水曜日, 3月 24 2021

水曜日, 3月 24 2021

気づきの日記「こころの不具合に気づきましょう」

 

スマホやパソコン、家電などは、誤作動しはじめたらすぐに直します。

「それ」自体を直します。

でも ・・・ 私たちは「こころ」が誤作動しはじめても、直そうとはしません。ほっておきます。

ほっておくので、誤作動はつづきます。気づかれるまでつづきます

なぜ「こころ」はスマホやパソコンのように、すぐに直せずほっておかれるのでしょう?

それは、「こころ」の不具合は「こころ」とはまったく別のところに現れてしまうから。

不具合は、自分の「こころ」のなかではなく、自分の「目にする世界」に問題として現れるのです。

それは、人との不和であったり、経済的な欠乏であったり、身体の病であったり、世界で起こる災いであったり、生死にかかわる状況であったり・・・あらゆる問題という形をとります。

そうなると、その問題にこそ飛びつき、それを修正しようとしてしまいます。

これが、「問題」というものがいつまでたってもくり返し、片づかない原因です。

「こころ」の不具合が、自分の見ている世界というイメージのなかに現れることで、それが何なのか、何が原因なのかがわからなくなってしまうのです。

すると、「こころ」を直そうとするよりも、世界や人をいじくりまわすことになってしまうのです。。

また、「こころ」の具合悪くなっていても、「具合が悪いのだ」ということを認めることができないということも、正すことができなくなっている原因のひとつです。

修正するためには、修正するものについてしっかりと気づいている必要があります。間違いを間違いだと知り、意識されていなければ、正されることはありません。

私たちは自分のこころが苦しい思いで占領されていても、そのツライ状態をスルーして見ないふりをしてしまいます。

苦しんでいる、ということ自体が、もうフツウではないのに、フツウではない状態に正直になれないのです。

目のまえの世界のフツウでない状態には敏感ですが、自分の「こころ」のフツウでない状態には感心がありません。

なぜなら、「形」あるものこそが自分に利益を与えてくれると思っているので、形のない「こころ」などかまってあげても何のご利益もないと信じているからです。

私たちは自分の「こころ」に対して、優秀は検査技師のようにならなければなりません。

精密機器のようにきれいにし、正確に作動すべく気づかってあげなければならないのです。

「こころ」の状態こそが、自分のすべてが立ち現れ、自分をとりまく世界を決めるからです。

自分が安らでない、幸せでない、喜んでないなら、なにかがおかしいと気づくべきです。すぐにそれに気づけるようにならなければなりません。

こころの状態に正直になり、すぐに正しているのであれば、見える世界は穏やかになります。

自分のこころの不具合を自分の外側の世界にぶちまけることで、自分を苦しめ、痛めつけることがなくなるからです。さらに、その解決の仕方がわからなくなる、という自作のトリックにはまりこむこともなくなります。

安らかな世界のなかに住みたいと思うのなら、自分の「こころ」をウォッチしなければなりません。

「このような状態である必要はない、私は幸せでいてかまわないのだから」と自分のこころの不具合を修正する習慣をつけましょう。

修正するためには、間違った思いを手放して、ただこころをカラッポにし、きれいにしてあげましょう。

カラッポにして、静まりましょう。

正しい「こころ」は、すでにそこで待っています。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

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21-03-24 こころの不具合に気づきましょう

 

スマホやパソコン、家電などは、誤作動しはじめたらすぐに直します。

「それ」自体を直します。

でも ・・・ 私たちは「こころ」が誤作動しはじめても、直そうとはしません。ほっておきます。

ほっておくので、誤作動はつづきます。気づかれるまでつづきます

なぜ「こころ」はスマホやパソコンのように、すぐに直せずほっておかれるのでしょう?

それは、「こころ」の不具合は「こころ」とはまったく別のところに現れてしまうから。

不具合は、自分の「こころ」のなかではなく、自分の「目にする世界」に問題として現れるのです。

それは、人との不和であったり、経済的な欠乏であったり、身体の病であったり、世界で起こる災いであったり、生死にかかわる状況であったり・・・あらゆる問題という形をとります。

そうなると、その問題にこそ飛びつき、それを修正しようとしてしまいます。

これが、「問題」というものがいつまでたってもくり返し、片づかない原因です。

「こころ」の不具合が、自分の見ている世界というイメージのなかに現れることで、それが何なのか、何が原因なのかがわからなくなってしまうのです。

すると、「こころ」を直そうとするよりも、世界や人をいじくりまわすことになってしまうのです。

また、「こころ」の具合悪くなっていても、「具合が悪いのだ」ということを認めることができないということも、正すことができなくなっている原因のひとつです。

修正するためには、修正するものについてしっかりと気づいている必要があります。間違いを間違いだと知り、意識されていなければ、正されることはありません。

私たちは自分のこころが苦しい思いで占領されていても、そのツライ状態をスルーして見ないふりをしてしまいます。

苦しんでいる、ということ自体が、もうフツウではないのに、フツウではない状態に正直になれないのです。

目のまえの世界のフツウでない状態には敏感ですが、自分の「こころ」のフツウでない状態には感心がありません。

なぜなら、「形」あるものこそが自分に利益を与えてくれると思っているので、形のない「こころ」などかまってあげても何のご利益もないと信じているからです。

私たちは自分の「こころ」に対して、優秀は検査技師のようにならなければなりません。

精密機器のようにきれいにし、正確に作動すべく気づかってあげなければならないのです。

「こころ」の状態こそが、自分のすべてが立ち現れ、自分をとりまく世界を決めるからです。

自分が安らでない、幸せでない、喜んでないなら、なにかがおかしいと気づくべきです。すぐにそれに気づけるようにならなければなりません。

こころの状態に正直になり、すぐに正しているのであれば、見える世界は穏やかになります。

自分のこころの不具合を自分の外側の世界にぶちまけることで、自分を苦しめ、痛めつけることがなくなるからです。さらに、その解決の仕方がわからなくなる、という自作のトリックにはまりこむこともなくなります。

安らかな世界のなかに住みたいと思うのなら、自分の「こころ」をウォッチしなければなりません。

「このような状態である必要はない、私は幸せでいてかまわないのだから」と自分のこころの不具合を修正する習慣をつけましょう。

修正するためには、間違った思いを手放して、ただこころをカラッポにし、きれいにしてあげましょう。

カラッポにして、静まりましょう。

正しい「こころ」は、すでにそこで待っています。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング