月曜日, 8月 3 2020

月曜日, 8月 3 2020

気づきの日記「イヤな気分はものごとのせいじゃない」

 

Q: ある出来事からイヤな気分を引きづっています。まるで、こころにうっすらと雲がかかったように感じるのですが・・・。

A: イヤな気分に出くわすと、まず私たちがしようとするのは気分転換。あるいは、「私はぜんぜん大丈夫!」とまったく感じていないフリをすることも。

このような感情の抑圧や無視は、そのときはうまくいくように感じるかもしれません。が、遅かれ早かれ同じ気持ちが戻ってくることになり、自分の感情に対して手におえないという敗北や挫折を感じることになります。

じつは「イヤな気分」というのは、「なにかが間違っている」というお知らせにすぎません。そこでするべきことは、間違いを正すことだけです。

そして、「間違っているなにか」とは自分の考えのことです。イヤな気分を感じているというのは、どこかで自分の考えが間違ってしまった、ということなのです。

「気分」というのは、自分の考えの結果として感じられるものです。

私たちは「ものごと」そのものがイヤな気分をもたらしたのだ信じがちです。けれど、「ものごと」には意味はなく、まったく罪はありません。

ひとつの「ものごと」でも、人によって「よかったじゃない!」と喜ぶ人もいれば、「最低最悪!」と落ちこむ人もいるし、こころになんの印象を残さない人もいます。

それぞれが意味を与えているので、人の数だけ「ものごと」の意味があるといえます。

ならば、「ものごと」じたいがイヤな気分を引き起こす原因ではないとわかります。

イヤな気分になるとしたら、どこかで「自分を傷つける考え方」を採用してしまった、ということになります。そのものごとに、「自分を傷つけるような解釈」を与えてしまったのです。

そして、そのとき感じるイヤな気分こそが、いつ自分で自分を傷つけてしまったのかを教えてくれるブザーのような役割をはたしてくれています。

しかし、私たちはイヤな気分を感じたとたん、そそくさとそこから逃げ出したくなってしまうのです。

なぜなら、外からやってきたなにかが自分をイヤな気持ちにさせたのだと信じているから。さらなる攻撃にさらされないうちに、早くそこから逃げなくてはと感じるのです。

そうすると、せっかくのお知らせブザーもスルーされ、「間違い」を正すためのチャンスがまた見送られてしまうことになります。

私たちのエゴは、イヤな気分という怖れを使って、目のまえのことに自分を釘づけにしようと企んでいます。

イヤな気分と出来事をリンクさせることで、その出来事こそが自分にとって脅威であるように勘違いさせることができるからです。すると、それに怯えて、きゃ〜きゃ〜わ〜わ〜することで、怖れというエゴは肥大して力を増すことができるのです。

つまり、こころのなかにあった怖れの気持ちとまったく関係のない事柄をリンクさせ、さもコワイことが起こっているように偽造することで、こころのなかで怖れを解決することを阻止しているのです。

そして怖れが温存されることにより、ほんとうの自分を思い出すことができなくなります。

本当の自分を思い出すことができなければ、安らぎは決して感じることができなくなり、安らぎがなければ幸せになることはできません。

解決策は、イヤな気分になったときには、出来事はさておき、イヤな気分をしっかりととらえて、それに向き合うことです。

「なぜ、今、私はイヤな気分になったのか?」 ・・・ この反応が起こるまえにあった、間違った考え、自分を傷つけている考えを洗いだしてみましょう。

そして、それが真実であるのか、問いただしてみましょう。自分ではわからないときには、自分自身の高い自己に尋ねてみましょう。

つねに自分に優しくない考え方を採用することによって、、自分自身を攻撃していたことにただ気づいてみましょう。(攻撃されていれば、誰だってイヤな気分になってしまうのです。)

その間違った考え方はハイヤーセルフに委ねて、正しくものごとを解釈できるようにお願いします。

自分のなかにある愛を、間違った考えで歪めてしまわない限り、怖れに遭遇することはありません。愛だけで見ていれば、すべてはキケンではないのです。

そのような自分本来の愛ある見方ができるようになるために、イヤな気分を喜んで訂正の機会とすることができます。

イヤな気分がやってくるたびに、自分の知覚に間違ったフィルターがかかって正しく見られていないことに気づきましょう。そして、汚れたフィルターをお掃除する機会といたしましょう。

お掃除さえしていれば、光は自分のなかにあるので、なににつけてもただその光を外に放ってあげればよいだけとなります

光は愛そのものなので、すべてを愛のなかで見せてくれます。

あらゆるものを自分の光のなかであるがままに見るのか、あるいは自分の傷ついた考えをとおして痛みのフィルターで見るのか・・・

すべきことは、ただせっせとこころのフィルターのお掃除あるのみなのです。

あとは、もともとそこに輝いている光におまかせなのです☆☆☆

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

20-08-03 イヤな気分はものごとのせいじゃない

 

Q: ある出来事からイヤな気分を引きづっています。まるで、こころにうっすらと雲がかかったように感じるのですが・・・。

A: イヤな気分に出くわすと、まず私たちがしようとするのは気分転換。あるいは、「私はぜんぜん大丈夫!」とまったく感じていないフリをすることも。

このような感情の抑圧や無視は、そのときはうまくいくように感じるかもしれません。が、遅かれ早かれ同じ気持ちが戻ってくることになり、自分の感情に対して手におえないという敗北や挫折を感じることになります。

じつは「イヤな気分」というのは、「なにかが間違っている」というお知らせにすぎません。そこでするべきことは、間違いを正すことだけです。

そして、「間違っているなにか」とは自分の考えのことです。イヤな気分を感じているというのは、どこかで自分の考えが間違ってしまった、ということなのです。

「気分」というのは、自分の考えの結果として感じられるものです。

私たちは「ものごと」そのものがイヤな気分をもたらしたのだ信じがちです。けれど、「ものごと」には意味はなく、まったく罪はありません。

ひとつの「ものごと」でも、人によって「よかったじゃない!」と喜ぶ人もいれば、「最低最悪!」と落ちこむ人もいるし、こころになんの印象を残さない人もいます。

それぞれが意味を与えているので、人の数だけ「ものごと」の意味があるといえます。

ならば、「ものごと」じたいがイヤな気分を引き起こす原因ではないとわかります。

イヤな気分になるとしたら、どこかで「自分を傷つける考え方」を採用してしまった、ということになります。そのものごとに、「自分を傷つけるような解釈」を与えてしまったのです。

そして、そのとき感じるイヤな気分こそが、いつ自分で自分を傷つけてしまったのかを教えてくれるブザーのような役割をはたしてくれています。

しかし、私たちはイヤな気分を感じたとたん、そそくさとそこから逃げ出したくなってしまうのです。

なぜなら、外からやってきたなにかが自分をイヤな気持ちにさせたのだと信じているから。さらなる攻撃にさらされないうちに、早くそこから逃げなくてはと感じるのです。

そうすると、せっかくのお知らせブザーもスルーされ、「間違い」を正すためのチャンスがまた見送られてしまうことになります。

私たちのエゴは、イヤな気分という怖れを使って、目のまえのことに自分を釘づけにしようと企んでいます。

イヤな気分と出来事をリンクさせることで、その出来事こそが自分にとって脅威であるように勘違いさせることができるからです。すると、それに怯えて、きゃ〜きゃ〜わ〜わ〜することで、怖れというエゴは肥大して力を増すことができるのです。

つまり、こころのなかにあった怖れの気持ちとまったく関係のない事柄をリンクさせ、さもコワイことが起こっているように偽造することで、こころのなかで怖れを解決することを阻止しているのです。

そして怖れが温存されることにより、ほんとうの自分を思い出すことができなくなります。

本当の自分を思い出すことができなければ、安らぎは決して感じることができなくなり、安らぎがなければ幸せになることはできません。

解決策は、イヤな気分になったときには、出来事はさておき、イヤな気分をしっかりととらえて、それに向き合うことです。

「なぜ、今、私はイヤな気分になったのか?」 ・・・ この反応が起こるまえにあった、間違った考え、自分を傷つけている考えを洗いだしてみましょう。

そして、それが真実であるのか、問いただしてみましょう。自分ではわからないときには、自分自身の高い自己に尋ねてみましょう。

つねに自分に優しくない考え方を採用することによって、、自分自身を攻撃していたことにただ気づいてみましょう。(攻撃されていれば、誰だってイヤな気分になってしまうのです。)

その間違った考え方はハイヤーセルフに委ねて、正しくものごとを解釈できるようにお願いします。

自分のなかにある愛を、間違った考えで歪めてしまわない限り、怖れに遭遇することはありません。愛だけで見ていれば、すべてはキケンではないのです。

そのような自分本来の愛ある見方ができるようになるために、イヤな気分を喜んで訂正の機会とすることができます。

イヤな気分がやってくるたびに、自分の知覚に間違ったフィルターがかかって正しく見られていないことに気づきましょう。そして、汚れたフィルターをお掃除する機会といたしましょう。

お掃除さえしていれば、光は自分のなかにあるので、なににつけてもただその光を外に放ってあげればよいだけとなります

光は愛そのものなので、すべてを愛のなかで見せてくれます。

あらゆるものを自分の光のなかであるがままに見るのか、あるいは自分の傷ついた考えをとおして痛みのフィルターで見るのか・・・

すべきことは、ただせっせとこころのフィルターのお掃除あるのみなのです。

あとは、もともとそこに輝いている光におまかせなのです☆☆☆

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング