気づきの日記「ものの数分、おうちセラピー」

「世の中の人全員、セラピーを受けたほうがいいと思います!」

これは、セラピーを受けにいらした方が口をそろえて言われるセリフです。「必要なのは悩んでいた私だけではなかった!これは、全員にとって必修科目だよね!」と。

そのように言われるご本人も、実際に受ける前まではなかなか行動に移せなかったそうです。

「セラピーなんて、特別に病んだ人がうけるもの」
「自分で解決する能力がない人が行くところ」
「セラピーを受けているなんて恥ずかしい」・・・そんな印象をもたれていたようです。

でも実際受けてみて、「これは、生きていくうえで全員必要」という感想に変わります。なぜなら、

「いかにたくさんの制限やルールに縛られて、自分のこころが小さく縮こまって呼吸困難になっていたか」
「いかに自分が人や世界を怖がって、懐疑的で敵対的な態度をとっていたか」
「いかに世の常識と言われる考えが、私たちを幸せにしていなかったのか」
「いかに自分の考えをうのみにすることで、自分を混乱させていたのか」・・・そんな気づきがあったそうです。

制限やルール、常識や考えに縛られて、気づかぬうちに自分自身が萎縮し小さな存在となり、そんな自分を必死に守ろうと頑張っていたことに気づくのです。

「この世界で頼れるのは自分だけ」と信じて、日々が緊張の連続で闘いになっていたのです。

私たちは大学を卒業するまでに相当高度な学問を学びますが、それらはすべて自分の外側にあるものについてなのです。自分のこころについては何ひとつ知らないままです。

しかし世界というものは、自分のこころで見て、判断して、知覚しているので、まさに世界と自分のこころは同じものになります。自分のこころを外に見ているということなのです。

自分のこころが安らかでなければ、安らかな世界を知覚することはできません。自分の感じる幸せは、外側のものごとではなく、自分のこころの状態にかかっているのです。

しかし、私たちのこころは生まれてからさまざまな考えを刷り込まれ、どんどん不自由になってゆきます。それにもかかわらず、こころに関しては何のケアも施されず放置され、つねに外側の世界に対して何かすることを求められるのです。

自分のこころが間違ったことを信じ込み、恐れや不安でいっぱいであれば、世界はつねに不安で恐ろしいところになってしまうのです。それは世界が歪んでいるのではなく、自分のこころこそが歪んで見せているのです。

実際、私たちが生まれて、世の中に放り出されてからというもの、他との比較にさらされ、つねに平均値や理想を目指すことを強いられ、自分でない自分になることが目標とされています。ほんとうの自分など、遠い昔に忘れ去られてしまいます。

自分がネジ曲げられ、小さな箱のなかに閉じこめられてしまったことに気づくことさえなく、その息苦しさから恐れや不安を感じ、それがだんだん自分にとってふつうの状態となってしまうのです。

けれども、セラピーを受けることで、役に立たない思いこみを取り除き、縮こまっていたこころをストレッチし、自分を超えた源の力とつながり直すことで、こころはほっとします。

「ああ、自分はこんなに軽くて自由でいいのか!」「こんなふうに感じられる自分もいたのか!」と、ほんとうの自分に気づくことができるのです。そして、以前の自分がどれほど不自然な状態にあったのか、あらためて気づくのです。

自分が広がって解放されたように感じるのは、自分のこころのなかの無限の光とつながることができたからです。

すべてを自力で解決しようと頑張っていたけれど、じつは自分を超えた大きな力に安全に運ばれていて、この力とともにあれば完全に守られている、という安心感を取り戻し、ついに肩の荷を下ろすことができるのです。

光に当たらない植物や動物が元気を無くして死んでしまうように、私たちも自分のこころをつねに光に当ててあげなければなりません。

光とは、まさに私たちを支えているいのちそのものであり、私たちにすべてを与えてくれる無限の供給源でもあるのです。

その光のありかははるか遠いところではなく、自分のこころのなかにあります。すべての供給源はすでにそこに存在しているのです。

しかし、年がら年中、外側のことばかりに反応し、それに飛びついて闘ったり、コントロールしようと注意を奪われていると、自分のなかの光とのつながりがなくなってしまいます。自分の注意のすべては外に向けられているからです。

光とのつながりがなくなれば、私たちは枯渇してゆくしかありません。いのちを支える供給源を失い、こころも身体もバランスを崩してしまうのです。

光がなければ、私たちはエネルギーを失い、やがては何も感じることがない枯れ木のようになってしまうのです。

私たちのすべてを支え供給してくれる源の光とつながっているためには、その光が存在するこころへと戻らなければなりません。自分のこころへと注意を向け、無限の広がりを感じ、その安らぎや愛を自分が目にする世界へと映しだせるように、そこにある光とひとつになる必要があるのです。

一日のうちで少し静かな時間をとって、自分の内なる光とつながってみましょう。

ほっと一息お茶を飲むような時間でもいいし、お風呂に浸かってのんびりしているときでもいいし、あるいは眠るまえのひとときでもかまいません。外へ外へと引っ張られる意識を、静かに自分の内側の広がりへと戻して、無限の光のなかへと解放してあげましょう。

1、静かに目を閉じて、ゆっくりと深く呼吸を繰り返します。
自分の呼吸を感じていると、こころが静まって注意が内側に向かいます。

2、呼吸をしながら、自分自身がその呼吸のなかに溶けて広がってゆくのを感じてみましょう。
ただ空間に溶け去り、存在の感覚だけがそこにあります。

3、そして、大きな光を迎え入れるイメージをしてみます。自分自身がまさに光と溶け合う感じです。
身体を忘れ世界を忘れ、どこまでも広がって、ただその光のなかで静かにくつろいでみましょう。
頑張ってくつろぎの状態を作り出す必要はありません。ただ自然にゆったりとして、その光のなかで無重力を感じてみましょう。

4、なにか気がかりなことが浮かんできたら、ただその光のなかに手放してしまいましょう。
考えごとが浮かんだり、意識がぼうっとしたら、またこの状態に静かに戻るだけでよいのです。

ものの数分でかまいません。心地よく光へと戻る体験をしてみましょう。

たびたび自分自身をこころの内側へと戻し、光のなかへと解き放ってあげるだけで、私たちはこころがのびのびし、安心感を取り戻します。源の光とつながることで、不思議な安定感が生まれるのです。

それと同時に、外側の景色も変わり、ものごとが順調に流れ出したり、新たな展開が起こったりします。それは、こころがしっかりと充電され、安らぎを取り戻したからです。

外側のものごとは、すべて内側とつながっています。自分の内側を光で満たし、安らぎのなかで解き放ってあげることで、その軽やかな感じが自分の目にする世界へとそのまま映し出されてくるのです。

そして、あなたの世界を平和で安らかなで愛のある豊かなものへと導いてくれます。

これは、ものの数分でできる簡単な「おうちセラピー」です。

どうしても解決しなければならないこと、自分ではどうしていいのかわからないこと、何度もくりかえすような問題・・・

そんなことがあるとき、この内なる光とひとつになり、光のなかで広がる「おうちセラピー」は、まさに自分のこころを超えた力とつながり、自然に答えを導き出す方法です。

ただこのようにリラックスするだけで、問題の見え方が変わったり、自然と解決へと向かったり、自分の気分もラクにすることができます。

このこころのなかにある光こそが、すべてを支える源であり、私たちのこころを超えた叡智そのものだからです。

自分のなかに自分本来の光を導き入れ、つながりを取り戻すために、一日のうちに少しだけリラックスタイムをとって、自分のこころと人生をケアしてあげましょう。

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