11月の「ヒプノセラピー体験セミナー」by 日本ヒプノセラピー協会 のご案内

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

10月の「ヒプノセラピー体験セミナー」が終了いたしました。

「ヒプノセラピーって、いったいなに?」、あるいは「ヒプノもこころのことも、まったくわからない」という方はもちろん、もう「ヒプノセラピーは受けちゃいましたけど」という方もご参加いただいております。

今回の体験セミナーは、「ヒプノセラピー」についても、また「こころのこと」についても、たくさんお勉強されたり、体験されているご参加者さんでしたので、ヒプノセラピーのご紹介というよりは、あれやこれやを楽しくおしゃべりする茶話会となりました。(´▽`*) ・・・というように毎回ご参加のみなさまにあわせて、かなり臨機応変に行っております。

さて次回11月は、早いもので今年最後の体験セミナーとなります。ヒプノセラピーについて知りたい方も、リラックス体験をされたい方も、ただ遊びにいらっしゃりたい方も、どうぞお気軽にご参加くださいませ。

【 ヒプノセラピー体験プチセミナー 10月 のご案内】

「ヒプノセラピーってなに?」「どんな効果があるの?」「誰にでもできるの?」「ほかのセラピーとどう違うの?」「セラピストになるには?」・・・

リラックスした雰囲気のなかで、ヒプノセラピーについてのあれこれを学びながら、実際に体験することができるプチセミナーです。日々の疲れがとれたり、あるいは、心について、自分自身について、新たな気づきがあるかもしれません。どなたでも、気軽にご参加ください♪

*内容
・ヒプノセラピーってなに? どんな効果があるの?
・ヒプノセラピーと他のセラピーの違いは?
・ヒプノにかからない人がいる? 誰にでもできるの?
・ヒプノセラピーはなぜそんなに効果的なの?
・リラックスできるヒプノセラピー、プチ体験
・ヒプノセラピストになりたいけど・・・養成コースについてもっと知りたい
・お茶を飲みながら、ヒプノセラピーなんでも Q&A

*日時 : 11月21日(火) 19:00~20:15

*場所 : 表参道(渋谷区)

*講師 : 古川貴子、酒井統子
(ヒプノセラピスト、日本ヒプノセラピー協会講師)

*参加料 : 2,000円(お茶とお菓子つき)
【お試し期間終了のため料金が変更となりました】

*お申し込み方法 → こちらのフォームからどうぞ

(「体験コース」参加希望とご記入のうえ、希望の日にちをご明記ください。)
追って詳細をお知らせさせていただきます。

ヒプノセラピーってなに? → こちらから
ヒプノセラピーを受けてみたい → こちらから
ヒプノセラピーを学んでみたい → こちらから(日本ヒプノセラピー協会サイト)

 

由美さん御殿でティータイム

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

そのむかし、六本木で用事をすませて、「るん」オフィスがあった青山まで歩いていると、途中にあらわれる白亜の建物に目をうばわれたものです。お城みたいな建物に、ドレスがずらり!なのです。

本日は、そのお城にてお茶をいただいてきました。桂由美ブライダルハウスにある カフェ ド ローズ

お友だちが、こちらのアフタヌーティーを見つけてくれたのです。なんたって私、ただいまお友だちを巻き込み、絶賛アフタヌーンティーのブーム中。こちらのはちょっとプチだけど、これでおひとり分です。

桂さんのサロンがパリにあるということで、おいしいクロワッサン2個、そしてこちらのオリジナルケーキが三種選べます(桂さんが愛されるバラがついています)。ポットのアールグレイとカフェラテをいただきました。

このあと夕食に行く私たちにとっては、ほどよいボリューム(じつはお昼をぬいて、気合いを入れてきました! 楽勝・笑)。

サロンは結婚式の打ち合わせの方もいらっしゃるけど、とても静か。サービスもほどよい感じです。

通りを見下ろすテーブルで、何時間もおしゃべりしてしまいそうです。

ちょっとした穴場カフェでした♪

 

 

17-10-12 機嫌のわるい相手、どう対処する?

クライエントのA子さんからのご質問。

「先生に教えて頂いた考え方、感情の扱い方のお陰で、大分穏やかな日々が送れています。しかし、感情的になっている相手を目の前にすると、つい感情的に応酬し、泥沼化してしまいます。どのように対処したらよいのでしょうか? 泣き喚いている子供や、体調が悪く攻撃的になっている夫に対してです」

感情を爆発させている、あるいは攻撃的になっている相手に対するマニュアル的な対処法はないのです。

なぜなら、そのときどきで相手が必要としていることは違うからです。

「静かにその場を離れるほうがいい」ときもあれば、「しっかりと目をあわせて相手の言いたいことを聞く」必要があるときもあるし、「ただ黙って、かたわらにいるだけ」でいいときもあります。

ただ、ひとつ言えることは、自分の痛みから反応するのか、あるいは自分の愛であるところから答えるのか ・・・ それは選択することができます。

この世界にあるもので、特定の意味をもっているものはありません。すべてのものはニュートラルです。

一見最初からくっついているように見えるその「意味」は、じつはすべて自分が与えているものです。つまり、「目にするすべては、自分のこころが反映したかたちで目に映る」というわけです。

今朝ニュースを見ていたら、東名高速で起きた追突事故を報じていました。どうやらその事故の発端は、サービスエリアでかけられた言葉、注意のひとことだったようです。おそらく、「そこに車を止めていると危ないから移動して」というようなことだったのでしょう。

客観的なその言葉の意味は、「移動が必要」、それだけです。でも、この男性にとってのこの言葉の意味は、「侮辱、攻撃」だったのでしょう。

どうやら、彼がももともと抑圧していた「痛み、自己嫌悪、価値がない感覚」にすぐに結びついてしまったようで、彼は猛スピードで追跡して、復讐を開始します。その結末がこの事故となったわけです。

この男性にとって「注意される」ということの意味は歪められ、「攻撃」「おとしめ」に結びつくような癒されていないこころの痛みがあったように見うけられます。

この出来事からもわかるように、私たちは「起こっていることに反応しているのではなく、自分のなかで信じていることに反応している」ことがわかります。

この場合は、「人からひどい扱いしか受けない自分」というストーリーがあり、強い口調で何か言われると、あ!また攻撃がきた!と「やられるまえにやっちゃえ」という反応が出てくるわけです。

自分のこころの痛みから見ると、「外で起きていることが、痛みの原因である」と信じてしまうのです。だから、つねに外側で起きていることを自分に対する攻撃ととらえ、すぐさま被害者になってしまい、反撃にでます。

でも本当のところは、「攻撃的な気持ちがなければ、外でどんなことが起こっていても自分にどのような影響も及ぼすことはない」ということなのです。

自分が癒されてくると、外側でどのようなことが起きていても、余計な意味をくっつけずにそのまま見られるようになります。

そして、その場でどのように行動するべきなのか ・・・ 自然にニュートラルな痛みのない気持ちで、愛のある行動をとることができます。

また、相手のひどい態度に対しても、「自分に対しての攻撃」とはとらなくなります。ただ、痛みを感じていて、ひどい気分なのね、と思うようになります。

なので、A子さんが外側のことで痛みを感じているのであれば、まず立ち止まること。

そして、「動揺している自分はエゴになっている。ズレているのだな」と気づき、自分の正気である高い意識とつながって、本当の自分(愛である自分)に戻してもらうようお願いし、本当のこと(これは攻撃ではないこと)が見られるように助けてもらいます。そして、必要な行動、対処を教えてもらいましょう。

相手の態度にホンロウされてしまうときには、相手に刺激されて自分の痛みがダダモレになっているというサインです。

自分のなかに癒されていない怒りがあるからこそ、相手のなかに怒りを見てしまいます。自分のなかに葛藤があるから、相手のなかにも葛藤を見てしまいます。

しかし、A子さんに限らず誰のなかにももれなく、怖れや罪の意識、無価値観などの痛みがかならず存在しています。しかし、それらはまだしっかりと封印されていて、一見なにも問題などなく、とても穏やかな幸せそうな人に見える場合もあります。

でも、いつかは(今回の人生ではないかもしれません)、それら向き合って、それらのお掃除をはじめなくてはならない日がやってきます。そうなると、それらがこころの表面に浮上してきて、それらの感情を感じることになります。

だから、A子さんは自分のこころが波立つたびに、「あ、私のなかの抑圧されていたものが顔をだしている!お片づけのチャンスだわ」とそれを自分の癒しに役立てることができます。永久に痛みからさよならするために(だから、ゆめゆめ、抵抗して押し戻しすことをしませんひょうに!)。

何度自分がズレてしまっても、そのたびごとに高い意識に正気に戻してもらうこと(はい、実際、根気がいります。一朝一夕にはいきません)。

そして「今、愛する気持ちで見るなら、何ができるのだろう?」と感じてみてください。

思うようにならずに泣き叫ぶお子さんには、「ただやさしく抱きしめてあげたい」と感じるかもしれないし、もう少し「丁寧にコミュニケーションしよう」と思うかもしれないし、「そのままやさしく見守るのがいい」とわかるかもしれません。

具合の悪さで攻撃的になっているだんなさまに対しても、ただ「私に何をしてほしい?」「どうしたら力になることができる?」と穏やかに尋ねることかもしれません。

いずれにしても、自分のこころが癒されることで、外はキケンなところではなくなります。

ハチャメチャになってしまっているときには、自力でどうにかしようと頑張ってしまうよりも、すぐに自分の強い味方である高い意識の手をとり、「ズレまくっています!本当の自分に戻してください」とお願いしてみましょう。

そして、そこから言葉を発する、行動を起こすときには、攻撃的なサイクルに足をとられることなく、愛ある方向に相手とともにすすむことができると思います。

A子さん、エゴは失敗したと思わせてさらにいやな気分にさせることをもくろんでいます。

なので、ひどい対応しちゃっても大丈夫、感情の処理をしつつ、高い意識におうかがいをたてながら、トライ&エラーです!

そして、さらに大切なことは、ご自分を責めないことです。そこで困ってしまっている、悲鳴をあげたいご自分の気持ちを、まずはやさしく聞いてあげてくださいね。♡♡♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「機嫌のわるい相手、どう対処する?」

クライエントのA子さんからのご質問。

「先生に教えて頂いた考え方、感情の扱い方のお陰で、大分穏やかな日々が送れています。しかし、感情的になっている相手を目の前にすると、つい感情的に応酬し、泥沼化してしまいます。どのように対処したらよいのでしょうか? 泣き喚いている子供や、体調が悪く攻撃的になっている夫に対してです」

感情を爆発させている、あるいは攻撃的になっている相手に対するマニュアル的な対処法はないのです。

なぜなら、そのときどきで相手が必要としていることは違うからです。

「静かにその場を離れるほうがいい」ときもあれば、「しっかりと目をあわせて相手の言いたいことを聞く」必要があるときもあるし、「ただ黙って、かたわらにいるだけ」でいいときもあります。

ただ、ひとつ言えることは、自分の痛みから反応するのか、あるいは自分の愛であるところから答えるのか ・・・ それは選択することができます。

この世界にあるもので、特定の意味をもっているものはありません。すべてのものはニュートラルです。

一見最初からくっついているように見えるその「意味」は、じつはすべて自分が与えているものです。つまり、「目にするすべては、自分のこころが反映したかたちで目に映る」というわけです。

今朝ニュースを見ていたら、東名高速で起きた追突事故を報じていました。どうやらその事故の発端は、サービスエリアでかけられた言葉、注意のひとことだったようです。おそらく、「そこに車を止めていると危ないから移動して」というようなことだったのでしょう。

客観的なその言葉の意味は、「移動が必要」、それだけです。でも、この男性にとってのこの言葉の意味は、「侮辱、攻撃」だったのでしょう。

どうやら、彼がももともと抑圧していた「痛み、自己嫌悪、価値がない感覚」にすぐに結びついてしまったようで、彼は猛スピードで追跡して、復讐を開始します。その結末がこの事故となったわけです。

この男性にとって「注意される」ということの意味は歪められ、「攻撃」「おとしめ」に結びつくような癒されていないこころの痛みがあったように見うけられます。

この出来事からもわかるように、私たちは「起こっていることに反応しているのではなく、自分のなかで信じていることに反応している」ことがわかります。

この場合は、「人からひどい扱いしか受けない自分」というストーリーがあり、強い口調で何か言われると、あ!また攻撃がきた!と「やられるまえにやっちゃえ」という反応が出てくるわけです。

自分のこころの痛みから見ると、「外で起きていることが、痛みの原因である」と信じてしまうのです。だから、つねに外側で起きていることを自分に対する攻撃ととらえ、すぐさま被害者になってしまい、反撃にでます。

でも本当のところは、「攻撃的な気持ちがなければ、外でどんなことが起こっていても自分にどのような影響も及ぼすことはない」ということなのです。

自分が癒されてくると、外側でどのようなことが起きていても、余計な意味をくっつけずにそのまま見られるようになります。

そして、その場でどのように行動するべきなのか ・・・ 自然にニュートラルな痛みのない気持ちで、愛のある行動をとることができます。

また、相手のひどい態度に対しても、「自分に対しての攻撃」とはとらなくなります。ただ、痛みを感じていて、ひどい気分なのね、と思うようになります。

なので、A子さんが外側のことで痛みを感じているのであれば、まず立ち止まること。

そして、「動揺している自分はエゴになっている。ズレているのだな」と気づき、自分の正気である高い意識とつながって、本当の自分(愛である自分)に戻してもらうようお願いし、本当のこと(これは攻撃ではないこと)が見られるように助けてもらいます。そして、必要な行動、対処を教えてもらいましょう。

相手の態度にホンロウされてしまうときには、相手に刺激されて自分の痛みがダダモレになっているというサインです。

自分のなかに癒されていない怒りがあるからこそ、相手のなかに怒りを見てしまいます。自分のなかに葛藤があるから、相手のなかにも葛藤を見てしまいます。

しかし、A子さんに限らず誰のなかにももれなく、怖れや罪の意識、無価値観などの痛みがかならず存在しています。しかし、それらはまだしっかりと封印されていて、一見なにも問題などなく、とても穏やかな幸せそうな人に見える場合もあります。

でも、いつかは(今回の人生ではないかもしれません)、それら向き合って、それらのお掃除をはじめなくてはならない日がやってきます。そうなると、それらがこころの表面に浮上してきて、それらの感情を感じることになります。

だから、A子さんは自分のこころが波立つたびに、「あ、私のなかの抑圧されていたものが顔をだしている!お片づけのチャンスだわ」とそれを自分の癒しに役立てることができます。永久に痛みからさよならするために(だから、ゆめゆめ、抵抗して押し戻しすことをしませんひょうに!)。

何度自分がズレてしまっても、そのたびごとに高い意識に正気に戻してもらうこと(はい、実際、根気がいります。一朝一夕にはいきません)。

そして「今、愛する気持ちで見るなら、何ができるのだろう?」と感じてみてください。

思うようにならずに泣き叫ぶお子さんには、「ただやさしく抱きしめてあげたい」と感じるかもしれないし、もう少し「丁寧にコミュニケーションしよう」と思うかもしれないし、「そのままやさしく見守るのがいい」とわかるかもしれません。

具合の悪さで攻撃的になっているだんなさまに対しても、ただ「私に何をしてほしい?」「どうしたら力になることができる?」と穏やかに尋ねることかもしれません。

いずれにしても、自分のこころが癒されることで、外はキケンなところではなくなります。

ハチャメチャになってしまっているときには、自力でどうにかしようと頑張ってしまうよりも、すぐに自分の強い味方である高い意識の手をとり、「ズレまくっています!本当の自分に戻してください」とお願いしてみましょう。

そして、そこから言葉を発する、行動を起こすときには、攻撃的なサイクルに足をとられることなく、愛ある方向に相手とともにすすむことができると思います。

A子さん、エゴは失敗したと思わせてさらにいやな気分にさせることをもくろんでいます。

なので、ひどい対応しちゃっても大丈夫、感情の処理をしつつ、高い意識におうかがいをたてながら、トライ&エラーです!

そして、さらに大切なことは、ご自分を責めないことです。そこで困ってしまっている、悲鳴をあげたいご自分の気持ちを、まずはやさしく聞いてあげてくださいね。♡♡♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

17-10-10 永い言い訳

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

長い ・・・ じゃなくって、永い ・・・ 言い訳って? と、DVD屋さんで気になり手にとった一本。

「永い」理由って? ・・・ 言い訳を言いたい人が、今ではとどかぬほど遠くにいってしまったら、永くなる? あるいは、永〜く永遠に言い訳しつづけなければならないほど、うしろめたい?

言い訳をしたいときは、いつだってうしろろめたいとき。うしろめたさが強ければ強いほど、言い訳は長くなり。けれど、本当に言い訳を言いたい相手、受け入れてほしい相手とは、じつは自分自身なのですよね。

作家である主人公の幸夫(本木雅弘)は、浮気をしているまっただ中に奥さんを事故でなくします。どうにもならない後ろめたさを背負いこみ、なおかつ本来の癒されていない自己の複雑さもあり、まったく自分と折りあいがついていません。だから泣けません・・・。



そんなふうに自分を自分で認めていないせいで、まわりの人にあたりまくるし。そのうちなりゆきで、事故で亡くなった奥さんの友人のこどもたちの世話をすることになり ・・・。

いくつかシーンで印象に残ったのは、ドアがバタン!と閉まる音。

これはまさに、その人物が「もう、ムリ!それ以上近づかないで」と言っているような、自分から相手を切り離す音。登場人物がいっぱいいっぱいになると、バタン!と自分のこころのなかに逃げこむ音がするのです。

そして、たどたどしくって、どこかなつかしいピアノの背景音。

登場人物の不器用さ、一生懸命さとかさなって、愛おしさを感じる旋律です。

こんなピアノの背景音は、是枝監督の「そして父になる」と重なります。観ているうちに、いつのまにか是枝さんの作品かと思ってしまいました(モっくんが福山さんに見えてくるし・・・汗)。あとで知ったのですが、この原作・脚本・監督をつとめられている西川美和さんは是枝監督のもとにいらした方だったのですね。どうりで、是枝監督臭(笑)がぷんぷんします。

幸夫がこどもに話しかけるシーンがあります。これは彼が自分に言い聞かせているセリフです。

「愛してくれるものを、ないがしろにしたり、みくびってはいけない。離れるときは一瞬だ」と。

ホント、愛って慢性的になってしまうと、透明になってしまって、そのありがたさも、貴さも、大きさもわからなくなり、感謝するどころか、そのやさしさに甘えて自分の痛みをおもいっきりぶつけてしまうことがあります。相手が傷ついていることを知ることもできず。 ・・・ こころに残るひとことでした。

涙壷度:★★★☆☆(こういう話しにこどもを持ち出したら泣けること必至じゃないですかっ!反則ですぞ)

PS こどもとともに覚醒してゆく幸夫くんの姿がカワイイ♡

 

 

お茶の間シネマトーク「永い言い訳」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

長い ・・・ じゃなくって、永い ・・・ 言い訳って? と、DVD屋さんで気になり手にとった一本。

「永い」理由って? ・・・ 言い訳を言いたい人が、今ではとどかぬほど遠くにいってしまったら、永くなる? あるいは、永〜く永遠に言い訳しつづけなければならないほど、うしろめたい?

言い訳をしたいときは、いつだってうしろろめたいとき。うしろめたさが強ければ強いほど、言い訳は長くなり。けれど、本当に言い訳を言いたい相手、受け入れてほしい相手とは、じつは自分自身なのですよね。

作家である主人公の幸夫(本木雅弘)は、浮気をしているまっただ中に奥さんを事故でなくします。どうにもならない後ろめたさを背負いこみ、なおかつ本来の癒されていない自己の複雑さもあり、まったく自分と折りあいがついていません。だから泣けません・・・。



そんなふうに自分を自分で認めていないせいで、まわりの人にあたりまくるし。そのうちなりゆきで、事故で亡くなった奥さんの友人のこどもたちの世話をすることになり ・・・。

いくつかシーンで印象に残ったのは、ドアがバタン!と閉まる音。

これはまさに、その人物が「もう、ムリ!それ以上近づかないで」と言っているような、自分から相手を切り離す音。登場人物がいっぱいいっぱいになると、バタン!と自分のこころのなかに逃げこむ音がするのです。

そして、たどたどしくって、どこかなつかしいピアノの背景音。

登場人物の不器用さ、一生懸命さとかさなって、愛おしさを感じる旋律です。

こんなピアノの背景音は、是枝監督の「そして父になる」と重なります。観ているうちに、いつのまにか是枝さんの作品かと思ってしまいました(モっくんが福山さんに見えてくるし・・・汗)。あとで知ったのですが、この原作・脚本・監督をつとめられている西川美和さんは是枝監督のもとにいらした方だったのですね。どうりで、是枝監督臭(笑)がぷんぷんします。

幸夫がこどもに話しかけるシーンがあります。これは彼が自分に言い聞かせているセリフです。

「愛してくれるものを、ないがしろにしたり、みくびってはいけない。離れるときは一瞬だ」と。

ホント、愛って慢性的になってしまうと、透明になってしまって、そのありがたさも、貴さも、大きさもわからなくなり、感謝するどころか、そのやさしさに甘えて自分の痛みをおもいっきりぶつけてしまうことがあります。相手が傷ついていることを知ることもできず。 ・・・ こころに残るひとことでした。

涙壷度:★★★☆☆(こういう話しにこどもを持ち出したら泣けること必至じゃないですかっ!反則ですぞ)

PS こどもとともに覚醒してゆく幸夫くんの姿がカワイイ♡

 

 

17-10-07 ドリーム

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

アメリカが有人飛行計画で、ソ連に遅れをとるまいとしのぎを削っていた '60年のはじめ。それはまだ人の手にその膨大な計算をたよっていた時代。

そんな状況下、NASAでアポロ計画へと続く有人飛行計画をささえた影なる優秀な人物、三人の黒人女性の存在があったのです。

人種差別というハンディを背負いながらも日々奮闘する彼女たちの姿を描いた、実話をもとにしたストーリーです(原作「Hidden figures」)。

黒人社会で天才とうたわれた彼女たち。しかし、ところ変われば天国と地獄! ただでさえ、女性が男性と対等に働くことがまだまだ難しかった時代に、黒人という大きなハンディキャップは、当然輝けるはずの場をことごとくを奪ってゆくのです。

白人男性ばかりがぎっしり詰まった職場に配属された日、部屋に足を踏み入れるなり、あの異様なものを見るような冷たい目線といったら。そのうえ、お掃除のオバサンとしか見られずゴミをおしつけられ・・・。

また、「彼女は毎日40分も席にいないが何をしているんだ?」と上司がいぶかる事態が発生。 ・・・ じつは、雨の日も風の日も、「非白人女性」用トイレを求めて800m先のビルまでハイヒールで全力疾走する毎日。差別はこれだけにとどまりません。

こんなツライ状況に、ついにキレて感情を爆発させてしまうシーンでは、彼女と一緒に涙せずにはいられませんでした。

差別を解消するには「能力があっても何も変わらない。闘うしかないんだ」という見方もあるなか、彼女たちはひたすら正直に向き合うことと、そして女性ならではの柔軟さで、ついには信頼を勝ち取り、そのポジションをゆるぎないものにしてゆきます。

でも、彼女たちはただただ仕事に打ち込みすべてを犠牲にしてしまうようなキャリア志向の女性ではなく、シングルマザーで子育てをしていたり、恋愛中だったり ・・・ キャリアというものが生活のなかで切り離されているのではなく、とても自然に自分の生きる道をひとつになっている感じがします。

ちょっと仕事で行き詰まっている方、前向きなパワーを感じたい方、オススメです!

涙壷度:★★☆☆☆(いつだって、魂の叫びには心が動かされます)

それにしても、'60年代のアメリカでさえ、まだこんな状況だったのだな〜 ・・・ 世の中というのはなかなか変わらないようでありながらも、50年余でもどんどん意識が変化しているのを感じます。

ここからまた50年たったら ・・・ 2017年って、あんなヘンなことしてたのね〜、あんなおかしな考えしてたのね、あんなに不自由だったのね、ということになるのでしょうね(残念ながら、見られそうにありません・・・汗)。

 

 

お茶の間シネマトーク「ドリーム」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

アメリカが有人飛行計画で、ソ連に遅れをとるまいとしのぎを削っていた '60年のはじめ。それはまだ人の手にその膨大な計算をたよっていた時代。

そんな状況下、NASAでアポロ計画へと続く有人飛行計画をささえた影なる優秀な人物、三人の黒人女性の存在があったのです。

人種差別というハンディを背負いながらも日々奮闘する彼女たちの姿を描いた、実話をもとにしたストーリーです(原作「Hidden figures」)。

黒人社会で天才とうたわれた彼女たち。しかし、ところ変われば天国と地獄! ただでさえ、女性が男性と対等に働くことがまだまだ難しかった時代に、黒人という大きなハンディキャップは、当然輝けるはずの場をことごとくを奪ってゆくのです。

白人男性ばかりがぎっしり詰まった職場に配属された日、部屋に足を踏み入れるなり、あの異様なものを見るような冷たい目線といったら。そのうえ、お掃除のオバサンとしか見られずゴミをおしつけられ・・・。

また、「彼女は毎日40分も席にいないが何をしているんだ?」と上司がいぶかる事態が発生。 ・・・ じつは、雨の日も風の日も、「非白人女性」用トイレを求めて800m先のビルまでハイヒールで全力疾走する毎日。差別はこれだけにとどまりません。

こんなツライ状況に、ついにキレて感情を爆発させてしまうシーンでは、彼女と一緒に涙せずにはいられませんでした。

差別を解消するには「能力があっても何も変わらない。闘うしかないんだ」という見方もあるなか、彼女たちはひたすら正直に向き合うことと、そして女性ならではの柔軟さで、ついには信頼を勝ち取り、そのポジションをゆるぎないものにしてゆきます。

でも、彼女たちはただただ仕事に打ち込みすべてを犠牲にしてしまうようなキャリア志向の女性ではなく、シングルマザーで子育てをしていたり、恋愛中だったり ・・・ キャリアというものが生活のなかで切り離されているのではなく、とても自然に自分の生きる道をひとつになっている感じがします。

ちょっと仕事で行き詰まっている方、前向きなパワーを感じたい方、オススメです!

涙壷度:★★☆☆☆(いつだって、魂の叫びには心が動かされます)

それにしても、'60年代のアメリカでさえ、まだこんな状況だったのだな〜 ・・・ 世の中というのはなかなか変わらないようでありながらも、50年余でもどんどん意識が変化しているのを感じます。

ここからまた50年たったら ・・・ 2017年って、あんなヘンなことしてたのね〜、あんなおかしな考えしてたのね、あんなに不自由だったのね、ということになるのでしょうね(残念ながら、見られそうにありません・・・汗)。

 

 

17-09-30 目にしていることに誤摩化されない!

「以前、家族の一人とのあいだでいさかいがあり、暴力がからむ恐ろしい体験をしました(いさかいというより、一方的に理不尽な暴力をふるわれました)。以後、その家族とは疎遠になり安心したものの、わずかでも影がちらつくとおびえてしまう自分がいます。また同じような悪いことが起こるのではないかと、自分が怖れにのっとられ怯えているのを感じます。そして、未来に不安を感じるのです」と、クライエントのAさん。

ふつうのカウンセリングだと、その相手への対処法を検討したり、自分のなかで怖れを感じないようにするために話しあうかもしれません。また、セラピーだったら、その家族とのあいだに起こったことを再現して、大丈夫だと感じられるまでその場面を何度も再体験するかもしません。

問題の解決方法として、じつはどちらの場合も大きな間違いがあります。そうなると、これはいくら話しあったとしても、セッションをかさねたとしても、解決をみることはなくなってしまいます。そもそも間違っているから ・・・。

その家族との間で起こっている問題を解決しようとしておかしてしまう、カウンセリングやセラピーにおけるミスとは何でしょうか?

それは、問題を外にいる誰か(この場合は、家族のひとり)が原因であるとみなしてしまうことです。相手はひどいことをする加害者であることが前提となっていて、自分はある意味では可哀想な被害者というポジションにおさまることです。

相手が悪くて、私は困らされている ・・・と。

しかし、問題を解決するうえで唯一はずせないポイントとは、「どんなことでも自分の外にあることとして見ない」ということなのです。

どんなことが起こっていようが、どのような問題がそこにあろうが、たとえそれがどんなに外からやってきているように見えたとしても、「常に問題は外にはない」ということです。ゆえに、私たちは決して問題の被害者になることはないのです。だから、被害者になってはいけないのです。そうなってしまうと、そこで問題を解決することが決定的に困難になります。

夜寝ているときに見ている夢が自分のこころのなかで起きているように、そして白昼夢や空想も自分のこころのなかで起きているように、またここで見ている世界(反芻している過去、さっき起こった出来事)もまったく同じように自分のこころのなかで起きています。

夜の夢のなかで、どんなに家族からひどいことをされたとしても、そのために実際の相手から自分を防御したり、相手から逃れる方法を真剣に考えたり、いろいろな手だてを講じてもなんの意味もありません。

そして、今ここでも、自分の見ている世界(じつはこれは、自分のこころをのぞきこんでいるといってもいいのですが)でどんな不都合が起きたとしても、それはつねに今の瞬間のことではなく、過去のイメージを見ているにすぎません。たった今は、今、この瞬間だけです。そして、今、この瞬間だけが真実です。

その過去のイメージは、夢のイメージとまったく同じなのです。こころのなかで起きているだけです。だから、そのイメージに必死で抵抗する必要などない、ということなのです。 ・・・ こころが紡ぐただのイメージなのですから。

自分が思っている「過去に自分がされたこと」は、どこを探しても今には存在していません。自分のこころのなか、たった今の自分のこころのなか以外には。

そう、すべては自分のこころのなかなのです。

自分のこころのなかにそのイメージを保持し続ける、ずっと忘れないでそのイメージを反芻する、たったこの瞬間もそれを手放したくない(たとえ、ただのイメージだとしても)、今それを味わうことをしている ・・・ ということには、じつは自分自身に対するあるトリックがはたらいています。

ほんとうは、そのイメージなんかどうでもよくって、そこにくっついている、そこで湧き上がってくる「感情」こそが問題なのです。

この場合だと、「怖れ」です。 ・・・・ 攻撃されるかもしれない、傷つけられるかもしれない怖れ、とんでもないことが起こる「怖れ」。

そして、私たち誰もが、「怖れ」を抱いています。それは、何かにやっつけられちゃう怖れ。それは、自分のなかにあるこんな思いのあらわれです。

「私は悪いやつなのだ(自分で信じている)。だから、攻撃されてボコボコにされてあたりまえ。私が必死に逃げまわっている大いなる力(神・源)は、いつか私を見つけだして私を成敗するだろう(なんたって、私は悪いやつだから)。そうなるまえに、どうにかしなくては・・・。そうだ、悲惨な被害者になっているのを見れば、もう成敗をあきらめてくれるかもしれない。よし、だったら、やられるまえにやられちゃてる自分になっちゃえばいいのだ。手っ取り早く誰か加害者を仕立て上げなくては。誰でもいい、手頃な人を探そう。そこでのストーリーは、なるべく悲惨にしなくては。悲惨なふりをすれば赦されるだろう」

私たちはこの「攻撃される怖れ」を使って、妥当な被害者ストーリーをでっちあげ、自ら体験します。そうすることで、『本当の怖れの原因』(じつは、自分を悪いやつだと思っていたこと)を忘れ去ってしまいます。

そして、いつもたくみに目のまえにいる人を加害者に仕立てて、「あなたのせいで、私はこんなにひどい気持ちになっているし、あなたのせいで、私の人生はめちゃくちゃなの」と、ちゃっかりとかわいそうな被害者におさまります。

もっとも厄介なことは、そのように被害者ストーリーを自分が仕組んだはずなのに、いつのまにか自分ではもはや、何がどうなってそうなったのか、さっぱりわからなくなってしまっている・・・ ということです。

加害者に意識を集中して、被害者を全力でやっているうちに、それが本当のことだと自分でも信じてしまったというわけです。

こうなると、もはや、本当の問題の原因がわからなくなってしまいました。すると、まったく見当違いの方向で問題の見立てをして、見当違いのところで問題の解決策を探すことになります。

結局のところ、癒さなければならないのは「私は悪いやつです。だから苦しんであたりまえなのです」という「罪悪感」と「怖れ」そのものです。

この怖れによって、私たちは病気を怖れたり、自分の将来を怖れたり、失敗を怖れたり、別離を怖れたり、あらゆるバージョンの怖れへと姿を変えます。・・・が、このどれもが、先ほども書いたように自分が思っているような理由の怖れではない、ということなのです。

だから、自分のこころのなかに抑圧して見えないようにしている「罪悪感」と「怖れ」を認識できるようにして、解放することが重要なのです。

「罪悪感」と「怖れ」を認識できるようにするとは、日々の「問題」というかたちで現れているものをしっかりと見ることです。問題とは、見えなくなっていた「罪悪感」と「怖れ」が認識できるレベルで表現されていることに他なりません。

だから、まんまと被害者になってしまうことなく、長らく抑圧されていたすべての問題の原因となっている「罪悪感」と「怖れ」が目に見えるかたちになって姿をあらわしていることを歓迎して、自分で責任をとって、しっかりとお片づけの態勢に入ることが大切です。

そして、お片づけこそ、その「罪悪感」と「怖れ」に欺かれることなく、本来の自分とはまったく関係のないものとして、高い意識にもっていってもらうことなのです。

たとえば、この問題の場合だったら ・・・

「家族とのあいだで感じている怖れは、相手のせいで感じているものではありません。これは、たった今、私が握りしめてきた怖れを再び感じているにすぎません。しかし、これは私のものではありません、手放したいです。私のこころから、この間違った怖れを取り去って、もっていってください」

こんなふうに高い意識にお願いしてみてください。

自分でやらなくても大丈夫!ただ助けを求めてみましょう。小さなエゴでどうにかしようとする習慣こそが、災いをもたらしてきました。より問題を複雑にしてきました。

しなければならないことはシンプルです。感じている感情は抵抗なく受け入れて、あとは自分の本性である大いなる力にすべてを委ねてみましょう。まるごともって行ってもらいましょう!

こうして「怖れ」や「罪悪感」が片付けられてなくなってくると、ムダに自分を傷つけることが少なくなるし、逆に自分を楽しませ、もてなしてくれる世界が見えるようになってきます。世界が自分に対して優しくなるのです♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「目にしていることに誤摩化されない!」

「以前、家族の一人とのあいだでいさかいがあり、暴力がからむ恐ろしい体験をしました(いさかいというより、一方的に理不尽な暴力をふるわれました)。以後、その家族とは疎遠になり安心したものの、わずかでも影がちらつくとおびえてしまう自分がいます。また同じような悪いことが起こるのではないかと、自分が怖れにのっとられ怯えているのを感じます。そして、未来に不安を感じるのです」と、クライエントのAさん。

ふつうのカウンセリングだと、その相手への対処法を検討したり、自分のなかで怖れを感じないようにするために話しあうかもしれません。また、セラピーだったら、その家族とのあいだに起こったことを再現して、大丈夫だと感じられるまでその場面を何度も再体験するかもしません。

問題の解決方法として、じつはどちらの場合も大きな間違いがあります。そうなると、これはいくら話しあったとしても、セッションをかさねたとしても、解決をみることはなくなってしまいます。そもそも間違っているから ・・・。

その家族との間で起こっている問題を解決しようとしておかしてしまう、カウンセリングやセラピーにおけるミスとは何でしょうか?

それは、問題を外にいる誰か(この場合は、家族のひとり)が原因であるとみなしてしまうことです。相手はひどいことをする加害者であることが前提となっていて、自分はある意味では可哀想な被害者というポジションにおさまることです。

相手が悪くて、私は困らされている ・・・と。

しかし、問題を解決するうえで唯一はずせないポイントとは、「どんなことでも自分の外にあることとして見ない」ということなのです。

どんなことが起こっていようが、どのような問題がそこにあろうが、たとえそれがどんなに外からやってきているように見えたとしても、「常に問題は外にはない」ということです。ゆえに、私たちは決して問題の被害者になることはないのです。だから、被害者になってはいけないのです。そうなってしまうと、そこで問題を解決することが決定的に困難になります。

夜寝ているときに見ている夢が自分のこころのなかで起きているように、そして白昼夢や空想も自分のこころのなかで起きているように、またここで見ている世界(反芻している過去、さっき起こった出来事)もまったく同じように自分のこころのなかで起きています。

夜の夢のなかで、どんなに家族からひどいことをされたとしても、そのために実際の相手から自分を防御したり、相手から逃れる方法を真剣に考えたり、いろいろな手だてを講じてもなんの意味もありません。

そして、今ここでも、自分の見ている世界(じつはこれは、自分のこころをのぞきこんでいるといってもいいのですが)でどんな不都合が起きたとしても、それはつねに今の瞬間のことではなく、過去のイメージを見ているにすぎません。たった今は、今、この瞬間だけです。そして、今、この瞬間だけが真実です。

その過去のイメージは、夢のイメージとまったく同じなのです。こころのなかで起きているだけです。だから、そのイメージに必死で抵抗する必要などない、ということなのです。 ・・・ こころが紡ぐただのイメージなのですから。

自分が思っている「過去に自分がされたこと」は、どこを探しても今には存在していません。自分のこころのなか、たった今の自分のこころのなか以外には。

そう、すべては自分のこころのなかなのです。

自分のこころのなかにそのイメージを保持し続ける、ずっと忘れないでそのイメージを反芻する、たったこの瞬間もそれを手放したくない(たとえ、ただのイメージだとしても)、今それを味わうことをしている ・・・ ということには、じつは自分自身に対するあるトリックがはたらいています。

ほんとうは、そのイメージなんかどうでもよくって、そこにくっついている、そこで湧き上がってくる「感情」こそが問題なのです。

この場合だと、「怖れ」です。 ・・・・ 攻撃されるかもしれない、傷つけられるかもしれない怖れ、とんでもないことが起こる「怖れ」。

そして、私たち誰もが、「怖れ」を抱いています。それは、何かにやっつけられちゃう怖れ。それは、自分のなかにあるこんな思いのあらわれです。

「私は悪いやつなのだ(自分で信じている)。だから、攻撃されてボコボコにされてあたりまえ。私が必死に逃げまわっている大いなる力(神・源)は、いつか私を見つけだして私を成敗するだろう(なんたって、私は悪いやつだから)。そうなるまえに、どうにかしなくては・・・。そうだ、悲惨な被害者になっているのを見れば、もう成敗をあきらめてくれるかもしれない。よし、だったら、やられるまえにやられちゃてる自分になっちゃえばいいのだ。手っ取り早く誰か加害者を仕立て上げなくては。誰でもいい、手頃な人を探そう。そこでのストーリーは、なるべく悲惨にしなくては。悲惨なふりをすれば赦されるだろう」

私たちはこの「攻撃される怖れ」を使って、妥当な被害者ストーリーをでっちあげ、自ら体験します。そうすることで、『本当の怖れの原因』(じつは、自分を悪いやつだと思っていたこと)を忘れ去ってしまいます。

そして、いつもたくみに目のまえにいる人を加害者に仕立てて、「あなたのせいで、私はこんなにひどい気持ちになっているし、あなたのせいで、私の人生はめちゃくちゃなの」と、ちゃっかりとかわいそうな被害者におさまります。

もっとも厄介なことは、そのように被害者ストーリーを自分が仕組んだはずなのに、いつのまにか自分ではもはや、何がどうなってそうなったのか、さっぱりわからなくなってしまっている・・・ ということです。

加害者に意識を集中して、被害者を全力でやっているうちに、それが本当のことだと自分でも信じてしまったというわけです。

こうなると、もはや、本当の問題の原因がわからなくなってしまいました。すると、まったく見当違いの方向で問題の見立てをして、見当違いのところで問題の解決策を探すことになります。

結局のところ、癒さなければならないのは「私は悪いやつです。だから苦しんであたりまえなのです」という「罪悪感」と「怖れ」そのものです。

この怖れによって、私たちは病気を怖れたり、自分の将来を怖れたり、失敗を怖れたり、別離を怖れたり、あらゆるバージョンの怖れへと姿を変えます。・・・が、このどれもが、先ほども書いたように自分が思っているような理由の怖れではない、ということなのです。

だから、自分のこころのなかに抑圧して見えないようにしている「罪悪感」と「怖れ」を認識できるようにして、解放することが重要なのです。

「罪悪感」と「怖れ」を認識できるようにするとは、日々の「問題」というかたちで現れているものをしっかりと見ることです。問題とは、見えなくなっていた「罪悪感」と「怖れ」が認識できるレベルで表現されていることに他なりません。

だから、まんまと被害者になってしまうことなく、長らく抑圧されていたすべての問題の原因となっている「罪悪感」と「怖れ」が目に見えるかたちになって姿をあらわしていることを歓迎して、自分で責任をとって、しっかりとお片づけの態勢に入ることが大切です。

そして、お片づけこそ、その「罪悪感」と「怖れ」に欺かれることなく、本来の自分とはまったく関係のないものとして、高い意識にもっていってもらうことなのです。

たとえば、この問題の場合だったら ・・・

「家族とのあいだで感じている怖れは、相手のせいで感じているものではありません。これは、たった今、私が握りしめてきた怖れを再び感じているにすぎません。しかし、これは私のものではありません、手放したいです。私のこころから、この間違った怖れを取り去って、もっていってください」

こんなふうに高い意識にお願いしてみてください。

自分でやらなくても大丈夫!ただ助けを求めてみましょう。小さなエゴでどうにかしようとする習慣こそが、災いをもたらしてきました。より問題を複雑にしてきました。

しなければならないことはシンプルです。感じている感情は抵抗なく受け入れて、あとは自分の本性である大いなる力にすべてを委ねてみましょう。まるごともって行ってもらいましょう!

こうして「怖れ」や「罪悪感」が片付けられてなくなってくると、ムダに自分を傷つけることが少なくなるし、逆に自分を楽しませ、もてなしてくれる世界が見えるようになってきます。世界が自分に対して優しくなるのです♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング