furukawaさんのブログ

あちこちに春♡

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

きょうも、陽ざしがさんさん! コートがいらない暖かさです。

お友だちと「サクラが咲いていないかな〜」と歩いていたら、あら! 咲いていました♡

可愛らしいピンク色にこころが踊ります。

今年は本格的に暖かくなるのも早そうですね。

こちらは、お友だちにいだいた手のひらサイズの小箱。こちらにもサクラ。赤い千代紙が可憐ですね。

ナント、ナント、こんなミニ鏡台に早がわりするのです! かわいい〜〜♡

テーブルにおいて、メークなおしに使えますね〜!

引き出しには淡い色あいのお菓子が入っています。

そういえば、もうすぐお雛さま。春がどんどん近づいてきます。

 

今さらですが、新年会♪

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「るん」のかくれスタッフ Yちゃん、Sちゃんと新年会 @アシエンダ デル シエロ、ご近所のおしゃれメキシカンです。

ふだんはまったくメキシカンをいただきません・・・ なぜだろう?

昔セミナーでたびたび長期滞在していたフロリダで、外食となるときまってメキシカン。でも、その量がハンパなくって、いつも 3/4 ほど残してしまうのです。で、巨大なドギーバッグでお持ち帰りとなり、翌日の朝ゴハンもお昼もメキシカン攻撃にあっていたため、すっかりヘキエキしてしまったのでした(汗)。

さて・・・本日はどうなることやら??

ステキなながめのテーブル。代官山からこんなにまっすぐ東京タワーが見渡せるとは!
店内は天上が高く広々としていて、テーブル席とボックス席があります。季節がいいときは、テラスのソファでゆったりと風にふかれてお食事、なんていうのも気持ちよさそう♡

本日のメニューはこのお店のリピーター Yちゃんまかせで! まずは、ワカモレ。アボカドをチョイスさせてくれて、目のまえで作ってくれます。山盛りのディップに、香ばしいコーンチップスがとまりません!(やだっ!メチャおいしいじゃない?!)

ファフィータも、こんなふうにオニイサンがテーブルにきてパフォーマンスしてくれます。やわらかいお肉とたっぷりのお野菜をイエローとブルーのトルティーヤで包んで、三種類のソースとともに(と〜っても好みのお味♡ おいしすぎて毎日食べられる!)。

私はノンアル サングリア♪(フルーツジュースですね!)モヒートとマルゲリータをひとくちづついただき、それでもうクラクラ・・・。

その後、エビとサーモンのチーズたっぷりナチョス(シーフードとチーズがおいし〜い♡)。リブステーキもいただき(やわらか♡)、まだまだいけそうな雰囲気でしたが残念ながらタイムアップでおひらきに。

さっぱりとした日本人好みのテイストでと〜〜ってもおいしいでした。即、リピートしたいぐらい! 無事、メキシカン攻めの呪いはとけたようで、お野菜たっぷりでトルティーヤがおいしいメキシカンのファンになりました。

こんどは季節がよくなったら、是非テラスで♪

 

 

気づきのぷちノート「ダメな私・・・と感じるとき」

Q: 自己探求のワークをして、被害者になるのをやめようとしています。しかし、だんだん「人のせいにしていたんだ」という罪悪感が出てきてしまいます。

A: 罪悪感が出てきたら ・・・ まずは、喜びましょう!(笑)

それは、自分を解放するためのお宝が見つかったからです。

私たちの思考はかならず、自分に対してある結果(知覚)をもたらします。

思考の結果として、自分が「幸せ・安らぎ」を感じるのか、あるいは「苦しみ」を感じるのか ・・・ 「天国」or「地獄」という二つにひとつです。

つまり、安らぎ100パーで苦しみゼロ。あるいは、安らぎゼロで苦しみ100パー。

この2バージョンしか存在せず、中間のグレーゾーンはありません。「苦しみ」というインクは、一滴たらせばぜんぶ苦しみです!

そうなると、考えというものはちょっとキケンに感じられます。

でも、そのキケンにさらされないようにするためには、意識的に「気づく」ことが大切になってきます。

まずは、自分で自分を「苦しめる」思考の一つひとつに、正直に気づいてゆく段階が必要です(私たちは自分の考えに気づかず、日々、自分を虐待しています)。

今まで思考を無視して、ことなかれ主義をとってきた私たちにとって、自分の考えの間違いに一つづつ気づくということは、気がめいることでもあるかもしれません。

だから、「罪悪感」に出くわすとすぐさまビビってしまい、「ダメな私・・・」というさらなる罪悪感でそれ以上進めなくなってしまいます。

けれども、今はじめてそう感じたのではなく、ずっとそれを抱えながら生きていた、ということなのです。でも、まんまと隠蔽して、ないフリをしてきました(罪悪感はエゴの活力の源ですから、なくなってしまったら困るのですね)。

だから、ついに見つけたら「ラッキー☆」ということになります。間違いに気づかない限り、訂正はききません。

「こんな感覚をもっていたのか〜」と間違いに気づいて、手放すことができます。

間違いは間違いだと認めた時点で、おおかた手放せたようなものです。

だから、必要な第一歩は、「へえ〜・・・私ってこういう場面では、こんなふうに罪悪感を感じるんだ〜」と客観的に気づいて、

あらためて、「じゃあ、なぜそんなふうに感じる必要があるのだろう? 私はいったい自分をどういう存在だと信じているの?」と、さらに一歩探求をおし進めることができます。

たいてい、そこにはエゴが主張している自分像があります(小さくて、無価値でおびえている私というような)。

その答えがほんとうのことなのか? 理にかなっているのか? 高い意識の助けをかりながら冷静にながめてみましょう。

考えはつねに自動的ですが、だからといって正しくはありません(たいてい大間違いです)。

自動的な考え、あたりまえだと思っていることにまんまと騙されていることによって、苦しみが生まれていることに気づく必要があります。

「罪悪感」というイイモノが出てきたら、それこそが自分を無価値な小さなモノに感じさせていたワナだと気づき、逃がさないうちに着ぐるみをはいでしまいましょう。

着ぐるみのなかは ・・・ 誰もいない?!☆

 

 

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♥ Happy Valentine's Day ♥

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やっぱり、この日にチョコをいただくと嬉しいものです♪

キュートなネコちゃんチョコ。

肉球ふたつ入り(笑)。

最近は、チョコ以外も! かわいいハート型のおかきです。

ありがとうございます♡

 

 

気づきのぷちノート「いつか幸せに・・・なれない」

私たちの願いは、ただひとつ。「幸せになること」です。それは、みな同じ。

そのため、誰もが日々さまざまな努力を重ねています。

せっせと活動し、必死で仕事をし、愛する人を見つけ、自分の理想をめざす ・・・ すべて幸せになるため。

ところが ・・・ なぜかその途上で、自分を苦しめています。お尻をたたいて自分を酷使し、好きでもないことを無理じいし、愛のために犠牲をし・・・ もうヘトヘト。

幸せを目指していたはずなのにその努力は水のアワ、どんどんツラくなる現実っていったい・・・(汗)?  なぜっ?

幸せという「結果」を手にしたいとき、幸せはいつも手のとどかない未来にあって、今は犠牲にされて相変わらずツライ生活 ・・・ということになります。幸せは、いつも届きそうで届かない未来にぶらさがっているのです。

でも、私たちは「今」以外にいたことなどないのです。ここが幸せでないのなら、とうてい幸せは望めません。

今しかないなら、手にしたいもの(結果)とそれに対する努力(原因)も同じところにあるはず。遠くに切り離しておくことはできず、今同時に起こっているはずです。

だから、努力して「いつか幸せになる」という図式はあてはまりません。今以外には意味がないからです。

原因と結果がワンセットで同時なら ・・・ ただシンプルに、今、すぐにしあわせであることを選ぶことができます。

しあわせは外からやってくるように思われますが、じつは自分を苦しめる考え方をしないこと、それだけなのです。(しあわせでないときには、モノゴトに対して、自分がツラくなるとらえ方をしているのです。自分で自分を怯え、疲れさせています。)

だから、毎瞬、自分を苦しめるような考えをチェックする必要があります。ツラい考えは、自分に対するムチになっていたのです。そのとき幸せは感じられません。

ただ気づいて手放して、安らぎを選ぶだけで、すぐに平和になります。リラックスできます。

自分の思いこそが自分を虐待しつづけている、という事実になかなか気づけません。しかし、考えがないところでは苦しむことすらできません。幸せにしない原因が、自分の考えにあったことがわかります。

「たった今」、毎瞬、毎瞬、自分を苦しめる考えに気づいて、ハイヤーセルフへと手放して、ただ安らぎを選ぼうとする意志だけで十分なのです。

毎瞬はむずかしい ・・・ というときは、「いやな気持ちになっている」「怖れを感じている」というときに、その直前の思いをチェックしてみましょう。かならず、自分に優しくない考えがそこにあることに気づくことでしょう。

ハイヤーセルフにそれらを委ねることで、こころのクセを修正してもらいましょう。そして、たった今、安らぎを感じてみましょう。

 

 

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気づきの日記「決めること、選択することが苦手です」

Q: 「引っ越しを考えていますが、なかなか決められません。じつは、何についても決められない性格です。決めたとしても、自信がありません。正しく選択できているのか、いつも心配でストレスを感じてしまいます」

A: ものごとをあれこれ考えることほど、エネルギーを消耗することはありません。

私たちは活動や生活そのものに疲れるというよりも、じつは自分のあれこれの考えに打ちのめされ消耗してしまうのですね。

そして、「正しい選択・行動をしなくては・・・」という思いは、いつも自分にプレッシャーを与え、不安な気持ちにします。

つまり、自分の考えこそが自分を疲弊させ、自分を怖れさせ不幸にし、自分を追いつめるのですね。

「ひとつ」以上のもの、つまりたくさんのものが存在するように見えるこの世界では、つねに対比が生まれるため、それが不安と混乱の感覚を生みだつづけます。

たとえば ・・・

きょうはお休み!さて、何をする? まず洗濯? いや、掃除が先かな? 買い物もしとかなきゃ! ・・・ とか。
○○ちゃん、具合が悪いみたい。お見舞いに行く? 電話のほうがいいかな? それともメール? ・・・ とか。
新しいセーターを買いたいな。そろそろ冬物のセールかしら? すぐ買いに行ったほうがいい? それとも、もう少し待つ?

今するか、あとでするか、あれを食べるか、これを食べるか? というささいなことまで、日常は、大小さまざまな選択の連続です。

私たちにとっては「たくさんのなかから選ぶ」ことがあたりまえの行為なので気づかないかもしれませんが、この「つねに選択する必要がある」という感覚は、とてもストレスフルだし、うまくできるだろうか? という怖れと緊張を生みだします。

もしも、何から何まで全自動的で、ほっといてよくて、何ひとつ選択する必要がなかったら ・・・ どんなにスコーーーーン☆ とはればれしいか?! 自由か?! リラックスできるか?!

でも、ほのとうのところは ・・・ 何も選んでなどいないのです。何ひとつとして! ほっておいても(ほっておかなくても)、人生は一瞬、一瞬、勝手に展開してゆきます。

まさか、「選んでいる」ようにごまかされているとは気がつきもしません。

つねに「力」と「コントロール」の感覚を感じていたいエゴは、やってくるものごとに対して選択肢をなげかけてきて、まるで自分が選んでそうしたように感じさせて、人生を制御できているパワーと安心感をえようとします。

あたかも自分がなにかを決めて、なにかをして、自分が結果を出したり失敗したりできるのだ!と信じていたいのです。

でも、一瞬一瞬はパカパカと勝手に開いてゆく飛び出す絵本のようなもの。エゴが口をはさもうが、黙っていようが、いずれにせよ何をどうする力もありません。結果は同じなのです。

もし、エゴの選択が何かに影響をおよぼせるとしたら、それは不安やあせりや、感情のアップダウンを生みだすことぐらいです。エゴの言うことに耳を傾けて、ジェットコースター気分を味わうことができるというだけです。でもそれは、次に起こることとはなんら関係がありません。

なにもできない幼児が、大人がしたことに対していちいち「ボクがやったんだよ〜」「すごいだろ〜〜!」「見てみて!」「ほめて〜!」と叫んで注意をひいているようなものです。

エゴとかかわるエキサイティングなアップダウンよりも、穏やかさ、安らぎ、リラックス感をお好みの場合には、ただ黙って、人生という飛び出す絵本が展開するままにまかせておきましょう(別名、それは「受け入れる」ともいいます)。勝手にページは開いて進んでゆきます。

大騒ぎしようが、黙ってくつろいでいようが、どちみち起こることは同じです。

そして、黙ってそのまま見ていると、さっさとただ過ぎさってゆきます(自分は影響を受けないまま、それはもう行ってしまいました)。

でも、「わたしがやっているの!」と言いはることは、そのページをずっと開いたまま、「見て!見て!」と誇示しているようなもので、先へはなかなか進めません。

もともと選ぶことなどできないにもかかわらず、もしもどうしても習慣で常に選ぼうとしていたら(Ex. これをするべき、それともあっち? というように)、そのときは「わたしはわかりません。ハイヤーセルフ、わたしにかわって選んでください」と委ねて、選択を放棄しましょう。

ちゃんと、自分にとっていちばんよいことが起こると信頼して。

でも、その「よいこと」はエゴの欲や虚栄心を満たしてくれるエゴのための「よいこと」とは違うのです。けれども、ほんとうの意味で幸せになるためには必ず必要なことです。

だから、安心してやってくるものに自分を開き、受けとりましょう。

「ただ受け入れる」「ただ起こることをそのままにしておく」ことによって、リラックス感、安らぎが生まれ、今ここに自分が開きます。

私も選択にとらわれそうになるときには、こんなふうに言っています。

「さて、この人(たかこさんともいう)がこれをどうするのか見ていてみよう!」「どうなるのかな〜♪ 何が起こるのかな〜♪(ワクワク)」・・・という具合に、完全に傍観者になって、自分がそれをどのように対処してゆくのかをおもしろがって観察しています。

起こる行動は正しく、すべて必要なことです。だから、ただリラックスして見ていましょう。

「あら?お腹がいっぱいのはずなのに、まだスウィーツを食べつづける気だわ!」と意に反する行動にびっくりすることもたびたび(笑)。でもそれでいいらしいのです。私はわかりませんが・・・。

たいてい、これでうまくいきます!(笑)たかこさんという人物を乗せたまま、飛び出す絵本は勝手にパカパカ展開してゆきます。

ただ見ているというのは興味深いものです。あれこれ考えるよりも、ずっとストレスが少なくて、「へ〜、そうきましたか?」と自分のとる行動に自分でびっくりしていたりします。

ほっておくと、いちばん正しい道が目のまえに現れて、それをしている自分を見ます。ただ「受け入れて」それに従うだけです。

エゴのあれやこれやの思いは、まったくいらないのですね。静かです。

自分がほんとうに安らかになりたいのであれば、「自分で」選ぼうとする、決めようとすることをやめることなのです。それによって、責任やら緊張やら、葛藤やら、失敗感から解放されます。

人生が見せてくれるものに対して警戒して怖れを感じるのではなく、自分にやってくるものをすべて「善きもの」として受け入れる、という信頼が大切です。

「私は、安心して手放していて大丈夫! なぜなら、私は宇宙(源・神)に大切にされているから、当然いいものしかやってこないから」という信頼。

そしてそのいいものとは、自分個人だけにとっていいものではなくて、じつは全体に影響を及ぼす、全体にとっていいものなので、自分だけでなくすべての人、存在が手をとりあって恩恵を受けることができるのです。

なぜなら、すべてはつながっているから。だからこそ、「個人」が自分ひとりで一生懸命自分のためにする選択などいらないし、意味がないです。

そもそも選択などしてないし、それはできないし、だからこそすべてはOKでまったく安心なのです。

さてさて、「この人(あなたでーす!)」がこれからどんなふうに行動するのか、ただおもしろがって見ていてください。何が起きても、自分は間違うことができないことに気づきます。いつもちゃんと正しいのです。

 

 

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春をかんじる夕べ

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自然は正直なので、立春ともなるとお部屋にある植物たちは小さな芽を出しはじめます。

夕方も少しづつ日脚がのびて、仕事終わりでもうっすらと明るくて春が近づいているのを感じますね。

真っ暗で寒いとお散歩に出てもすぐに戻ってきてしまうのですが、昨晩のように暖かな夕べは少し足をのばして・・・。お目あては大好きな和菓子屋さん、恵比寿の果匠 正庵さん!

テレビでもたびたび紹介されているので「あるかな〜?」と心配でしたが、あった〜!

あんず大福〜♡

イチゴ大福もありますが、そちらにはなびきません。甘ずっぱい大きなあんずとさっぱりあんこ、そしてやわらかなお餅がとってもバランスがよいのです。

うっすらとオレンジ色で可愛いです♡

あんこがギッシリのどら焼きもオススメ。そして、買ったことがないお饅頭にもチャレンジ。クリームチーズの白あんにゆずが香るとってもおいしい焼き菓子でした。

こんどは、どこにお散歩しようかな〜♪

 

 

優雅にオペラの午後♪

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オペラにご招待いただきました。

お友だちの歌姫 吉原圭子ちゃん出演の「タンホイザー」@新国立劇場。全三幕、四時間越えのワーグナーの作品です。(画像は新国立劇場HPより

音楽の授業やらCMで断片的に耳にしていたおなじみの旋律。とくに第三幕での荘厳な調べは、きっと誰もがご存知のはず。あらためて「あ〜、こんな場面の表現だったのね!」とふに落ちました。

圭子姫の役はタンホイザーにとって啓示のような牧童の役。優しく豊かな澄んだ歌声は、まさに天から光が降りそそいでくるよう。ふ〜っと、こころをすべてもっていかれるようでした。客席でなかったらおもわず「きゃ〜♡」と声をあげていたことでしょう(笑)。ハートが満たされる美しい調べでした。

ご一緒したのがもうひとりの歌姫のお友だち 瀬尾美智子ちゃんで、ワーグナーやら、歌唱のことやら、オーケストラの振り方など、さまざまな専門的解説つきで、なんとも贅沢なオペラ鑑賞。

私は美智子ちゃんに「(そんなことはないけれど)万が一、圭子姫が出てきて私が気づかないといけないから、出てきたらヒジで私をつついてね」とお願いしていました。

ところが、忘れていました。美智子ちゃんの力が強いことを! 劇中、いきなり来ました!(笑)。もちろん、美智子ちゃんにとっては、ごくかる〜くです。お世話おかけいたしました(笑)。

しかし、四時間におよぶオペラなので、私たちは開演まえのランチにがっつりとお肉を食べて、さらに幕あい用におやつも調達。インターバルのたびにピクニック気分でした。

オペラは、すばらしい歌唱のみならず、バレエも、オーケストラの演奏も、合唱も、そして衣装や舞台美術も楽しめて、ほんとうに贅沢な気分になります。

ここちよい疲れと豊かな気持ちでぐっすりと眠ることができました。

圭子姫♡ お疲れさまでした。とってもステキな時間をありがとうございました。


(こちらは過去映像です。ご参考までに)

PS 「タンホイザー」は、2月 6、9日にも上演があります。ご興味のある方は是非♡

 

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気づきのぷちノート「苦しみの原因とは・・・」

私たちは、日常、目にするものにつぎつぎ注意をとめて、

「いい」とか「悪い」、あるいは「好き」とか「嫌い」というように・・・ たえまなくラベルをはって検閲しつづけています。無意識のうちにランクづけをしているのです。

じつは、この価値判断というものが「苦しみ」生みだします。

自分自身や自分の体験、目にすることをひとつづつ切りとって(切りとった段階で、ひとつであったものごとに対立が生まれます)コメントすることで、「これはよい」と言えば、それよりも劣ったものが生まれ、イライラすることになるし。「これはダメだ」と言えば、それを変えてよりよい状態を目指さなければならなくなります。

コメントしたとたんに、葛藤が生まれているのです。

つねにこころは動きつづけ、ターゲットを見つけては価値判断をすることで、気分がよくなったり悪くなったりしつづけるというアップダウンのくりかえし。

だから、自分がやすらかでいるためのいちばんの方法は、

こころのなかで「なにもコメントしない」こと。つまり、価値判断、検閲をしないことなのです。

これをオススメすると、たびたび「なにもコメントしないなんてつまらない! 生きてる感じがしない!」と言われます。

それぐらい私たちは、あれこれ言うのが大好き! 生きがいです!

つまり、生きること = ものごとにいちゃもんをつけること、ケンカを売ること、になってしまっています。

価値判断とは、自分がボスとなって上から目線であれこれ裁くことであり、何が正しくて何が間違っているかを決める権利は私にある!と言っています。それはある意味、すべてを自分の支配下におくことであり、すべてに対して宣戦布告をしているようなものなのです。

ケンカを売るとかならずそのシッペがえしを受けることとなり、目にする世界は自分と敵対するように感じます。なにを目にしても自分に対してよそよそしく、つながりを感じられないので、世界は冷たく、自分だけ孤立しているように感じるのです

でもそれは、世界がそうしているのではなく、自分が目にするものに優劣をつけて裁いてしまったから。自分にとってすべてがつながりを失い、敵対するもののように目に映るのです。

自分が幸せになる、つまりやすらぎを感じるためには、存在するすべてを「そのまま」に、「あるがまま」にしておくということが必須です。

そうして、そこにある「あるがまま」という流れに一切ちゃちゃをいれないことで、じつは人生のパズルはおさまるところに完璧におさまって、自分のみならずかかわるすべての人にとっていちばんの贈りものを授けてくれるのです。

 

 

 

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