きる」という勇気をもらうのだと感じます。

私たちはみんな、努力のすえにいつか幸せになる、いつか穏やかな日がやってくる、今は幸せじゃないけれどそこに向かって頑張ろう!とこころに誓うけれど ・・・ それは正しくありません。

フレディが言っていたように、「たった今、幸せでいる」こと。「たった今、幸せでいることを決意すること」、そして実際にそうすること。

たとえ、身体のどこかが痛くても、やっかいな問題が立ちはだかっていても、大忙しで目がまわりそうででも ・・・ 「私は、今、幸せでいるんだ!」、なぜなら「それが、私の当然の権利だから!」。

私たちがまず、それをこころのなかでしっかりと決めて、どんなものにも「私の権利を邪魔させない」という決意が必要です。

なぜなら、「幸せであること」はほんとうは自分のなかにしっかりとそなわっている生まれながらの状態であるからです。それにもかかわらず、いとも簡単にいろいろな言い訳で隠されて、無きものにしてしまうことができるからです。

でも、痛みや問題やどんな状況も、ほんとうは「幸せであること」をはばむこととはなんら関係がないのですね。

「幸せであること」というのは、ピカピカ、ハデハデしく輝いて、騒々しいものではなく、ただ静かに安らかであること。ただ、日溜まりのなかでポカポカぬくぬくと安心している安らぎの感覚です。ほんとうの自分自身であることの安心感です。

自分のうえに大きな美しい光がさんさんとふり注いでいて(大きな日溜まりのなかで日なたぼっこをしている感じです)、そのポカポカとあたたかな光のなかで、安全に安らかに守られて、大切に育まれ、無条件に愛されて、すべての必要なことは自然に教えられ、導かれ、リラックスして「はあ〜〜〜っ♡」と脱力しているようなイメージをしてみましょう。

優しく暖かな大いなる力が、すべての自分の面倒をみてくれている、私がひとりでなにも頑張らなくてもいい、と ・・・ ほんの一瞬だけでも、その光を信頼して、すべての心配、煩わしいこと、痛みを手放してゆだねてみましょう。

そんな安らぎを感じる一瞬を、お茶を飲んでいるときに、駅のホームで電車を待っているときに、人との待ち合わせのちょっとしたあき時間に ・・・ いつも光とともにイメージして感じてみましょう。

ほんの少しのやすらぎのひとときが、そのあとの時間も安らかなものに導いてくれることに気がつくことでしょう♡

PS 「Don't Stop Me Now」(作詞/作曲 フレディ・マーキュリー)、いつも今を大切に生きたフレディらしい曲ですね♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

18-12-28 たった今、幸せでいる! と決めること

「このこころの痛みがなくなったら・・・」
「このやっかいな問題が解決したら・・・」
「この忙しさから解放されたら・・・」
そうしたら、そのときにこそ幸せになろう。けれど、それは今じゃない。今なんて、ムリっ!!

この考えじたいが、幸せになるためにはムリっ!です(笑)。

「いつか、そのときには」なんて ・・・ その「いつか」はいっくら待ってもやってきません。あるのは、いつだって「今」「今」「今」・・・。

この「いつか」という言葉は、エゴが大好きなセリフです。「いつか」と言ってしまえば、「今」から注意をそらすことができるからです。

「たった今、幸せでいる」ということから意識をはずして、「いつか」という存在などしない架空の時間を目指せ!と指示します。

「またそのうちにね!」「またいつかね!」と言ってしまえば、お茶をにごして、「今すぐ」なにかをする!という責任から逃れられる気がします(そんなに会いたいと思わない友人にも、「またいつかね!」と言っておけば、ヨイ感じでお別れができます・笑)。

エゴは「いつか」という言葉を使って、「今ここにあるもの」を煙にまこうとします。私たちは、「そっか! いつか幸せになるんだから、今はしょうがないよね!」「いつか、それはよくなるんだね!今はあきらめていいんだ」、そして「今は苦しくても仕方がない」とあきらめて、今を無力にします。

そして、エゴがじゃんじゃん投げこんでくる痛みややっかいごとや大忙しに正面から向きあって、ホンロウされることになります。それらが、「今、幸せを感じないためのオトリの数々」であるとも気づくことなく・・・。

今、大人気の映画「ボヘミアン ラプソディ」の主人公 フレディ・マーキュリーは45歳で病気によって亡くなるのですが、彼の公での最後のインタビューで(これは映画にはありません)、こんなことを言っていました。

「僕にとっていちばん大切なことは、幸せでいること。自分らしく生きること。残された年月をできる限り生き生きと楽しく過ごそうと思う」・・・これは、フレディが病気になってそういう生き方をしていたというよりは、彼のそこまでの人生そのものだったように感じます。

重い病気であると診断されたり、あるいは余命を宣告されたとき、まだ何も変わらず十分に元気であるにもかかわらず、人生がすでに終わってしまったように、つまり死んだような絶望感のなかで生きてしまう方が多いのです。せっかく生きているのに、気持ちはもうすでに死んでしまっているのです。

そして、死んだように生きている(すでにこころは死んでしまっている)のに、「死ぬのがコワイ!」と怯えます。

あるいは、重い病でなくとも、つねに過去にとらわれ、また未来を思い煩い、たった今というまっさらな時間が汚染されたようにすっかり台無しにされてしまう場合もあります。

フレディは「たった今、幸せでいる」ということの達人だったように感じます。

だから、決して逃れられない病の悲劇の主人公にひたっていません。ほんとうに亡くなる寸前まで、バンドの仲間や大切な人々に囲まれて、自分の好きな歌を歌いつづけて、つながりあって、わかちあって、愛しあって 、そしてついに旅立っていった・・・ そんな彼の生き方が、きっとこの映画のなかで私たちのこころに伝わり、「自分を生きる」という勇気をもらうのだと感じます。

私たちはみんな、努力のすえにいつか幸せになる、いつか穏やかな日がやってくる、今は幸せじゃないけれどそこに向かって頑張ろう!とこころに誓うけれど ・・・ それは正しくありません。

フレディが言っていたように、「たった今、幸せでいる」こと。「たった今、幸せでいることを決意すること」、そして実際にそうすること。

たとえ、身体のどこかが痛くても、やっかいな問題が立ちはだかっていても、大忙しで目がまわりそうででも ・・・ 「私は、今、幸せでいるんだ!」、なぜなら「それが、私の当然の権利だから!」。

私たちがまず、それをこころのなかでしっかりと決めて、どんなものにも「私の権利を邪魔させない」という決意が必要です。

なぜなら、「幸せであること」はほんとうは自分のなかにしっかりとそなわっている生まれながらの状態であるからです。それにもかかわらず、いとも簡単にいろいろな言い訳で隠されて、無きものにしてしまうことができるからです。

でも、痛みや問題やどんな状況も、ほんとうは「幸せであること」をはばむこととはなんら関係がないのですね。

「幸せであること」というのは、ピカピカ、ハデハデしく輝いて、騒々しいものではなく、ただ静かに安らかであること。ただ、日溜まりのなかでポカポカぬくぬくと安心している安らぎの感覚です。ほんとうの自分自身であることの安心感です。

自分のうえに大きな美しい光がさんさんとふり注いでいて(大きな日溜まりのなかで日なたぼっこをしている感じです)、そのポカポカとあたたかな光のなかで、安全に安らかに守られて、大切に育まれ、無条件に愛されて、すべての必要なことは自然に教えられ、導かれ、リラックスして「はあ〜〜〜っ♡」と脱力しているようなイメージをしてみましょう。

優しく暖かな大いなる力が、すべての自分の面倒をみてくれている、私がひとりでなにも頑張らなくてもいい、と ・・・ ほんの一瞬だけでも、その光を信頼して、すべての心配、煩わしいこと、痛みを手放してゆだねてみましょう。

そんな安らぎを感じる一瞬を、お茶を飲んでいるときに、駅のホームで電車を待っているときに、人との待ち合わせのちょっとしたあき時間に ・・・ いつも光とともにイメージして感じてみましょう。

ほんの少しのやすらぎのひとときが、そのあとの時間も安らかなものに導いてくれることに気がつくことでしょう♡

PS 「Don't Stop Me Now」(作詞/作曲 フレディ・マーキュリー)、いつも今を大切に生きたフレディらしい曲ですね♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング