気づきの日記「今まで知らない問題解決のしかた-問題と取っ組みあわない-」

新しい年がスタートいたしました!

年々、ITなどのさまざまな技術が進化し、システムがアップデートされ、その急激な変化について行くのが大変な昨今です。

しかし、それに比べてまったく変化しないのが私たち人間の「こころ」です。とくに、問題への取り組み方です。

日本は世界的にみても幸福度が低いし、自ら命を絶ってしまう若者の数も上位に位置しています。

技術の革新は、新しく開発されたモノを使いこなすことによってその流れについてゆくことができますが、こころのアップデートに関しては一人一人が自分でやるしか方法がありません。それぞれが自分のこころの状態に責任をもって、安らぎを感じられるようにこころを正してゆくことでしか変わることができないのです。

そして、誰もこころを正すための「正解」を知らないがために、うまくいかない方法が受け継がれてしまっています。そのため、誰もが必死で問題解決に挑むのにもかかわらず、結局はがっかりする結果になってしまうのです。

私たちは人のやり方に倣ってさまざまなことを身につけてゆくので、こころの使い方も幼い頃に近くにいた両親や近しい人と同じやり方をするしかないからです。

その同じやり方というのは、たとえば「問題」が目のまえにあらわれたとき、それとガッツリ四つに組んで解決しようとする、問題に正面から突進するというやり方です。

それに向かって行って、体当たりしたり、背負い投げしたり(?)、降伏させようとしたり・・・とにかくあらゆる手を使ってその問題をどうにかしようと試みます。

それは、まさに闘いそのものです。

でも・・・そもそも、それは闘うべきものなのでしょうか?

闘おうとすると、それは「敵」となり、軋轢がうまれ、苦しみも生まれ、闘いはつづきます。

また、「敵」と呼ぶからには容易な存在ではなく、自分にとっては手強い存在であることでしょう。「敵」と呼んだそのときから、もう対処が難しい存在になってしまっているのです。

もし「敵」というレッテルを貼らなかったら? 「闘い」と見なさなかったら?どうでしょうか。

じつは、目のまえで何が起きていようとも、それに対する「見方」こそがその後の成り行きを決めるポイントなのです。

「これはキケンだ!」と言えば、かならずキケンなものに感じられ怖れることになるでしょう。

「それは敵だ!」と言えば、きっと手強く攻撃されているように感じるかもしれません。

けれど・・・もし、「これは私にとって、幸せになるためのチャンスだ!」と見なしたとしたら・・・

そうなのです、それは必ず自分に対して、何らかの恩恵をもたらしてくれるものになっていることでしょう。

なぜなら、自分がそのように決めたからです。私たちのこころは自分がどのような体験をするのかを決めることができるほど大きな力をもっています。

学校で教えてもらえなかったことは、「自分のこころのパワーとその使い方」です。

私たちは良くも悪くも、自分のこころが決めたものをつねに受け取っているのです。

だから、「自分が受け取りたいものとして、目のまえにやってきた現実を見てあげる」ということこそが、自分に幸せをもたらしてくれるのです。

目のまえのことを、どのように受け取るかは自分しだいなのです。

しかし、こころは怖がりで、なにを見てもすかさず「キケンだ!」「闘え!」「やっつけろ!」と即座に指示を出してきます。これは自分を守ろうとする自動的な反応なので、その反応が起きたとしても構わないのです。

ただ、その指示を受け取ったときに、気づくことです。「キケンだ!」をそのままにしないことです。

「キケンだ!」と感じたのは、自分を小さな存在だと勘違いしてしまっているからだと気づき、その「キケンだ!」という考えをを訂正してあげましょう。「私はキケンとは無縁だ」「闘う必要などない」「やっつけるものなどない」というように、自分にとって安らかな考えに変えてあげましょう。

なぜなら、「キケンだ!」という考えさえなければ、キケンではないからです。ただ静かにして、するべきことをするでしょう。そして、それはつねに自分を正しい方向へと導いてくれます。

私たちは自分のこころに浮かぶとっさの判断によって、自動的に自分を守ろうとしてしまいますが、いつも安心していてよいのです。

自分を超えた高い存在によって、私たちはちゃんと守られていて、すでに安全だからです。構える必要はないのです。

このようなことを、私たちは誰からも教わってはいません。ただ知らなかったのです。知らないがために、「守ろう!守ろう!」として、もっとキケンな状態を作り出してしまっていました。

「守ろう!」とすれば、私たちはどんどん弱い存在になってゆきます。自分は弱いから守らなければならない!と決めたことになり、つねにその証拠を目にすることになるからです。

自分で自分を弱い存在に仕立てあげなければ、私たちはもともと大いなる力によって守られている大丈夫な存在なのです。

大切なことは、すでに自分を守ってくれている大いなる力を阻害しないことです。「キケンだ!キケンだ!」と大騒ぎして、キケンを呼び込み、自分をキケンにさらされる小さな存在に仕立てあげないことです。

私たちがそもそも学ばなければならないのは、「私たちは本来、そのままで大丈夫なのだ」ということです。

そして、すでに自分に備わっている力を阻害しないためにも、必死で自分を守ろうとして攻撃に出ないことです。攻撃を仕掛けるのは、いつだって弱いと感じている存在だけだからです。

「怖れ」を感じるときには、まず「私は人知を超えた大きな力、愛の法則によってすでに守られている。だから、コワイことは起こらないし、キケンなことも存在しない」「私はこれをチャンスに変えられる」と自分に教えてあげましょう。

そして、自分を守ってくれている大きな力に「目のまえにあることに、どのように対処したらよいのでしょうか?」「そこから自分への恵みを受け取るにはどうするのがよいでしょうか?」と静かなこころで尋ねてみましょう。

答えはすでに自分のこころのなかに置かれています。自分自身が静まることで、湖の水が澄んでくるように答えが自然と姿を現して導いてくれることでしょう。

私たちは「問題」と見るやいなや、それに飛びかかってどうにかすることに必死になりがちです。そしてそれが、問題を解決するスタンダードなやり方とされているのです。

しかし、飛びかかって解決しなければ!という怖れの気持ちが、すでにある答えを見えなくしてしまいます。あわてて行動したい気持ちは抑えて、まずは自分のなかにある大いなる力にコンタクトをとってみましょう。静けさのなかで、その答えが姿を現してくるのを待ってみましょう。

これが、真の自分自身の力を活用する問題解決の方法です。

どうにかしようとあらぬ方向に走り出すのではなく、自分のこころに静けさを取り戻し、その静けさのなかから生まれてくるひらめきや直感を信頼してみましょう。

親や学校や自己啓発書が教えてくれる問題解決のやり方とはまるで違いますが、試してみることできっとうまくいくことがわかるはずです。

問題と闘うことでは、問題にパワーを与え、さらなる問題を作ることになり、解決はさらに複雑化してしまいます。

まずはいったん問題から退いて、ただ自分を助け導いてくれている叡智とつながってみましょう。そして、直感を受け取り、それから自分が動くままに動いてみましょう。

静かさのなかで自分のこころの力と一つになることによって、まるで問題がはじめからなかったようにすんなりと進んでゆくことが体験できるかもしれません。また、その状況から思わぬ豊かな経験ができるかもしれません。

こころの真の力とつながっているときには、問題というものは消えてしまいます。

そして、その成功体験がこころの力を使う確信を生み出してくれることでしょう。

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