木曜日, 6月 4 2020

木曜日, 6月 4 2020

気づきの日記「怒り爆弾を投下しない」

 

Q: 自分にとって大切な人であるとわかっていても、どうしても相手を赦せないことがあります。怒りから関係を断ち切ってしまいたくなります。

A: 「怒り」とは、いったいなんでしょうか?

「怒り」が意味しているのは、あなたがしたことによって私をは傷ついた、それによって私は攻撃された、だから「あなたは罰せられるべき悪い人」で「私はよい人だ」ということ。

つまり、怒りは自分を「よい人」だと主張し、相手は「悪人」であるというレッテルをはりつけます。

相手に一方的にはりつけて「悪人(罪人)」のレッテルはほんとうに正しいのでしょうか?

このことの方が、相手への攻撃なのでは?!

自分は「よい人」であると主張する必要があるとしたら、じつは無意識のうちに「私は悪人にちがいない」と自分が信じているのでは?!

「わたしこそが悪人(罪人)」という思いを取り消すために、自分のかわりに誰かが「悪い人」になりかわる必要があると思っているのでは?!

エゴは誰かに間違いを見つけて、そこに怒りという爆弾をおとせば、自分は救われて相手を「悪い人」にすり換えることができると信じています。

つまり、怒りは自分のダメさから救われるための攻撃だ、ということです。

しかし、これがあまりに巧妙に行われているので、自分が怒りを感じているときに気づくことが難しくなっています。まるで怒ることこそが正当であるかのように錯覚してしまいます。

けれど・・・自分を「悪い人」と感じていないかぎり(こころに罪悪感がないかぎり)、怒りという爆弾を使おうとは思わないのです。愛と安らぎに満たされて幸せな自分をイメージしてみましょう。怒りなど感じたいとも思いません。

愛で満たされているときに(罪悪感がないときに)、自分が理解できない状況に遭遇したら、おそらく「これってどういうことかしら?」とそれを理解しようと近づくだけです。

起きていることに対する理解が欠けているだけだとわかっているからです。

でも、怒りという爆弾を投下するとき、そこに理解や近づく気などなく、ただ「失せろ!」と言っているのと同じなのですね。完全に関係を破壊して、消し去ろうとします。(問答無用で!)

なぜなら、自分の隠しもっていた「悪い人」を相手のなかに見て、相手が「悪い人」となったので、さっさと視界から消え去ってもらいたいからです。失せてほしいのです。

でも、たとえ人のなかに自分の隠していたものを見て切り離したとしても、自分のこころのなかにはまだ「私は悪い人だ」という想いはそのまま残っています。これでなくなりはしないのです。

怒りを感じたとき、すこし冷静になる習慣をつけましょう。

「あ、自分は今、相手に攻撃されたと信じて被害者になりたがっている」「自分のなかにイヤな感じが浮上してきているのを相手のせいにして、自分を誤摩化そうとしている」「相手のなかにあるものとして、切り離して終わりにしたいと思っている」、けれども「それをしてしまえば、自分のこころのなかの間違いを温存して自分を不幸にする」と気づいてみましょう。

じつは、その怒りこそ自分を困難から解放するためのサインだと気づくことができます。

なぜなら、自分の苦しみの元凶である「私は悪い」「価値がない」「ダメなんだ」という罪悪感の存在に気づかせてくれたからです。今こそ、それを手放すチャンスなのです。

怒りは、爆弾として相手に投げつけて破壊するのではなく、

ただハイヤーセルフに渡して、光のなかで消し去ってもらいましょう。「このような怒りは私がもちがいものではありません」「ほんとうの私ではありません」と。すると、「価値のない感覚」「ダメだという思い」とともに消してもらえます。

愛以外は必要のない感情で、ただ取り去るためのものです。せっせとハイヤーセルフとともにゴミ焼却場へと運ぶべきものです。

怒りが顔をのぞかせたら、すぐにゴミ出しできるようにならなければなりません。

自分が相手に投下した怒り爆弾は、いつか数倍返しでかならず自分に戻ってきます。そのとき、なぜ自分はこんなにツイていないのか、なぜこんなめにあうのか、どうして幸せになれないのか、といぶかるかもしれません。

そして再び起きていることに怒りを感じて、こころのゴミをためこむ同じパターンをたどるはめになります。

怒り(攻撃)こそが、どれだけ自分にふりかかる困難を多くするかに気づいてさえいたら、誰もがそんなに簡単に相手に対して怒りという爆弾をなげつけることはなくなることでしょう。

怒りと自分の経験する困難との相関関係が明らかでないので、怒っても自分の安全を確保しただけだと勘違いしてしまいます。

そうすることで自分の罪悪感を正当化して温存し、その罪悪感ゆえに自分を痛めつけることになります。

自分が幸せになりたかったら、自分のもの(自分の感情)は自分が責任をもって処理いたしましょう。それは、たんにゴミとして、ハイヤーセルフに手放す習慣をもつだけでよいのです。

怒り爆弾を投下してたったひとりでスッキリ感にひたるよりも、愛のなかで人とつながる安らぎや喜びを感じたいとお願いしてみましょう。

きっと、自分の日常のなかに嬉しいことや喜ばしいこと、愛がふえてゆくのに気づくことでしょう♡♡♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

20-06-04 怒り爆弾を投下しない

 

Q: 自分にとって大切な人であるとわかっていても、どうしても相手を赦せないことがあります。怒りから関係を断ち切ってしまいたくなります。

A: 「怒り」とは、いったいなんでしょうか?

「怒り」が意味しているのは、あなたがしたことによって私をは傷ついた、それによって私は攻撃された、だから「あなたは罰せられるべき悪い人」で「私はよい人だ」ということ。

つまり、怒りは自分を「よい人」だと主張し、相手は「悪人」であるというレッテルをはりつけます。

相手に一方的にはりつけて「悪人(罪人)」のレッテルはほんとうに正しいのでしょうか?

このことの方が、相手への攻撃なのでは?!

自分は「よい人」であると主張する必要があるとしたら、じつは無意識のうちに「私は悪人にちがいない」と自分が信じているのでは?!

「わたしこそが悪人(罪人)」という思いを取り消すために、自分のかわりに誰かが「悪い人」になりかわる必要があると思っているのでは?!

エゴは誰かに間違いを見つけて、そこに怒りという爆弾をおとせば、自分は救われて相手を「悪い人」にすり換えることができると信じています。

つまり、怒りは自分のダメさから救われるための攻撃だ、ということです。

しかし、これがあまりに巧妙に行われているので、自分が怒りを感じているときに気づくことが難しくなっています。まるで怒ることこそが正当であるかのように錯覚してしまいます。

けれど・・・自分を「悪い人」と感じていないかぎり(こころに罪悪感がないかぎり)、怒りという爆弾を使おうとは思わないのです。愛と安らぎに満たされて幸せな自分をイメージしてみましょう。怒りなど感じたいとも思いません。

愛で満たされているときに(罪悪感がないときに)、自分が理解できない状況に遭遇したら、おそらく「これってどういうことかしら?」とそれを理解しようと近づくだけです。

起きていることに対する理解が欠けているだけだとわかっているからです。

でも、怒りという爆弾を投下するとき、そこに理解や近づく気などなく、ただ「失せろ!」と言っているのと同じなのですね。完全に関係を破壊して、消し去ろうとします。(問答無用で!)

なぜなら、自分の隠しもっていた「悪い人」を相手のなかに見て、相手が「悪い人」となったので、さっさと視界から消え去ってもらいたいからです。失せてほしいのです。

でも、たとえ人のなかに自分の隠していたものを見て切り離したとしても、自分のこころのなかにはまだ「私は悪い人だ」という想いはそのまま残っています。これでなくなりはしないのです。

怒りを感じたとき、すこし冷静になる習慣をつけましょう。

「あ、自分は今、相手に攻撃されたと信じて被害者になりたがっている」「自分のなかにイヤな感じが浮上してきているのを相手のせいにして、自分を誤摩化そうとしている」「相手のなかにあるものとして、切り離して終わりにしたいと思っている」、けれども「それをしてしまえば、自分のこころのなかの間違いを温存して自分を不幸にする」と気づいてみましょう。

じつは、その怒りこそ自分を困難から解放するためのサインだと気づくことができます。

なぜなら、自分の苦しみの元凶である「私は悪い」「価値がない」「ダメなんだ」という罪悪感の存在に気づかせてくれたからです。今こそ、それを手放すチャンスなのです。

怒りは、爆弾として相手に投げつけて破壊するのではなく、

ただハイヤーセルフに渡して、光のなかで消し去ってもらいましょう。「このような怒りは私がもちがいものではありません」「ほんとうの私ではありません」と。すると、「価値のない感覚」「ダメだという思い」とともに消してもらえます。

愛以外は必要のない感情で、ただ取り去るためのものです。せっせとハイヤーセルフとともにゴミ焼却場へと運ぶべきものです。

怒りが顔をのぞかせたら、すぐにゴミ出しできるようにならなければなりません。

自分が相手に投下した怒り爆弾は、いつか数倍返しでかならず自分に戻ってきます。そのとき、なぜ自分はこんなにツイていないのか、なぜこんなめにあうのか、どうして幸せになれないのか、といぶかるかもしれません。

そして再び起きていることに怒りを感じて、こころのゴミをためこむ同じパターンをたどるはめになります。

怒り(攻撃)こそが、どれだけ自分にふりかかる困難を多くするかに気づいてさえいたら、誰もがそんなに簡単に相手に対して怒りという爆弾をなげつけることはなくなることでしょう。

怒りと自分の経験する困難との相関関係が明らかでないので、怒っても自分の安全を確保しただけだと勘違いしてしまいます。

そうすることで自分の罪悪感を正当化して温存し、その罪悪感ゆえに自分を痛めつけることになります。

自分が幸せになりたかったら、自分のもの(自分の感情)は自分が責任をもって処理いたしましょう。それは、たんにゴミとして、ハイヤーセルフに手放す習慣をもつだけでよいのです。

怒り爆弾を投下してたったひとりでスッキリ感にひたるよりも、愛のなかで人とつながる安らぎや喜びを感じたいとお願いしてみましょう。

きっと、自分の日常のなかに嬉しいことや喜ばしいこと、愛がふえてゆくのに気づくことでしょう♡♡♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング