怖れを感じるとき、幸せじゃないと感じるとき ・・・ その原因はなんでしょうか?
「もちろん、そこで起きている状況ですよ!」って?
仕事に行き詰まった、人間関係が悪化した、体調がおもわしくない、人生に閉塞感を感じる・・・など、
私たちがするのはその「状況」に対してなにかをしようとします。環境を変えたり、自分の能力を磨いたり、相手をどうにかしようとしたり、ドクターをさがしたり・・・。
でも、そもそもそれを怖れていたり、幸せじゃない、と言っているのは「自分自身」なのです。
たとえ何を変えようとも、どんなことをしようとも、この怖がりさんで幸せじゃないと叫ぶ「自分」をどうにかしないかぎり、その怖さも不幸せ感もどこまでもくっついてきます。
なるほど〜・・・「自分」が怖がりで幸せじゃないことがそもそもの問題なんだ!とわかったところで、じゃあどうしましょ?
なぜ自分は怖がりで幸せを感じられないのか?・・・・
どうしてだと思いますか?
それは、自分で自分自身を脅しまくっているから!
その状況がコワいのではないのです。自分のそれに対する考え方こそがコワいのです。
一日にアタマに浮かんでくる思考の数は数万個という膨大なものです(そのほとんどが同じことのくり返しですが)。そして、その80%ほどは自分にとって否定的な内容なのです。
ということは、年がら年中のべつ幕なし、自分をいじめているのは他でもない自分自身なのです。
さらに悪いことに、その否定的な思考のオンパレードに対して、何の検閲もなく無条件で受け入れて信じてしまっているのです。
だから、そこからさらにネガティブな空想が発展してゆき、怖れや不幸せ感がどんどんふくらんでゆくわけです。
この際、はっきりしておきましょう。
思考は自分自身ではありません!
自分が考えているのでもありません!
なぜなら、自分が考えているのなら容易にコントロールがきくはずなのに、アタマのおしゃべりをまったく止めることができないのです。
そして、たった三分先にどんな考えが浮かぶのかさえも、自分自身は知ることができません。さらに、否定的なことばかり言うとなれば、野放しにしておくことはできません。
そんな得体のしれないものが主張することは無視しましょう。ほっておけば、勝手に消えてゆくからです。
かかわらないのがいちばん!
まさにタバコの煙のように、ふわふわ漂ってきて、そのうち薄れてゆきます。
でも、それに自ら近づいていって、そのかなでゴホゴホして涙を流しながら、煙い煙いと文句を言うこともできるのです。煙たがっているうちに病気になります・・・(汗)。
自分ではない思考に影響されないためには、思考をモニタリングしましょう。モニタリングするとは、離れて知覚すること。
カップやテーブルのように、客観的に知覚されるものは自分とは距離があり自分ではありません。
思考も客観的に観察することができます。つまり、そこには自分との距離があるため自分自身ではありえないのです。そして、掴まなかった思考はただ存在をなくして消滅します。
このように思考に客観的に気づく習慣をもつことで、クレー射撃のように自分にとって有害な思考を早めに退治することができます。
気づきというビームをあててあげるだけで、クレー射撃同様、撃破することができるのです。
まずは、まるまる自分だと思っていた思考から距離をおくようにしてみましょう。
それは、いままで無条件に受けいれていた否定的で有害な考えから距離をおく、ということです。
それらに対して、「いったい何を言っちゃっているのやら?」と、ひとごとのようにながめてみましょう。
思考の支配からのがれることこそが、自分自身に安らぎをもたらします。
すると、静まったこころのなかに、状況に対する適切な解決策がポトンと落ちてくるようになるのです。
あるいは、安らぎのなかで状況を手放しておくうちに、それは穏やかな方向に変化してゆくかもしれません。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )