金曜日, 10月 25 2019

金曜日, 10月 25 2019

気づきの日記「あるがまま、ってどういうこと?」

Q: よく、「あるがまま」にものごとを見る、という言葉を耳にしますが、いまひとつピンときません。なにが「あるがまま」なのでしょうか?

A: 「あるがまま」に見ましょう!と言うとき、私たちはそれがまったくできていませんよ〜、という意味でもあります。

じゃあ、「あるがままに見ていない」私たちの日常の目線とはどのようなものなのでしょうか?

たとえば、テーブルのうえのカップ。それは、ただのそれ、「あるがまま」なのですが、

「あるがまま」がカップというものになるのは、過去に学んだたくさんの情報によります。

お母さんがそれにミルクを入れて「きょうから哺乳瓶でなくてカップにしましょうね」と言ったとか、絵本のなかにそれが描かれていて「カップ」と横に書いてあり、それでなにかを飲んでいる絵があったかもしれません。

すると、カップって液体を入れるんだ、端にくちをつけて飲むんだ、こうやって使うんだ ・・・ とさまざまことを学んでそれを理解したと感じます。


でも、それの正体は、ただそれです。まっさらなそれ、です。カップはあとからつけられたものです。そして、カップ自身はカップとしての運命からのがれられなくなってしまいました。

そんなふうに、すべての解釈は学ばれたものです。それはモノだけでなく、人に対する接し方やら、目に見えない相手のこころを推察することまで含めて・・・。

でも、この過去に学ばれた情報を毎度々々あてはめることで、じつはまったく同じパターンから出られなくなっているのです(カップの運命と同じです)。自分の知っている狭い世界にしか住めなくなってしまいます。ぜんぶ自分の限られた解釈によって、それらを制限してしまったからです。

過去に学んだことをあてはめつづけるということは、たった今起きているまったく新しいはじめての出来事も、ぜんぶ過去の色合いにそめあげて、まったく同じ出来事だときめて、決着をつける、安心するということです。

過去に自分がいたずらをしたり、なにかうまくできないときに、母が口をきいてくれなくなったとします。そうすると、大人になって「人が自分に口をきいてくれない」のを目にすると、私がなにかいけないことをした、私が間違っていたに違いない、と同じ思考を使って、同じ反応をしてしまうことになります。

でも実際は、お母さんにしろ、その人にしろ、口をきかないのは、いやなことがあったのかもしれないし、体調が悪かったのかもしれないし、何か思い悩んでいたのかもしれません。

過去のパターンを使わなければ、「どうしたの?大丈夫?」と思いやりの声をかけることができたかもしれません。過去のパターンを使ってしまえば、責められていると感じて、その人を恐れることになるかもしれません。

そうすると、自分と相手という二人の問題のある人を作ってしまいます。過去のパターンを使わなければ、二人のハッピーな人がそこにいるかもしれません。

結局、自分を怖がらせるのも、イヤな気持ちにさせるのも、不安にさせるのも、ぜんぶ自分のものごとに対する「解釈」なのです。それは、過去に学んだ意味です。

自分の「解釈」=「想い」が自分自身に災いしているのであれば、自分の考えに慎重になる必要があります。

自分がざわざわする、イライラする、穏やかでないときには、その直前にものごとを間違って解釈して、それを「あるがまま」に見ることができなかった、ということです。

だから、「あるがままに見る」というのは、自分の解釈をいっさい加えずに見る、ものごとに対して判断しない、言葉を一切発しない、あれこれ加えずに見る、ということなのです。

「え? そうなると、それに対してどうしたらいいのかわからなくなりますよね?」

はい、それを教えてくれるのは自分ではなくって、ハイヤーセルフのお仕事です。

自分で意味をつけようとせず、「ハイヤーセルフ、これはなんでしょうか?」と尋ねると、正しい解釈がこころにポトンと落ちてきます。それは、おそらく今までのパターンを破る解釈です。

私たちは「ものごとに対して何も解釈できない人は、おバカだ」と信じているところがあって、せっせとジャッジすることをやりつづけます。それこそが賢いと信じています。

なぜなら、学校でいつも意見や感想を求められて、答えられないと恥ずかしい思いをしてきたからです。意見もなく、解釈ができないなんて、おバカだわ!と。

でも、今、自分のうまくいっていないパターンから脱するためには、なにごとに対しても「これが何なのかわからな〜い!」というおバカさんちっくになってみることが大切なのです。

そうすると、そのあいたスペースに叡智がこたえを与えてくれます。

そして自分の絶えまない解釈がなくなると、「あ〜〜、なんて穏やかなんだろう」という安らぎを感じることができます。

なにも特別なことをしなくっても、すぐに幸せな気分になることができます。そして、消費電力を決定的に減らすことができるので、エネルギーを解釈すること以外に使うことができます(わたしたちはショートしっぱなしだったのですね☆)。

なので、自分を幸せにしてくれない絶えまない「ものごとへの解釈」を手放して、新しい考えが入ってこられるようにすべてを「あるがまま」にいたしましょう。

そこにやってくる新たなる考えは、まったく今までとは違った人生のパターンへと招いていってくれます。え〜〜☆ これって、こういう意味だったの? とびっくりすることもあるかもしれません。

そしてきっと、「恐れるものは何もないのですよ」と教えられ、「あなたは守られているから、さあ胸をはって安心して行きましょう!」という、安らかな励ましにいつも支えられているのを感じられるようになることでしょう♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

19-10-25 あるがまま、ってどういうこと?

Q: よく、「あるがまま」にものごとを見る、という言葉を耳にしますが、いまひとつピンときません。なにが「あるがまま」なのでしょうか?

A: 「あるがまま」に見ましょう!と言うとき、私たちはそれがまったくできていませんよ〜、という意味でもあります。

じゃあ、「あるがままに見ていない」私たちの日常の目線とはどのようなものなのでしょうか?

たとえば、テーブルのうえのカップ。それは、ただのそれ、「あるがまま」なのですが、

「あるがまま」がカップというものになるのは、過去に学んだたくさんの情報によります。

お母さんがそれにミルクを入れて「きょうから哺乳瓶でなくてカップにしましょうね」と言ったとか、絵本のなかにそれが描かれていて「カップ」と横に書いてあり、それでなにかを飲んでいる絵があったかもしれません。

すると、カップって液体を入れるんだ、端にくちをつけて飲むんだ、こうやって使うんだ ・・・ とさまざまことを学んでそれを理解したと感じます。


でも、それの正体は、ただそれです。まっさらなそれ、です。カップはあとからつけられたものです。そして、カップ自身はカップとしての運命からのがれられなくなってしまいました。

そんなふうに、すべての解釈は学ばれたものです。それはモノだけでなく、人に対する接し方やら、目に見えない相手のこころを推察することまで含めて・・・。

でも、この過去に学ばれた情報を毎度々々あてはめることで、じつはまったく同じパターンから出られなくなっているのです(カップの運命と同じです)。自分の知っている狭い世界にしか住めなくなってしまいます。ぜんぶ自分の限られた解釈によって、それらを制限してしまったからです。

過去に学んだことをあてはめつづけるということは、たった今起きているまったく新しいはじめての出来事も、ぜんぶ過去の色合いにそめあげて、まったく同じ出来事だときめて、決着をつける、安心するということです。

過去に自分がいたずらをしたり、なにかうまくできないときに、母が口をきいてくれなくなったとします。そうすると、大人になって「人が自分に口をきいてくれない」のを目にすると、私がなにかいけないことをした、私が間違っていたに違いない、と同じ思考を使って、同じ反応をしてしまうことになります。

でも実際は、お母さんにしろ、その人にしろ、口をきかないのは、いやなことがあったのかもしれないし、体調が悪かったのかもしれないし、何か思い悩んでいたのかもしれません。

過去のパターンを使わなければ、「どうしたの?大丈夫?」と思いやりの声をかけることができたかもしれません。過去のパターンを使ってしまえば、責められていると感じて、その人を恐れることになるかもしれません。

そうすると、自分と相手という二人の問題のある人を作ってしまいます。過去のパターンを使わなければ、二人のハッピーな人がそこにいるかもしれません。

結局、自分を怖がらせるのも、イヤな気持ちにさせるのも、不安にさせるのも、ぜんぶ自分のものごとに対する「解釈」なのです。それは、過去に学んだ意味です。

自分の「解釈」=「想い」が自分自身に災いしているのであれば、自分の考えに慎重になる必要があります。

自分がざわざわする、イライラする、穏やかでないときには、その直前にものごとを間違って解釈して、それを「あるがまま」に見ることができなかった、ということです。

だから、「あるがままに見る」というのは、自分の解釈をいっさい加えずに見る、ものごとに対して判断しない、言葉を一切発しない、あれこれ加えずに見る、ということなのです。

「え? そうなると、それに対してどうしたらいいのかわからなくなりますよね?」

はい、それを教えてくれるのは自分ではなくって、ハイヤーセルフのお仕事です。

自分で意味をつけようとせず、「ハイヤーセルフ、これはなんでしょうか?」と尋ねると、正しい解釈がこころにポトンと落ちてきます。それは、おそらく今までのパターンを破る解釈です。

私たちは「ものごとに対して何も解釈できない人は、おバカだ」と信じているところがあって、せっせとジャッジすることをやりつづけます。それこそが賢いと信じています。

なぜなら、学校でいつも意見や感想を求められて、答えられないと恥ずかしい思いをしてきたからです。意見もなく、解釈ができないなんて、おバカだわ!と。

でも、今、自分のうまくいっていないパターンから脱するためには、なにごとに対しても「これが何なのかわからな〜い!」というおバカさんちっくになってみることが大切なのです。

そうすると、そのあいたスペースに叡智がこたえを与えてくれます。

そして自分の絶えまない解釈がなくなると、「あ〜〜、なんて穏やかなんだろう」という安らぎを感じることができます。

なにも特別なことをしなくっても、すぐに幸せな気分になることができます。そして、消費電力を決定的に減らすことができるので、エネルギーを解釈すること以外に使うことができます(わたしたちはショートしっぱなしだったのですね☆)。

なので、自分を幸せにしてくれない絶えまない「ものごとへの解釈」を手放して、新しい考えが入ってこられるようにすべてを「あるがまま」にいたしましょう。

そこにやってくる新たなる考えは、まったく今までとは違った人生のパターンへと招いていってくれます。え〜〜☆ これって、こういう意味だったの? とびっくりすることもあるかもしれません。

そしてきっと、「恐れるものは何もないのですよ」と教えられ、「あなたは守られているから、さあ胸をはって安心して行きましょう!」という、安らかな励ましにいつも支えられているのを感じられるようになることでしょう♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング