気づきの日記「その考え、本当にあなたを幸せにしていますか? 〜思考を超えて、新しい流れにのる〜」

私たちのアタマのなかは、いつも言葉の洪水であふれています。
たとえば、誰かの会話が耳に入ったとき。
ふとした一言に、心の中がザワザワし始めたことはありませんか?
何かを見たり聞いたりすると、私たちは瞬時に「好き」「嫌い」「正しい」「間違っている」と判断しはじめます。
そして、何も刺激がないときでさえ、アタマのなかでは勝手にドラマが始まります。

「さっきのあの一言、どういう意味だったんだろう?」
「私、何か気まずいこと言ったかな?」
「うまくやらなきゃ、また嫌われるかも」
こんなふうに、ひとりで反省会を開いたり、不安の物語を繰り返したり。
私たちはほとんど無意識に「思考」に乗っ取られて生きているのです。
考えは止められない。でも、信じなくていい。
まず大前提として、考えが浮かぶことは悪いことではありません。
どれだけ止めようとしても、考えは止まってくれませんし、止めようと意識すればするほど、むしろ強くなります。
まるで、「考えるな」と言われると、余計に考えてしまうのと同じです。
では、どうしたらいいのでしょうか?
ポイントは、「思考を止める」のではなく、「思考を信じない」こと。
これがとてもシンプルで、とても深い実践です。
思考は、エゴの防御策
考えというのは、一見筋が通っているようで、じつはとても狭い視野の中から生まれています。
ほとんどの考えの出発点は、「弱い自分をどう守るか」という防御です。
たとえば、
- 「嫌われたくない」から、相手の機嫌をうかがう
- 「失敗したくない」から、挑戦を避ける
- 「責められたくない」から、先回りして謝る
それらは、傷ついた過去の経験から自分を守ろうとする、エゴの作戦です。
でも、防御すればするほど、私たちはどんどん不自由になり、心がすり減っていきます。
この考えは、ほんとうに真実?
もし、今、何かの考えにとらわれて苦しくなっているなら、
自分自身にそっとこう問いかけてみてください。
「この私が握りしめているこの考えは、本当に本当のことだろうか?」
たとえば、
- 「私はダメな人間だ」
- 「きっと嫌われている」
- 「うまくいかないに決まってる」
この問いかけには、「ちょっとだけホントかも」とか、「たぶんそうかな」はありません。
選択肢は、「真実」か「虚偽」かの二択。
たいていの場合、その考えは「真実のふりをした嘘」です。
思考を手放したとき、導きがやってくる
その考えが真実でないのなら、
もう、握りしめている必要はありません。

「もう信じなくていいよ」と、自分にやさしく言ってあげてください。
そして、何の考えも持たない静けさのなかに身をゆだねてみるのです。
そのとき、まったく思いもよらない導きがやってくることがあります。
それは、考えることで手に入るようなものではなく、
ただ、あるがままに開かれた心にそっと届く贈りもののようなものです。
まとめ 〜あなたは思考ではありません
思考は止まりません。けれど、それに巻き込まれる必要はありません。
あなたは、思考ではなく、思考を見ている「気づき」そのものだから。
だからこそ、どんな考えが浮かんできたとしても、
それをただ見つめて、そっと手放す自由が、あなたにはあるのです。
それは、自分自身を守ることを手放す自由。
本当の意味で、「守らなくても大丈夫だった」という経験につながっていきます。
今日も、あなたの心が少しでも軽くなりますように🌱