火曜日, 5月 11 2021

火曜日, 5月 11 2021

気づきの日記「ニセの自分を見張りましょう!」

 

腹を立てたり、落ちこんだり、いちいちモノ申したり、なんでも思いどおりにしたい、できる! ・・・ と信じているのは、あなたではありません。

ニセモノの自分です。

ニセモノの自分とは、エゴのこと。その自分は、つねにざわめいています。ざわめいていることこそがニセモノの証拠なのです。

ホンモノの自分は静けさそのものだから。山深いところにある湖のように、シンと静まりかえって、微動だにせず、澄みきっている存在。

ニセモノ(エゴ)の自分は、いつも大騒ぎすることで注意をひこうとしています。

その注目の集め方は、「不都合、不公平がそこにある!」と叫んだり、「動揺」「怒り」「恐怖」などの強烈な感覚を使ってマヒさせること。

そのやり方は、いっぺんに注意をうばって、クギづけにすることができるから。

注意をうばわれる・・・ということは、じつは「我を忘れる」「自分の正体をなくす」ということと同じです。自分が誰だかわからなくなり、身じろぎもしない存在だったことをすっかり忘れてしまうのです。

そして、注意を奪った対象に脅威を感じ、怖れるようになります。

すると、ニセモノであるエゴは、混乱を糧に注意をひき、エネルギーをたくわえ、パワーアップしてゆきます。つまり、乗っとっちゃうわけです。

大騒ぎしているもの、うるさく意見や批判を述べるもの、怖がってちぢみあがっているもの ・・・ それらは、自分ではないことを覚えておきましょう。

それに対する対処法は、ただスルーすることだけです。相手をしないことです。

相手をしようとすれば、すぐさまからめとられます。スルーすれば、自分のまえを通りすぎるだけです。

静めようとする必要も、正そうとする必要も、助けようとする必要もありません。

ニセモノは、いちいちかまう必要はないのです。注意という栄養をもらえなければ静かに消え去る運命にあります。

ただ「ふう〜〜ん、そんなこと言っているのね」「そんなふうに感じているのね」と存在していることを認めたら、静かにながめていましょう。もうすぐに、消えてゆくのがわかるかもしれません。

しょせん、そんなはかないものだったのです。

ニセモノはいろいろなかたちであらわれます。

あるときは、軽蔑していたり、残酷だったり、身勝手だったり、冷酷だったり、こどもっぽかったり、怯えていたり、ずるかったり・・・。

それを自分だと思えば、恥ずかしく感じ、罪悪感を抱きます。

そんなふうに感じる必要も、裁く必要も、抵抗する必要も、正す必要も、取り除く必要も、悪く思う必要もありません。

自分ではないものとかかわるのはやめましょう。自分とは、静けさのなかで愛をたたえて、穏やかに微動だにしない存在です。

通りすぎるものの後ろに、静かに、だけど微動だにせず、ど〜〜〜んと構えている存在です。

自分のこころの状態に敏感になることによって、その静かな湖のようなこころを波だたせるものに逐いち気づけるようになりましょう。

気づけたとき、それは終わりにすることができます。

ただ認識し、静かに観ていることで、それは失速して姿を消す運命になるのです。

なので、「人」や「世界」についてつねにあれこれ言いたいニセモノについて、それが姿をあらわる自分のこころを静かに見守る習慣をつけましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

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21-05-11 ニセの自分を見張りましょう!

 

腹を立てたり、落ちこんだり、いちいちモノ申したり、なんでも思いどおりにしたい、できる! ・・・ と信じているのは、あなたではありません。

ニセモノの自分です。

ニセモノの自分とは、エゴのこと。その自分は、つねにざわめいています。ざわめいていることこそがニセモノの証拠なのです。

ホンモノの自分は静けさそのものだから。山深いところにある湖のように、シンと静まりかえって、微動だにせず、澄みきっている存在。

ニセモノ(エゴ)の自分は、いつも大騒ぎすることで注意をひこうとしています。

その注目の集め方は、「不都合、不公平がそこにある!」と叫んだり、「動揺」「怒り」「恐怖」などの強烈な感覚を使ってマヒさせること。

そのやり方は、いっぺんに注意をうばって、クギづけにすることができるから。

注意をうばわれる・・・ということは、じつは「我を忘れる」「自分の正体をなくす」ということと同じです。自分が誰だかわからなくなり、身じろぎもしない存在だったことをすっかり忘れてしまうのです。

そして、注意を奪った対象に脅威を感じ、怖れるようになります。

すると、ニセモノであるエゴは、混乱を糧に注意をひき、エネルギーをたくわえ、パワーアップしてゆきます。つまり、乗っとっちゃうわけです。

大騒ぎしているもの、うるさく意見や批判を述べるもの、怖がってちぢみあがっているもの ・・・ それらは、自分ではないことを覚えておきましょう。

それに対する対処法は、ただスルーすることだけです。相手をしないことです。

相手をしようとすれば、すぐさまからめとられます。スルーすれば、自分のまえを通りすぎるだけです。

静めようとする必要も、正そうとする必要も、助けようとする必要もありません。

ニセモノは、いちいちかまう必要はないのです。注意という栄養をもらえなければ静かに消え去る運命にあります。

ただ「ふう〜〜ん、そんなこと言っているのね」「そんなふうに感じているのね」と存在していることを認めたら、静かにながめていましょう。もうすぐに、消えてゆくのがわかるかもしれません。

しょせん、そんなはかないものだったのです。

ニセモノはいろいろなかたちであらわれます。

あるときは、軽蔑していたり、残酷だったり、身勝手だったり、冷酷だったり、こどもっぽかったり、怯えていたり、ずるかったり・・・。

それを自分だと思えば、恥ずかしく感じ、罪悪感を抱きます。

そんなふうに感じる必要も、裁く必要も、抵抗する必要も、正す必要も、取り除く必要も、悪く思う必要もありません。

自分ではないものとかかわるのはやめましょう。自分とは、静けさのなかで愛をたたえて、穏やかに微動だにしない存在です。

通りすぎるものの後ろに、静かに、だけど微動だにせず、ど〜〜〜んと構えている存在です。

自分のこころの状態に敏感になることによって、その静かな湖のようなこころを波だたせるものに逐いち気づけるようになりましょう。

気づけたとき、それは終わりにすることができます。

ただ認識し、静かに観ていることで、それは失速して姿を消す運命になるのです。

なので、「人」や「世界」についてつねにあれこれ言いたいニセモノについて、それが姿をあらわる自分のこころを静かに見守る習慣をつけましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング