気づきの日記「感謝は、出来事に対する反応ではなく、心の選択」

小さな不便が教えてくれる、ほんとうの豊かさ
海外でフルマラソンを走るアスリートの方が、こんな話をしていました。
「海外では、給水ポイントで日本のように手厚くいろいろなものを手渡してくれない。トイレは空の下。あっても自動で水が出るなんてことはないんです」と。
そんな環境に身をおいて初めて、日常の豊かさをしみじみ感じたそうです。
「走ったあとのゴハンが、ほんとうに美味しい。ささいなことに感謝できるようになった」と楽しそうに語っていました。
——そうですね。
私たちは、何不自由のない暮らしを手に入れれば幸せになれると思いがちです。
けれど、実際にはその逆で、「不自由さ」の中にこそ、心の豊かさが育まれていくのかもしれません。

江戸の人が知っていた、“いま”を味わう力
江戸時代の人たちは、今よりもずっと不便な生活をしていたはずなのに、季節の移ろいに喜びを見いだし、日々を楽しむことの名人でした。
満開の桜🌸を見て、風鈴🎐の音を聴いて、月🌕を愛でる。
どれも「いま、この瞬間」を味わう術だったのだと思います。
便利さや効率を追い求めるうちに、私たちは気づかぬうちに「ありがたさ」を見失ってしまうことがあります。
当たり前になった瞬間、奇跡のような出来事も、ただの風景になってしまうからです。
年を重ねて気づく、“ある”ことの喜び
私自身も歳を重ねるほどに、できないことが増えた一方で、感謝の瞬間は確実に増えた気がします。
以前は「もっとこうなりたい」とばかり思っていましたが、いまは、湯気の立つお味噌汁を見ても「ああ、今日も美味しい食事がありがたい」と感じます。
温かなお風呂に浸かれば、それだけで至福のひとときに変わります。
誰かが笑ってくれるだけで心が温かくなり、身体が動くことも、呼吸できることも、ただそれだけで喜びに変わるのです。

感謝は“心の選択”
そして気づくのです。
「感謝」は、起こった出来事への“反応”ではなく、実は“心の選択”なのだと。
外の状況がどうであれ、それを「有難い」と見る心のあり方を選べるとき、そこに本当の自由が生まれます。
たとえば、以前は「足りない」と思っていたことを、「すでに与えられている」と見るようになったとき――
それが、人生のあり方を変える「知覚の転換」なのかもしれません。
“ある”に気づくと、世界は輝き出す
今日、あなたが感じる小さな幸せはなんでしょうか?
朝の光、誰かの微笑み、食卓の香り。
それはすべて、見方を変えれば“奇跡”です。
どんなにささやかでも、“ある”に意識を向けるたび、世界はやわらかく輝き出します。
感謝とは、世界を新しい目で見ること。
それは、いのちの尊さを思い出す小さな瞬間でもあるのです。
——便利でなくても、完璧でなくてもいい。
いまあるものを「有難い」と見つめられる心がある限り、私たちはすでに豊かで、幸せなのです🌿
💫今日のひとことメッセージ
「感謝は、出来事に対する反応ではなく、心の選択。
“いまあるもの”を見つめるたび、あなたの世界は変わり始めます。」
すべては、当たりまえではなく「有難い」こと。






