水曜日, 7月 21 2021

水曜日, 7月 21 2021

気づきの日記「問題は解決しなくていい」

 

目のまえに問題があらわれたら、解決に取りくむ ・・・ これが、私たちが教えられてきた人生の対処法です。

問題とは解決すべきものであると。

でも・・・もしその姿勢が、より問題を解決できなくしているとしたら? それが、火に油を注いでいることだとしたら?

私たちの人生に対する姿勢は、ものごとをよりよく「変える」ために努力すること。

向上してなんぼ・・・の世界なので、それに対して何もしないことは、前向きでない、やる気がない、怠惰な人と思われてしまいます。

だから、つねに人生をよりよくするために問題点を洗いだし、それについてアタマをひねり、対策を考え、変える努力をすることがよいことだと信じられています。

でも ・・・ 問題をどうにかしよと取り組むということは、「私 VS 問題」という対立構造をつくりだします。

対立は、勝利するために相手と闘うことを意味し、相手という一点に注意を注ぎます。その結果、自分の意識のなかで、それ(問題)をよりリアルで強固なものにしてしまうのです。

問題視すればするほど注意はたっぷりと注がれ、相手は自分にとって手におえない存在となってしまいます。

そうなれば、解決しようとしているはずなのに、その解決策はより相手をパワフルにするものとなっているのです。

ほんとうの解決とは、対立によるものではなく、自分のこころのなかでその存在を手放してあげることです。

つまり、注意をはずしてあげること。

対立によって相手に注意を注ぎまくり、リアルで強固な存在にするのではなく、まったく対立しないこと 〜受容すること、そのままにしてあげること〜 によって、注意という電源を抜いてしまうのです。

その状態にめくじらをたてて闘おうとするのではなく、ただ赦してあげることこそが、それを去らせてあげることができます

これは、「押してダメなら引いてみな(責めるのではなく、赦してごらん)」という、北風と太陽の原理のごとく逆をゆくことでうまく方法です

「こんなの許せない!」「これは問題でしょ!」と腹をたてて騒いでいるのは自分のこころです。その裁いている自分のこころにただ気づいてみましょう。

問題は相手にあるのではなく、じつはこの裁きの気持ちこそが問題なのです。なんたって、自分が問題だ!と言っているのですから。

静かにその気持ちに気づいてみるだけで、その裁きのこころから離れることができます(裁きの気持ちを対象として見たときには、自分自身はもうそこから離れています)。

離れることができたら、それをどうにかしようともせずに、ただ眺めていましょう。自分のこころをそこから離してあげるだけでそれは静まってきます。

出来事を裁いて「闘うべきだ!」と叫ぶこころそのものを静観する習慣をつけることで、問題をつくって問題とたわむれることを生業にしているエゴのスイッチを切ることができます。

すべてを裁きたいエゴのこころは、問題をこしらえては、そこに注意を注ぎまくって、をれを解決できないものに仕立てあげ、それに闘いを挑んでは疲れはて、敗北感を感じ、その敗北感からまた裁きなくなる、という不毛なループを好みます。それに巻きこまれないようにしましょう。

問題は解決すべきもの、ではなく、ただ受け入れて、意識のなかから手放してあげるもの。

問題をつくりだすまえに、をれを問題視しよとしている裁きの気持ちに気づいてみましょう。

裁きの気持ちを見つけたらただ静観することで、「問題だ!」と叫ぶ声は静まってきます。

この裁きの声が生きのびなければ、問題は問題となりえないのです。問題を作ってしまうまえに、この声に気づけるようになり、ただ静かに向きあってみましょう。それはただ消えてゆくのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

 

21-07-21 問題は解決しなくていい

 

目のまえに問題があらわれたら、解決に取りくむ ・・・ これが、私たちが教えられてきた人生の対処法です。

問題とは解決すべきものであると。

でも・・・もしその姿勢が、より問題を解決できなくしているとしたら? それが、火に油を注いでいることだとしたら?

私たちの人生に対する姿勢は、ものごとをよりよく「変える」ために努力すること。

向上してなんぼ・・・の世界なので、それに対して何もしないことは、前向きでない、やる気がない、怠惰な人と思われてしまいます。

だから、つねに人生をよりよくするために問題点を洗いだし、それについてアタマをひねり、対策を考え、変える努力をすることがよいことだと信じられています。

でも ・・・ 問題をどうにかしよと取り組むということは、「私 VS 問題」という対立構造をつくりだします。

対立は、勝利するために相手と闘うことを意味し、相手という一点に注意を注ぎます。その結果、自分の意識のなかで、それ(問題)をよりリアルで強固なものにしてしまうのです。

問題視すればするほど注意はたっぷりと注がれ、相手は自分にとって手におえない存在となってしまいます。

そうなれば、解決しようとしているはずなのに、その解決策はより相手をパワフルにするものとなっているのです。

ほんとうの解決とは、対立によるものではなく、自分のこころのなかでその存在を手放してあげることです。

つまり、注意をはずしてあげること。

対立によって相手に注意を注ぎまくり、リアルで強固な存在にするのではなく、まったく対立しないこと 〜受容すること、そのままにしてあげること〜 によって、注意という電源を抜いてしまうのです。

その状態にめくじらをたてて闘おうとするのではなく、ただ赦してあげることこそが、それを去らせてあげることができます

これは、「押してダメなら引いてみな(責めるのではなく、赦してごらん)」という、北風と太陽の原理のごとく逆をゆくことでうまく方法です

「こんなの許せない!」「これは問題でしょ!」と腹をたてて騒いでいるのは自分のこころです。その裁いている自分のこころにただ気づいてみましょう。

問題は相手にあるのではなく、じつはこの裁きの気持ちこそが問題なのです。なんたって、自分が問題だ!と言っているのですから。

静かにその気持ちに気づいてみるだけで、その裁きのこころから離れることができます(裁きの気持ちを対象として見たときには、自分自身はもうそこから離れています)。

離れることができたら、それをどうにかしようともせずに、ただ眺めていましょう。自分のこころをそこから離してあげるだけでそれは静まってきます。

出来事を裁いて「闘うべきだ!」と叫ぶこころそのものを静観する習慣をつけることで、問題をつくって問題とたわむれることを生業にしているエゴのスイッチを切ることができます。

すべてを裁きたいエゴのこころは、問題をこしらえては、そこに注意を注ぎまくって、をれを解決できないものに仕立てあげ、それに闘いを挑んでは疲れはて、敗北感を感じ、その敗北感からまた裁きなくなる、という不毛なループを好みます。それに巻きこまれないようにしましょう。

問題は解決すべきもの、ではなく、ただ受け入れて、意識のなかから手放してあげるもの。

問題をつくりだすまえに、をれを問題視しよとしている裁きの気持ちに気づいてみましょう。

裁きの気持ちを見つけたらただ静観することで、「問題だ!」と叫ぶ声は静まってきます。

この裁きの声が生きのびなければ、問題は問題となりえないのです。問題を作ってしまうまえに、この声に気づけるようになり、ただ静かに向きあってみましょう。それはただ消えてゆくのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング