金曜日, 2月 15 2019

金曜日, 2月 15 2019

気づきのぷちノート「ダメな私・・・と感じるとき」

Q: 自己探求のワークをして、被害者になるのをやめようとしています。しかし、だんだん「人のせいにしていたんだ」という罪悪感が出てきてしまいます。

A: 罪悪感が出てきたら ・・・ まずは、喜びましょう!(笑)

それは、自分を解放するためのお宝が見つかったからです。

私たちの思考はかならず、自分に対してある結果(知覚)をもたらします。

思考の結果として、自分が「幸せ・安らぎ」を感じるのか、あるいは「苦しみ」を感じるのか ・・・ 「天国」or「地獄」という二つにひとつです。

つまり、安らぎ100パーで苦しみゼロ。あるいは、安らぎゼロで苦しみ100パー。

この2バージョンしか存在せず、中間のグレーゾーンはありません。「苦しみ」というインクは、一滴たらせばぜんぶ苦しみです!

そうなると、考えというものはちょっとキケンに感じられます。

でも、そのキケンにさらされないようにするためには、意識的に「気づく」ことが大切になってきます。

まずは、自分で自分を「苦しめる」思考の一つひとつに、正直に気づいてゆく段階が必要です(私たちは自分の考えに気づかず、日々、自分を虐待しています)。

今まで思考を無視して、ことなかれ主義をとってきた私たちにとって、自分の考えの間違いに一つづつ気づくということは、気がめいることでもあるかもしれません。

だから、「罪悪感」に出くわすとすぐさまビビってしまい、「ダメな私・・・」というさらなる罪悪感でそれ以上進めなくなってしまいます。

けれども、今はじめてそう感じたのではなく、ずっとそれを抱えながら生きていた、ということなのです。でも、まんまと隠蔽して、ないフリをしてきました(罪悪感はエゴの活力の源ですから、なくなってしまったら困るのですね)。

だから、ついに見つけたら「ラッキー☆」ということになります。間違いに気づかない限り、訂正はききません。

「こんな感覚をもっていたのか〜」と間違いに気づいて、手放すことができます。

間違いは間違いだと認めた時点で、おおかた手放せたようなものです。

だから、必要な第一歩は、「へえ〜・・・私ってこういう場面では、こんなふうに罪悪感を感じるんだ〜」と客観的に気づいて、

あらためて、「じゃあ、なぜそんなふうに感じる必要があるのだろう? 私はいったい自分をどういう存在だと信じているの?」と、さらに一歩探求をおし進めることができます。

たいてい、そこにはエゴが主張している自分像があります(小さくて、無価値でおびえている私というような)。

その答えがほんとうのことなのか? 理にかなっているのか? 高い意識の助けをかりながら冷静にながめてみましょう。

考えはつねに自動的ですが、だからといって正しくはありません(たいてい大間違いです)。

自動的な考え、あたりまえだと思っていることにまんまと騙されていることによって、苦しみが生まれていることに気づく必要があります。

「罪悪感」というイイモノが出てきたら、それこそが自分を無価値な小さなモノに感じさせていたワナだと気づき、逃がさないうちに着ぐるみをはいでしまいましょう。

着ぐるみのなかは ・・・ 誰もいない?!☆

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

19-02-15 ダメな私・・・と感じるとき

Q: 自己探求のワークをして、被害者になるのをやめようとしています。しかし、だんだん「人のせいにしていたんだ」という罪悪感が出てきてしまいます。

A: 罪悪感が出てきたら ・・・ まずは、喜びましょう!(笑)

それは、自分を解放するためのお宝が見つかったからです。

私たちの思考はかならず、自分に対してある結果(知覚)をもたらします。

思考の結果として、自分が「幸せ・安らぎ」を感じるのか、あるいは「苦しみ」を感じるのか ・・・ 「天国」or「地獄」という二つにひとつです。

つまり、安らぎ100パーで苦しみゼロ。あるいは、安らぎゼロで苦しみ100パー。

この2バージョンしか存在せず、中間のグレーゾーンはありません。「苦しみ」というインクは、一滴たらせばぜんぶ苦しみです!

そうなると、考えというものはちょっとキケンに感じられます。

でも、そのキケンにさらされないようにするためには、意識的に「気づく」ことが大切になってきます。

まずは、自分で自分を「苦しめる」思考の一つひとつに、正直に気づいてゆく段階が必要です(私たちは自分の考えに気づかず、日々、自分を虐待しています)。

今まで思考を無視して、ことなかれ主義をとってきた私たちにとって、自分の考えの間違いに一つづつ気づくということは、気がめいることでもあるかもしれません。

だから、「罪悪感」に出くわすとすぐさまビビってしまい、「ダメな私・・・」というさらなる罪悪感でそれ以上進めなくなってしまいます。

けれども、今はじめてそう感じたのではなく、ずっとそれを抱えながら生きていた、ということなのです。でも、まんまと隠蔽して、ないフリをしてきました(罪悪感はエゴの活力の源ですから、なくなってしまったら困るのですね)。

だから、ついに見つけたら「ラッキー☆」ということになります。間違いに気づかない限り、訂正はききません。

「こんな感覚をもっていたのか〜」と間違いに気づいて、手放すことができます。

間違いは間違いだと認めた時点で、おおかた手放せたようなものです。

だから、必要な第一歩は、「へえ〜・・・私ってこういう場面では、こんなふうに罪悪感を感じるんだ〜」と客観的に気づいて、

あらためて、「じゃあ、なぜそんなふうに感じる必要があるのだろう? 私はいったい自分をどういう存在だと信じているの?」と、さらに一歩探求をおし進めることができます。

たいてい、そこにはエゴが主張している自分像があります(小さくて、無価値でおびえている私というような)。

その答えがほんとうのことなのか? 理にかなっているのか? 高い意識の助けをかりながら冷静にながめてみましょう。

考えはつねに自動的ですが、だからといって正しくはありません(たいてい大間違いです)。

自動的な考え、あたりまえだと思っていることにまんまと騙されていることによって、苦しみが生まれていることに気づく必要があります。

「罪悪感」というイイモノが出てきたら、それこそが自分を無価値な小さなモノに感じさせていたワナだと気づき、逃がさないうちに着ぐるみをはいでしまいましょう。

着ぐるみのなかは ・・・ 誰もいない?!☆

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング