9月の「ヒプノセラピー体験セミナー」by 日本ヒプノセラピー協会 のご案内

新しい 一般社団法人 としての 日本ヒプノセラピー協会に生まれかわってから、早いもので三回もの「ヒプノセラピー体験セミナー」が無事終了いたしました。

毎回、ご参加のみなさまから 「プチセミナーといえども、とても満足できました」「簡単に深いリラクゼーションにはいることができました」「よくわからない感じだったヒプノセラピーのイメージが変わりました」「またリピートしたいです」 ・・・ とご好評をいただいています。

「ヒプノってなに?」「リッラクスしてみたいな」という方、是非、お気軽にご参加になってみてください。心地よいヒプノ体験とともに、少しこころが軽くなり、ヒプノセラピーの効果を実感していただけることと思います。

【ヒプノセラピー 体験プチセミナー 9月 のご案内】

「ヒプノセラピーってなに?」「どんな効果があるの?」「誰にでもできるの?」「ほかのセラピーとどう違うの?」「セラピストになるには?」・・・

リラックスした雰囲気のなかで、ヒプノセラピーについてのあれこれを学びながら、実際に体験することができるプチセミナーです。日々の疲れがとれたり、あるいは、心について、自分自身について、新たな気づきがあるかもしれません。どなたでも、気軽にご参加ください♪

*内容
・ヒプノセラピーってなに? どんな効果があるの?
・ヒプノセラピーと他のセラピーの違いは?
・ヒプノにかからない人がいる? 誰にでもできるの?
・ヒプノセラピーはなぜそんなに効果的なの?
・リラックスできるヒプノセラピー、プチ体験
・ヒプノセラピストになりたいけど・・・養成コースについてもっと知りたい
・お茶を飲みながら、ヒプノセラピーなんでも Q&A

*日時 : 9月15日(金) 19:00~20:30

*場所 : 表参道(渋谷区)

*講師 : 古川貴子 / 薦田敬子
(ヒプノセラピスト、日本ヒプノセラピー協会 理事・講師)

*参加料 : 2,000円(お茶とお菓子つき)
【お試し期間終了のため料金が変更となりました】

*お申し込み方法 → こちらのフォームからどうぞ

(「体験コース」参加希望とご記入のうえ、希望の日にちをご明記ください。)
追って詳細をお知らせさせていただきます。

ヒプノセラピーってなに? → こちらから
ヒプノセラピーを受けてみたい → こちらから
ヒプノセラピーを学んでみたい → こちらから(日本ヒプノセラピー協会サイト)

 

 

 

お花ときらきら☆

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

Mちゃんに “おそろ” でいただいたコレ!

金粉のようなキラキラとお花がみえます。そしてストロベリーのいい香り。

これは、口紅です。

透明だけど、つけるとその人の体温で色がびみょうに変わるとか。

トカゲ体質の私でも、ちゃんと発色してくれるかしらん? つかっていくとお花のところはどうなっちゃうの?? ・・・ と、すぐにでもためしてみたいけど ・・・ かわいいのでまだもう少しこのままで♪

 

わ〜!目黒川が・・・

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

夕方、予報どおりのゲリラ雷雨。8月になって19日連続の雨となりました。

ピカピカ、ゴロゴロ、バリバリいっていると、なぜかお外に出たくなります(お子ちゃまか?!)。

そう、こどもの頃、雷雨になると、手作りの「缶ぽっくり」をはいて庭を走り回っていたものです(落雷の実験?! 笑)

そんな習性は大人になっても変わらず、雷とドシャ降りのなか、スーパーへお買いもの。途中、目黒川の警報が叫んでいます。「警戒水域をこえました!注意してください」と。

ゴゴゴ〜〜〜!! という爆音につられて橋の上からのぞいてみると ・・・

桜たちが飲まれちゃいそうな水しぶき。ほとんど氾濫状態です。

大丈夫。ここまでいっぱいになってもいつも溢れません。

夏が終わらないうちにお陽さまに顔を出してほしいな〜。これじゃ、スイカの気分にもなりませんものね〜。

 

17-08-17 まさに諸悪の根源、罪悪感 (ꐦ°д°) について

クライエントさんとのセッションで・・・

「この世のあらゆる問題というのは、自分に対する間違った認識、つまり自分は恥ずべき存在だ、罪深いという罪悪感から生まれているのです。そして、自ら自分を罰しておけば恐ろしい制裁をまぬがれることができると信じて、問題というかたちで常に自分に罰を与えます。それが問題となります」と、誰もが無意識のうちにこころに抱いている罪悪感について話していました。すると、

「さまざまな問題の原因はこころのなかにある罪悪感だ、ということはわかったのですが。でも、私に関しては罪悪感というものがないように感じます。今まで罪悪感というものを意識したことがないのです。だからピンときません」とクライエントさん。

たしかに、劣等感や自責の念、自己攻撃が強い方の場合、それは自分で自分を恥ずかしく感じていて、あきらかに自分を責めているということがわかります。しかし、このような自責の念がないからといって、罪悪感がないというわけではないのです。

たとえば ・・・

不平不満を言う ・・・ なぜ不平不満を言いたくなるのか? それは、不平不満を言わないと好きにされちゃうと思っているから。不平不満を言うことで、その状況や人間関係をコントロールして優位に立とうとするのです。優位に立たないと自分はダメだ、やられてしまう。すなわち、自分のことを責めている = だから、不平不満も罪悪感です。

怖れる ・・・ 怖れているとき、それは未来に何か悪いことがやってくると信じているときです。まだ何も起こっていないのに、なぜ自分に悪いことがふりかかるに違いないと信じたいのでしょうか?それは、自分には悪いことが起こって当然だと信じているから。悪いことが起こるべき人とは、それは悪い人であり、罰せられる人であるという信念 = 怖れるも罪悪感ということになります。

落ち込む ・・・気分がすぐれない。晴れ晴れしない。なんかひっかかっている。OKな感じがしない。なぜなら、自分のなかに自分に対する暗いイメージがあるから。なんか後ろめたい。よいことがやってくる!と手放しで喜べない。だって、私、それに値するような人じゃありませんからという信念 = 落ち込むのも罪悪感。

楽しめない ・・・ 楽しんじゃいけない、喜びを手にしてはいけない、幸せになってはいけない。楽しむと悪いことが起こるって、びくびくしている。なぜなら、そういう身分じゃないから。楽しむ価値のない人であるという信念 = はい、楽しめないのも罪悪感。

そして、不満を口にしたことがない人もいないし、怖れたことがない人もいないし、落ち込んだことがない人もこの世にいないので、世の中のみんな、全員がこっそりとこころのなかに「罪悪感」を抱えながら生きている、ということになります。

そして、その罪悪感があるから、バレないように人から遠ざかって孤独になろうとしたり、問題や病気をわざとつくることで弱者のふりをして身を守ろうとしたり(悪い人は罰せられるので)、あるいはそのように罰せられるまえに「やられる前にやってしまえ!」とばかりに常に攻撃的になって闘ったり ・・・。

でもそれをすればするほど、より事態は悪化します。自分とは「悪いやつである」という信念を強化して、より罪悪感が深まってしまうからです。

じゃあ、どうしましょ??

自分の行動が自分の思いを強化するのなら、「悪いやつ」でない振るまいをすればよいということになります。

不満を言わない、どんな事態も怖れない、落ち込まない、自分を責めない、攻撃的にならない、防衛的にならない、人から遠ざからない ・・・ つまり、こころをオープンにして自然体でいること。

起こるすべてを、自分はダメな悪いやつだからという「戦々恐々とした怖れの目線」でみるのではなく、このままで無条件に愛されている私という「すべてが完全な流れにあるという安心の目線」で見てみること。

なぜ安心していられるのか?

もともと私たちはそのまま、あるがままで宇宙に(神さまに、無限の存在に、源に)愛されているはずだから。そんな大いなる力に大切にされているのだから、自分で自分をちまちま守る必要はないのです。ほっておいても、ちゃんと完全に育まれて、導かれて、愛されている ・・・ ということを理解する、ということです。

私たちがネガティブな感情をもった、感じた、ということは、まさに罪悪感がありますよという証です。

気がついたら、否定することも、抑圧することも、無視することもなく ・・・ 「わたしのなかには、自分自身を攻撃するような間違った思いがあるのだわ」と気づいて、ただ自分自身の「高い意識(ハイヤーセルフ、スピリット、エンンジル、etc )」に渡して(委ねて)しまいましょう。

「私のこころが今だに信じている自分に対する罪悪感を、どうぞ私のこころから取り去ってください。なぜなら、私はそのような存在ではないからです」と。

そう、私たちがするのはこの渡していく作業だけです。

スルーすることなく、ちゃんと正面から気づいて、それに対してとくに反応することはなく、ただ「取り去ってくれるように」高い意識にお願いする。・・・ これだけでヨイのです♪

ネガティブな感情ばっかり感じて困っちゃう〜!!(汗)・・・ いえいえ、無意識になってしまっている「罪悪感」にバイバイするまたとないチャンスです。渡してしまいましょう!

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「まさに諸悪の根源、罪悪感 (ꐦ°д°) について」

クライエントさんとのセッションで・・・

「この世のあらゆる問題というのは、自分に対する間違った認識、つまり自分は恥ずべき存在だ、罪深いという罪悪感から生まれているのです。そして、自ら自分を罰しておけば恐ろしい制裁をまぬがれることができると信じて、問題というかたちで常に自分に罰を与えます。それが問題となります」と、誰もが無意識のうちにこころに抱いている罪悪感について話していました。すると、

「さまざまな問題の原因はこころのなかにある罪悪感だ、ということはわかったのですが。でも、私に関しては罪悪感というものがないように感じます。今まで罪悪感というものを意識したことがないのです。だからピンときません」とクライエントさん。

たしかに、劣等感や自責の念、自己攻撃が強い方の場合、それは自分で自分を恥ずかしく感じていて、あきらかに自分を責めているということがわかります。しかし、このような自責の念がないからといって、罪悪感がないというわけではないのです。

たとえば ・・・

不平不満を言う ・・・ なぜ不平不満を言いたくなるのか? それは、不平不満を言わないと好きにされちゃうと思っているから。不平不満を言うことで、その状況や人間関係をコントロールして優位に立とうとするのです。優位に立たないと自分はダメだ、やられてしまう。すなわち、自分のことを責めている = だから、不平不満も罪悪感です。

怖れる ・・・ 怖れているとき、それは未来に何か悪いことがやってくると信じているときです。まだ何も起こっていないのに、なぜ自分に悪いことがふりかかるに違いないと信じたいのでしょうか?それは、自分には悪いことが起こって当然だと信じているから。悪いことが起こるべき人とは、それは悪い人であり、罰せられる人であるという信念 = 怖れるも罪悪感ということになります。

落ち込む ・・・気分がすぐれない。晴れ晴れしない。なんかひっかかっている。OKな感じがしない。なぜなら、自分のなかに自分に対する暗いイメージがあるから。なんか後ろめたい。よいことがやってくる!と手放しで喜べない。だって、私、それに値するような人じゃありませんからという信念 = 落ち込むのも罪悪感。

楽しめない ・・・ 楽しんじゃいけない、喜びを手にしてはいけない、幸せになってはいけない。楽しむと悪いことが起こるって、びくびくしている。なぜなら、そういう身分じゃないから。楽しむ価値のない人であるという信念 = はい、楽しめないのも罪悪感。

そして、不満を口にしたことがない人もいないし、怖れたことがない人もいないし、落ち込んだことがない人もこの世にいないので、世の中のみんな、全員がこっそりとこころのなかに「罪悪感」を抱えながら生きている、ということになります。

そして、その罪悪感があるから、バレないように人から遠ざかって孤独になろうとしたり、問題や病気をわざとつくることで弱者のふりをして身を守ろうとしたり(悪い人は罰せられるので)、あるいはそのように罰せられるまえに「やられる前にやってしまえ!」とばかりに常に攻撃的になって闘ったり ・・・。

でもそれをすればするほど、より事態は悪化します。自分とは「悪いやつである」という信念を強化して、より罪悪感が深まってしまうからです。

じゃあ、どうしましょ??

自分の行動が自分の思いを強化するのなら、「悪いやつ」でない振るまいをすればよいということになります。

不満を言わない、どんな事態も怖れない、落ち込まない、自分を責めない、攻撃的にならない、防衛的にならない、人から遠ざからない ・・・ つまり、こころをオープンにして自然体でいること。

起こるすべてを、自分はダメな悪いやつだからという「戦々恐々とした怖れの目線」でみるのではなく、このままで無条件に愛されている私という「すべてが完全な流れにあるという安心の目線」で見てみること。

なぜ安心していられるのか?

もともと私たちはそのまま、あるがままで宇宙に(神さまに、無限の存在に、源に)愛されているはずだから。そんな大いなる力に大切にされているのだから、自分で自分をちまちま守る必要はないのです。ほっておいても、ちゃんと完全に育まれて、導かれて、愛されている ・・・ ということを理解する、ということです。

私たちがネガティブな感情をもった、感じた、ということは、まさに罪悪感がありますよという証です。

気がついたら、否定することも、抑圧することも、無視することもなく ・・・ 「わたしのなかには、自分自身を攻撃するような間違った思いがあるのだわ」と気づいて、ただ自分自身の「高い意識(ハイヤーセルフ、スピリット、エンンジル、etc )」に渡して(委ねて)しまいましょう。

「私のこころが今だに信じている自分に対する罪悪感を、どうぞ私のこころから取り去ってください。なぜなら、私はそのような存在ではないからです」と。

そう、私たちがするのはこの渡していく作業だけです。

スルーすることなく、ちゃんと正面から気づいて、それに対してとくに反応することはなく、ただ「取り去ってくれるように」高い意識にお願いする。・・・ これだけでヨイのです♪

ネガティブな感情ばっかり感じて困っちゃう〜!!(汗)・・・ いえいえ、無意識になってしまっている「罪悪感」にバイバイするまたとないチャンスです。渡してしまいましょう!

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

17-08-13 【終了】ヒプノセラピー協会「ベイシックセミナー」

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

(社)日本ヒプノセラピー協会のヒプノセラピスト養成コース「ベイシックセミナー」が無事終了いたしました。ご参加くださったみなさま、二日間、本当にありがとうございました。

講師の私(古川貴子)も、養成コースで講師を務めるのは10年ぶりぐらいでしたが、今の私のセラピスト目線から、より日常に役立てていただけるような実践的な内容のセミナーになったのではと思っております。

やっぱり、まだまだ日本ではヒプノセラピーは、催眠「術」の域をでていないところがあり、みなさまの最初のイメージは誤解だらけでした。

・コワイ! 意識がなくなっちゃうのかな?

・知らないうちにヘンなこと言っちゃったりするのかな?

・きっと自分にはうまくできないにちがいない!

というものだったのです。

でも、結局、二日間のセミナーが終わってからの感想は、「なんだ、ヒプノってリラクゼーションと同じで、リラックスよりもっと深いから、身体も心も癒されるんだ」「ふつ〜にまわりの音は聞こえるし、喋れるし、身体も動くし、意識もいつもどおりだわ。でも、たしかにここちよくなっている!」「音楽に集中したり、気持ちよくリラックスしているときとまったく同じ。コワクない!」・・・ というご感想でした。

そうね〜。ヒプノセラピーを「催眠」療法と訳してしまったところから、ヒプノセラピーへの誤解がとけぬままになってしまっているようです(ヒプノセラピーは、ただヒプノセラピーで、催眠と言い換えないほうがよかったのですね!笑)。

それにしても、催眠の歴史は「人の存在」の記録と同じだけ古く、およそ紀元前4000年のエジプトにさかのぼり、パピルスや壁画に描かれているほど、人とともにあったのです。しかし、その6000年の歴史のなかで、人からの興味が集中したかと思うと、非難・弾圧・排斥の繰り返し・・・。それだけ、人は「こころの無意識」という、つかみどころのないものに対して、ときにはコワイもの見たさでもてはやし、またワケが解らないという理由で攻撃する、といったことの繰り返しだったわけです。

自分ではわからない部分のこころを扱うからこそ、ヒプノには大きな効果があるのです。「わからない」部分だからこそ、真っ正面から取り組んだら、もっと「わかっちゃいるけど、やめられない」という自分のパターンを変えることができるのに・・・と残念に思います。

二日間のセミナーで、ヒプノセラピーへの誤解をとき、効果について知り、ヒプノセラピーがセラピーとして強力である理由を理解し、こころの仕組みも学び、さらに自己催眠と他者催眠のための有効な暗示の書き方を学び、カウンセリングとセッションの実習を行いました。

クライエントさんにみたてた他の受講生さんのために催眠暗示を書いてみたり、催眠誘導を練習してみて、じつはいちばん癒されているのは、それを書いたり誘導したりしているご本人であることを実感されたそうです。

そうなんですよ〜! いちばん癒されちゃうのは、じつはやっているセラピストなのです。

なぜなら、自分の発することばは自分の中で完結して、自分に影響を及ぼしているからです。自分のことば、自分の考えのすべてによって、いちばん影響を受けるのは自分以外にはいないのですね。(笑、セラピストというオイシイ職業で、たっぷり癒していただいているのはわたくしめでありました!)

ご参加のみなさまは、ご自分で書いた自己催眠暗示によって、あるいは受講生さんセラピストの暗示セッションによって、リラックスと癒しをたっぷりと受けとっていただけたようです。

二日間、ほんとうにお疲れさまでした。そして、楽しいお時間をありがとうございました。

ご参加のみなさまからの声

♪ 自分のための自己催眠暗示を書いている段階で気づきがあり、自分が感じていた問題がほとんど解決してしまうように感じました。なぜなら、問題とは自分の考えからきていることがわかり、自分にはコントロールできないことをコントロールしようとしていたことが原因だったということがわかったからです。(IYさん・男性)

♪ ヒプノ・・・催眠・・・の言葉についてもよくわかっていなかったが、心の仕組みを学び、ヒプノの催眠とはどのようなものなのか理解できたので、ヒプノ(催眠)のイメージが変わり、安心できるものだと感じた。
自分のなかにいろいろな悩みがあり、あれこれ変えたいところがあるが、つきつめて考えると、悩みの本質、自分の変わりたいところはひとつなのだと理解できた。そして、それを知ったことで、変えられるのだとわかった。
これからどんどん自分のために自己催眠暗示を利用して、のびのびと楽しい人生を歩んで行きたいと感じた。
とても楽しく、じっくりと、ヒプノセラピーのことを学ぶことができました。ありがとうございました。(EOさん・女性)

次回のヒプノセラピスト養成コース「ベイシック(2日間)」は、以下の日程を予定しております。

日時:
10月21日(土)10:00~17:00
10月22日(日)10:00~17:00

会場: 新宿区

受講料: ¥48,000 (日本ヒプノセラピー協会の修了証を発行)
*〈少人数制〉 定員になりしだい締め切ります

講師: 古川貴子(日本ヒプノセラピー協会講師・ヒプノセラピスト)

お申し込み・お問い合わせ: こちらから

 

 

ヒプノセラピー「ベイシックセミナー」が終了いたしました♪

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

(社)日本ヒプノセラピー協会のヒプノセラピスト養成コース「ベイシックセミナー」が無事終了いたしました。ご参加くださったみなさま、二日間、本当にありがとうございました。

講師の私(古川貴子)も、養成コースで講師を務めるのは10年ぶりぐらいでしたが、今の私のセラピスト目線から、より日常に役立てていただけるような実践的な内容のセミナーになったのではと思っております。

やっぱり、まだまだ日本ではヒプノセラピーは、催眠「術」の域をでていないところがあり、みなさまの最初のイメージは誤解だらけでした。

・コワイ! 意識がなくなっちゃうのかな?

・知らないうちにヘンなこと言っちゃったりするのかな?

・きっと自分にはうまくできないにちがいない!

というものだったのです。

でも、結局、二日間のセミナーが終わってからの感想は、「なんだ、ヒプノってリラクゼーションと同じで、リラックスよりもっと深いから、身体も心も癒されるんだ」「ふつ〜にまわりの音は聞こえるし、喋れるし、身体も動くし、意識もいつもどおりだわ。でも、たしかにここちよくなっている!」「音楽に集中したり、気持ちよくリラックスしているときとまったく同じ。コワクない!」・・・ というご感想でした。

そうね〜。ヒプノセラピーを「催眠」療法と訳してしまったところから、ヒプノセラピーへの誤解がとけぬままになってしまっているようです(ヒプノセラピーは、ただヒプノセラピーで、催眠と言い換えないほうがよかったのですね!笑)。

それにしても、催眠の歴史は「人の存在」の記録と同じだけ古く、およそ紀元前4000年のエジプトにさかのぼり、パピルスや壁画に描かれているほど、人とともにあったのです。しかし、その6000年の歴史のなかで、人からの興味が集中したかと思うと、非難・弾圧・排斥の繰り返し・・・。それだけ、人は「こころの無意識」という、つかみどころのないものに対して、ときにはコワイもの見たさでもてはやし、またワケが解らないという理由で攻撃する、といったことの繰り返しだったわけです。

自分ではわからない部分のこころを扱うからこそ、ヒプノには大きな効果があるのです。「わからない」部分だからこそ、真っ正面から取り組んだら、もっと「わかっちゃいるけど、やめられない」という自分のパターンを変えることができるのに・・・と残念に思います。

二日間のセミナーで、ヒプノセラピーへの誤解をとき、効果について知り、ヒプノセラピーがセラピーとして強力である理由を理解し、こころの仕組みも学び、さらに自己催眠と他者催眠のための有効な暗示の書き方を学び、カウンセリングとセッションの実習を行いました。

クライエントさんにみたてた他の受講生さんのために催眠暗示を書いてみたり、催眠誘導を練習してみて、じつはいちばん癒されているのは、それを書いたり誘導したりしているご本人であることを実感されたそうです。

そうなんですよ〜! いちばん癒されちゃうのは、じつはやっているセラピストなのです。

なぜなら、自分の発することばは自分の中で完結して、自分に影響を及ぼしているからです。自分のことば、自分の考えのすべてによって、いちばん影響を受けるのは自分以外にはいないのですね。(笑、セラピストというオイシイ職業で、たっぷり癒していただいているのはわたくしめでありました!)

ご参加のみなさまは、ご自分で書いた自己催眠暗示によって、あるいは受講生さんセラピストの暗示セッションによって、リラックスと癒しをたっぷりと受けとっていただけたようです。

二日間、ほんとうにお疲れさまでした。そして、楽しいお時間をありがとうございました。

ご参加のみなさまからの声

♪ 自分のための自己催眠暗示を書いている段階で気づきがあり、自分が感じていた問題がほとんど解決してしまうように感じました。なぜなら、問題とは自分の考えからきていることがわかり、自分にはコントロールできないことをコントロールしようとしていたことが原因だったということがわかったからです。(IYさん・男性)

♪ ヒプノ・・・催眠・・・の言葉についてもよくわかっていなかったが、心の仕組みを学び、ヒプノの催眠とはどのようなものなのか理解できたので、ヒプノ(催眠)のイメージが変わり、安心できるものだと感じた。
自分のなかにいろいろな悩みがあり、あれこれ変えたいところがあるが、つきつめて考えると、悩みの本質、自分の変わりたいところはひとつなのだと理解できた。そして、それを知ったことで、変えられるのだとわかった。
これからどんどん自分のために自己催眠暗示を利用して、のびのびと楽しい人生を歩んで行きたいと感じた。
とても楽しく、じっくりと、ヒプノセラピーのことを学ぶことができました。ありがとうございました。(EOさん・女性)

次回のヒプノセラピスト養成コース「ベイシック(2日間)」は、以下の日程を予定しております。

日時:
10月21日(土)10:00~17:00
10月22日(日)10:00~17:00

会場: 新宿区

受講料: ¥48,000 (日本ヒプノセラピー協会の修了証を発行)
*〈少人数制〉 定員になりしだい締め切ります

講師: 古川貴子(日本ヒプノセラピー協会講師・ヒプノセラピスト)

お申し込み・お問い合わせ: こちらから

 

 

ぷち断捨離中

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

昨日、プチ断捨離にいそしんでいたときのこと。ずっしり重いハコが出てきました。

開けてみると、絵はがきがど〜っさり・・・。

すべて同じ文字で書かれたもの。・・・ つまり、同じ方からいただいたものなのです。

このハコは、幾度となくくり返された引っ越しや断捨離にもめげず、今までサバイバルしてきた貴重なお宝。

もしや! ラブレター・・・ ??

といってしまえば、そうかもしれません。

なんせ、二十代の頃からいままで大切にとっておかれているぐらいですから。

といっても、これは全部女性からのものです。

当時そして今でも!、仲よしの Kちゃんからのもの。あの頃、週末のたびにショッピングに行ったり、美術館に行ったり、ライブに行ったり、もちろん恋バナをしたり ・・・ それはしょっちゅう会っていたのですが、そのうえお互いポストカードで文通までしていたのでした(なんせ、今のように Email なんてなかったし)。

はがきは一枚にとどまらず、一回に三枚ぐらい出すのです。だから、毎週、ポストをのぞくときまって色とりどりのはがきたちがやってきておりました。それがすごく楽しみだったのです。

はがきの内容はその週末に一緒にしたことの感想だったり、その週のあいだに起こったことの報告だったり ・・・ とたわいのないもの。

なによりも私たちのお楽しみは、相手をサプライズさせるカードをチョイスすることだったのです。二人とも学生時代に油絵を描いていたこともあり、モチーフや色彩については結構こだわりが強かったから(Kちゃんのお気に入りは光の画家 ボナール、私のお気に入りはシュールな異次元のダリ)。

ほんとうに Kちゃんのチョイスしてくれたカードのセンスが抜群で、毎回ポストのまえで見入ってしまっていました。そして、今でもときどきこうしてながめてしまうのです。

そんなポストカードをいくつかご紹介すると・・・

とってもシュールな絵柄の一枚。こちらは、ルネ・ラリック展に一緒に出かけたことが書かれていました。庭園美術館だったのかな〜?

こちらは、薔薇のモチーフばかりを数枚でいただいたとき。手のシルエットもロング手袋をはめていてオシャレです。

こちらは前の週に「譜面と蝶々」のモチーフが送られてきて、次の週は「パレットと蝶々」でした。

バースデーのときのカード。カラーが好きだったわたしのために、お誕生日用に待機していたカードのようです。

クリスマスカード。プレゼントはアンティーク風のレースのつけ衿をいただいたようです。覚えてる!

・・・すっかり断捨離忘れて、タイムスリップしました〜。あらためて、Kちゃんとの楽しい時間の数々に感謝でいっぱいです♡

 

そしてハコは、再びもとの場所に静かに戻されたのでした(笑)。

 

17-08-05 楽しむと罪悪感を感じるんです

友人のAちゃんが予約してくれたホテルのダイニングでピアノとフルートの生演奏を聴きながらの優雅なディナー。

灯りがおとされたフロアーは、おしゃれをした人たちがさざめき、それぞれのテーブルにはキャンドルがゆらめく心地よい空間。

するとAちゃんが、「一生懸命仕事したから、いいよね!(贅沢しても)」と同意をもとめるようにつぶやくのです。「もちろん!」と答えたものの、そう答えたあとになんか違和感を感じてる私。

「あれ? Aちゃんはせっせと努力をしたすえでないと、楽しい思いをしてはいけないと思ってるの?? (つまり、無条件になにもなしで幸せになってはいけない?)」

私たちの多くはこどもの頃から、何かを一生懸命やったからこそ、欲しいものを手にする、あるいはご褒美をもらえる経験をしてきたと思うのです。たんに、一生懸命やったらほめられる、というのもそのひとつ。

さんざん読み聞かされてきたアリとキリギリスの話でも、ハッピーに楽しく気ままにすごしてきたキリギリスは、その見返りとして困った状況に直面し、そのうえ助けがやってこないのです。結局、身体にムチをうって、汗水ながして働きつづけたアリに軍配があがるわけです。

楽しみなどに目をくれず、ひたすら一生懸命、汗水ながして頑張らないなら、何も手にしてはいけない、というわけ。

すると、自然体の「あるがまま」では、とうてい「よいもの」「幸せ」を手にしてはいけないことになってしまうのです。無条件には何もやってこないということ。

「楽しくラクして暮らしたヤツにはつけがまわってくる」というおどし以外のなにものでもありません。

そうなのよね〜!昔話や童話、あるいはカツカツに努力をする「巨人の星」や「あしたのジョー」が、どれほどクライエントさんの辛い信念を構築することになっていることか。

大人になってもその信念にもとづいて生きているので、つらい習慣・体験へと導かれ、くり返しているのです! わたしはこれからのこどもたちのために、イソップやら、これらのマンガをすべて書きかえたい!(笑)(笑)

私たちは「私たちであるがゆえに」、ただそれだけの理由で、もう十分によいものを受けとる、幸せになる権利と価値があるはず。

頑張ってこそ、努力してこそ「受けとれる」というのであれば、私たちはそのままで、あるがままで、素敵な体験や幸せな体験を受けとってはいけないということになります。

もし素敵な体験をしてしまったなら、罪悪感を感じることになり、そのあとに意識的にあるいは無意識的に、その幸せな体験のうめあわせとしてつらい体験をしなければならないと感じてしまいます。

その昔、夏の3〜4週間をバリ島で過ごしていたことがありました。お勉強に来ていたのですがそれにもかかわらず、朝から海やプールで泳いだり、船で沖に出て魚を釣って料理してもらったり、日の出を拝むために夜中から山に登ったり、川でラフティングをしたり、パラセーリングをしたり、民族衣装でヒンズー教の寺院をお詣りしたり、小さな島にわたって過ごしたり、ただただビーチで昼寝をしたり ・・・こんなパラダイスな日々にもかかわらず、楽しければ楽しいほど、毎日遊びほうければほうけるほど、強い罪悪感を感じる人がけっこう多かったということ。

こんなに素敵な日々なのに、手放しで楽しんでいないのです。もったいない!

楽しんじゃいけなくって、楽しんだ分だけ苦労するのだったら、いったいいつ、どこで、幸せになれるというのでしょう!?

それにしても、「楽しんじゃいけない自分」って、いったいどんな存在であると “自分で自分を” 思っているのでしょう?

ちなみに、神さまが「楽しむことをよしとしていない」わけではありません。あくまでも「本人自身が自分で自分に対して」、楽しむことはよくないと信じて、おびえているのです。

「私は楽しんではいけない」・・・・ 結局、自分に対するそのような決めつけ、信念が、せっかく楽しいことを経験したのに、罪悪感があとから追いかけてきて重荷をおわせて、心理的なバランスをとろうとしているわけです。楽しいだけじゃダメだよ! 楽しいがあったら、その分苦しむのだよ!と。

だから人は、ものごとが自分が思った以上にうまく運んでしまうと、どこか落ち着かなくなるし(こんなにうまくいったら、あとで何かとんでもないツケがまわってくるに違いない)とか、いつもよりもランクアップした素敵な体験をしていると、自分らしくないと居心地が悪く感じるのです(こんなにいい思いしてしまっていいのかしら? 私にはゼイタクすぎるんじゃない?) ・・・。

そんなときには、自分がいったい何を信じていてそんなに落ち着かないのか、居心地が悪いのか、探求してみましょう。

結局、よくよく調べてみると、自分で自分のことを幸せにしていないのがわかります。自分が幸せになれないのは、自分で自分の幸せにストップをかける「罪悪感の思い」なのです。

そして、それさえなければ、もっともっと多くの豊かな体験を両手を広げて、身体全体で受けとることができるようになるはずです。

自分を解放しないのも、自分を幸せにしないのも、自分を苦しめるのも ・・・ 結局は自分のなかにある思いであり、こころのなかにおしこめてちゃんと見ることをしていない思いなのです。

そんな隠された思いをチェックして、気づいて、手放して ・・・ こころがしっかりと受けとれる準備ができたなら、すでにある豊かさがもっともっと流れこんでくるでしょう。

PS ちょうど今日いらしたクライエントさん、「なかなか素直に 100% 楽しむことができないんです」とのことでした。

ちょいと一緒に探求してみました。

「昨年、スペインを旅しました。おいしいものを食べて、たくさんのきれいなものを見て、のんびりして、楽しくって、本当にいい体験でした。 ・・・でも旅の終わり頃には恐ろしくなってきました。こんなに楽しんでしまったから。怖いんです」

「私は怖い、なぜなら?」とくクライエントさんに問いかけてみると。

「あとで悪いことが起こりそう」「なぜなら、いい思いをしてしまったから」「わたしはそんなよいものを受けとる価値なんてないんです」「なぜなら、神さまに好かれていないから」「なぜ好かれていないかというと、愛されるような自分じゃないから」「つまり、ちっぽけで、ぱっとしなくって、恥ずかしい存在。いつも母が私を恥ずかしがっていたようです」「きっと神さまだって私をみていて、イライラするのです」「そんなわたしによいものがくるはずがないのです。なのに楽しんでしまった」「身のほど知らずは罰せられるのです」「己を知って、醜いなりの努力をしなければならないのです」・・・・

「ああ・・・私は自分を恥ずかしい、存在していてはいけない存在だと信じていました。存在させてもらっているのだから、努力するべきだ、奴隷のようであるべきだ、それでつじつまがあうように感じていたのです。だから、幸せが怖かったのです」と。

クライエントさんの許可をえて、やりとりを掲載させていただきました。こんなふうに間違った考えを明るみに出すと、それをもう終わりにすることができます。すべては光をあてることで、闇を一掃することができるのですね。

みなさまも、罪悪感、怖れなどを感じるときには、是非、探求してみてくださいね。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

気づきの日記「楽しむと罪悪感を感じるんです」

友人のAちゃんが予約してくれたホテルのダイニングでピアノとフルートの生演奏を聴きながらの優雅なディナー。

灯りがおとされたフロアーは、おしゃれをした人たちがさざめき、それぞれのテーブルにはキャンドルがゆらめく心地よい空間。

するとAちゃんが、「一生懸命仕事したから、いいよね!(贅沢しても)」と同意をもとめるようにつぶやくのです。「もちろん!」と答えたものの、そう答えたあとになんか違和感を感じてる私。

「あれ? Aちゃんはせっせと努力をしたすえでないと、楽しい思いをしてはいけないと思ってるの?? (つまり、無条件になにもなしで幸せになってはいけない?)」

私たちの多くはこどもの頃から、何かを一生懸命やったからこそ、欲しいものを手にする、あるいはご褒美をもらえる経験をしてきたと思うのです。たんに、一生懸命やったらほめられる、というのもそのひとつ。

さんざん読み聞かされてきたアリとキリギリスの話でも、ハッピーに楽しく気ままにすごしてきたキリギリスは、その見返りとして困った状況に直面し、そのうえ助けがやってこないのです。結局、身体にムチをうって、汗水ながして働きつづけたアリに軍配があがるわけです。

楽しみなどに目をくれず、ひたすら一生懸命、汗水ながして頑張らないなら、何も手にしてはいけない、というわけ。

すると、自然体の「あるがまま」では、とうてい「よいもの」「幸せ」を手にしてはいけないことになってしまうのです。無条件には何もやってこないということ。

「楽しくラクして暮らしたヤツにはつけがまわってくる」というおどし以外のなにものでもありません。

そうなのよね〜!昔話や童話、あるいはカツカツに努力をする「巨人の星」や「あしたのジョー」が、どれほどクライエントさんの辛い信念を構築することになっていることか。

大人になってもその信念にもとづいて生きているので、つらい習慣・体験へと導かれ、くり返しているのです! わたしはこれからのこどもたちのために、イソップやら、これらのマンガをすべて書きかえたい!(笑)

私たちは「私たちであるがゆえに」、ただそれだけの理由で、もう十分によいものを受けとる、幸せになる権利と価値があるはず。

頑張ってこそ、努力してこそ「受けとれる」というのであれば、私たちはそのままで、あるがままで、素敵な体験や幸せな体験を受けとってはいけないということになります。

もし素敵な体験をしてしまったなら、罪悪感を感じることになり、そのあとに意識的にあるいは無意識的に、その幸せな体験のうめあわせとしてつらい体験をしなければならないと感じてしまいます。

その昔、夏の3〜4週間をバリ島で過ごしていたことがありました。お勉強に来ていたのですがそれにもかかわらず、朝から海やプールで泳いだり、船で沖に出て魚を釣って料理してもらったり、日の出を拝むために夜中から山に登ったり、川でラフティングをしたり、パラセーリングをしたり、民族衣装でヒンズー教の寺院をお詣りしたり、小さな島にわたって過ごしたり、ただただビーチで昼寝をしたり ・・・こんなパラダイスな日々にもかかわらず、楽しければ楽しいほど、毎日遊びほうければほうけるほど、強い罪悪感を感じる人がけっこう多かったということ。

こんなに素敵な日々なのに、手放しで楽しんでいないのです。もったいない!

楽しんじゃいけなくって、楽しんだ分だけ苦労するのだったら、いったいいつ、どこで、幸せになれるというのでしょう!?

それにしても、「楽しんじゃいけない自分」って、いったいどんな存在であると “自分で自分を” 思っているのでしょう?

ちなみに、神さまが「楽しむことをよしとしていない」わけではありません。あくまでも「本人自身が自分で自分に対して」、楽しむことはよくないと信じて、おびえているのです。

「私は楽しんではいけない」・・・・ 結局、自分に対するそのような決めつけ、信念が、せっかく楽しいことを経験したのに、罪悪感があとから追いかけてきて重荷をおわせて、心理的なバランスをとろうとしているわけです。楽しいだけじゃダメだよ! 楽しいがあったら、その分苦しむのだよ!と。

だから人は、ものごとが自分が思った以上にうまく運んでしまうと、どこか落ち着かなくなるし(こんなにうまくいったら、あとで何かとんでもないツケがまわってくるに違いない)とか、いつもよりもランクアップした素敵な体験をしていると、自分らしくないと居心地が悪く感じるのです(こんなにいい思いしてしまっていいのかしら? 私にはゼイタクすぎるんじゃない?) ・・・。

そんなときには、自分がいったい何を信じていてそんなに落ち着かないのか、居心地が悪いのか、探求してみましょう。

結局、よくよく調べてみると、自分で自分のことを幸せにしていないのがわかります。自分が幸せになれないのは、自分で自分の幸せにストップをかける「罪悪感の思い」なのです。

そして、それさえなければ、もっともっと多くの豊かな体験を両手を広げて、身体全体で受けとることができるようになるはずです。

自分を解放しないのも、自分を幸せにしないのも、自分を苦しめるのも ・・・ 結局は自分のなかにある思いであり、こころのなかにおしこめてちゃんと見ることをしていない思いなのです。

そんな隠された思いをチェックして、気づいて、手放して ・・・ こころがしっかりと受けとれる準備ができたなら、すでにある豊かさがもっともっと流れこんでくるでしょう。

PS ちょうど今日いらしたクライエントさん、「なかなか素直に 100% 楽しむことができないんです」とのことでした。

ちょいと一緒に探求してみました。

「昨年、スペインを旅しました。おいしいものを食べて、たくさんのきれいなものを見て、のんびりして、楽しくって、本当にいい体験でした。 ・・・でも旅の終わり頃には恐ろしくなってきました。こんなに楽しんでしまったから。怖いんです」

「私は怖い、なぜなら?」とくクライエントさんに問いかけてみると。

「あとで悪いことが起こりそう」「なぜなら、いい思いをしてしまったから」「わたしはそんなよいものを受けとる価値なんてないんです」「なぜなら、神さまに好かれていないから」「なぜ好かれていないかというと、愛されるような自分じゃないから」「つまり、ちっぽけで、ぱっとしなくって、恥ずかしい存在。いつも母が私を恥ずかしがっていたようです」「きっと神さまだって私をみていて、イライラするのです」「そんなわたしによいものがくるはずがないのです。なのに楽しんでしまった」「身のほど知らずは罰せられるのです」「己を知って、醜いなりの努力をしなければならないのです」・・・・

「ああ・・・私は自分を恥ずかしい、存在していてはいけない存在だと信じていました。存在させてもらっているのだから、努力するべきだ、奴隷のようであるべきだ、それでつじつまがあうように感じていたのです。だから、幸せが怖かったのです」と。

クライエントさんの許可をえて、やりとりを掲載させていただきました。こんなふうに間違った考えを明るみに出すと、それをもう終わりにすることができます。すべては光をあてることで、闇を一掃することができるのですね。

みなさまも、罪悪感、怖れなどを感じるときには、是非、探求してみてくださいね。

 

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