furukawaさんのブログ

どんだけ好きなの?!(笑)

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

「えっと・・・栗でしょ。それから、カボチャ、タマネギ、ごぼう、豆、トウモロコシ ・・・」
「あ、桃も!!」

これは、本日の八百屋さんでのお買い物リストについて話しているわけではありません。

今までお友だちと食事をしたとき、ペニンシュラホテルのラウンジで出てきたスープの種類。じつは、私たちはここのスープが大好きでずっと通っています。

「ビシソワーズのときもあったよ!」「二回食べてるのもあるよね」 ・・・ となると、もう十回以上は来ているよう。

ちなみに、本日は秋らしく「栗」のポタージュに香ばしいカリカリのパンチェッタベーコンをあわせたスープでした。大きなスープボウルにたっぷりと。目がハートになるぐらいおいし〜い♡

ペニンシュラのダイニングはスープだけでなく、パンも小麦とイースト、バターの香りがとってもよくて思わずおかわりしちゃうし(「おいくつおとりいたしましょうか?」と言われて、「全部くださいっっ!!」と言いそうになります。笑)、

デザートもおいしいし(アフタヌーンティーにも何度も来ているので、太鼓判☆)、またカフェラテも大きなボウルのようなカップでたっぷり、苦みもコクも私たち好み、もちろんメインのお料理もいつもおいしく ・・・ ほぼ絶賛ですね(笑・決してペニンシュラのまわしものではありませんぬ)。

何回も通ううちに、まるで自分たちのダイニングのようです。そのときどきで洋楽器、和楽器の生演奏もあり、姫気分がもりあがります。

(あら〜、お魚料理・・・ちょっと顔色わるく撮れてしまいましたが、ポワレは焼き加減が絶妙でソースも甘味のあるパンプキンと酸味のあるルッコラで、とっても美味でした。)

本日は、九月生まれのお友だちのプレお誕生会もかねて〜〜♪ (おめでと〜〜♡ よい一年になりますように!)

いつも通りお料理もおいしく、お話もはずんで、楽しい夕べでした☆☆☆

 

お茶の間シネマトーク「パーフェクト ワールド」

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クリント・イーストウッドの監督作品はどれも大好き♡

どのストーリーも、性別、年齢、境遇をこえて登場人物のこころの動きや葛藤に引きこまれてしまいます。

けれど、好きといいつつまだ観ていない作品もいくつかあって、そのひとつがこの「パーフェクト ワールド」。

殺人犯であるブッチ(ケビン・コスナー)が、刑務所からみごとに脱獄し、逃走途中で小さな男の子を人質にとり、またも殺人を重ねながら、追っ手をかわし逃走をつづけるというお話。それを追う警察署長が監督でもあるクリント・イーストウッドで、この署長はかつてブッチにかかわった人物なのです。

ドキドキするような映画はいろいろ観てきたけれど、劇場鑑賞ではないのをいいことに「ああ〜〜!やめて〜〜〜!(汗)」と何度か叫んでしまったし、見ていられずに目をおおった場面も。

ブッチはどこか脱獄囚のイメージとは違って、人間味のある優しさがあって、常識ももちあわせているし、また頭の回転も早いのです。その一方で、ある状況におかれると即座にこころは怒りに支配されてしまい、容赦のない残酷さが顔をのぞかせるのです。

その怒りのポイントにふれなければ、彼はそのもちまえの人柄からよい人生を送れたはずなのに。

彼がキレるポイントは彼の生い立ちに関わることで、こころの癒されていない傷がうずくような場面では怒りからの行動がおさえられず凶暴になります。それも、自分のこころの痛みを必死に隠すための凶暴さなのですが。

ブッチと人質となった八歳の男の子はともに、父親の愛に飢えていて、同じような思いをかかえて少年時代を過ごしているために、ふたりがは時間をともに過ごすうちに親子のような、また相棒とも呼べるような絆が芽生えはじめます。

脱獄囚と連れまわされている人質であるはずなのに、この二人の様子を見ていると、誰も傷つけることなく安全に生きのびてほしいと願わずにいられません(だから、ハラハラする〜〜〜!汗)。

このふたりがともに過ごすことができるなら、ブッチはこの少年の面倒を見ながら自分のなかの傷を負ったこどもを癒すことができるだろうし、少年はふれたことのない父性をブッチから受けとって自信をつけ解放されることでしょう・・・。

この作品は1994年に公開されていますが、その当時に観るよりも、トシを重ねた今観るからこそ、さまざまな思いを感じとることができるのかもしれません。

涙壷度:★★★☆☆(もれなく泣けます! ケビン・コスナーのこんな悪役もいいわ〜♡)

 

すべてよきこと♪

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お友だちと久しぶりのランチ♪

いったいどのぐらいお久しぶりなのかわからないぐらいのお久しぶりで・・・ そ〜いえば、海外のワークショップで一緒になってワークしたよね? あれって、おそらく15年まえ?!

すっかりご無沙汰しちゃって・・・と話していても、

やっぱり、今日、「今」こうして会って話すのがベストなタイミングで、

ここにひとつの答えがあって、それをふたりで確認しあって、「なるほどね!」と納得しあって、そしてまた出発する。 ・・・ そんな再会でした。

案じなくてもすべては勝手に、いちばんよいタイミングで、お互いにとってよきことのために!

そして、道のりを確認しあって、さあまた出発しよう! みたいな・・・。

ありがとうKYちゃん、またね〜♪ 次も、完璧なタイミングで引き寄せられるようにランチをして、気づきを喜びあいましょうね〜♡

最近ちょくちょく足を運ぶメキシカンさんにて(@アシエンダ デル シエロ 代官山)。
まずは、サングリアとともにみずみずしいサラダ♪

私はタコスプレート♡ KYちゃんはメカジキのファフィータ☆ with パッションフルーツジュース and おかわり自由なトルティーヤでした〜♪

 

 

気づきの日記「どうなるか見ていてみよう♪」

今の起きている状況に対して、唯一言えることは ・・・

「これがどうなるのか見ていてみようっと? (ワクワク・・・)」

このひとことだけです。それ以外はありません。

ワクワクするってことは、今の自分にはまだわからないけれど、かならず私が思っている以上によいことになるに違いないという確信があります。

これに対して・・・

「え〜〜〜!!(汗)ただ見てるだけですか?! こんなに不安でしょうがないのに?! 観察しているだけ?!」と言いたくなるときには、

状況そのものに動揺しているというよりは、その「不安」な感情にそのものに動揺していて、静かにじっと見ているべきところでそれができないという、その「不安」こそが真の問題なのです。

なぜなら、「不安」でなかったら、そのままほっておけるし、見ていられるからです。

その「不安」があるからこそ、状況に対して「ひどいことになるに違いない」と確信がもてなくなってしまうのです。

ほんとうのところ、この「不安」は今にはじまったことではなく、またこの状況ともなんら関係がありません。「不安」は、この状況のせいなどではないのです。

その昔、受け入れがたく感じた感情があり、自分のこころのどこかに押し込んで無きものにしてしまった感情 ・・・ それが今や腐敗して匂っている、その悪臭こそが自分に襲いかかってくる「不安」そのものです。

だったら、押し入れのどこかにむりやり押し込んで無きものにした「それ」をちゃんと引っぱり出して、捨ててしまわなければなりません。

そのためには、その感情に対して「不安」というレッテルさえもはらずに、ただそのまま受け入れて、感じてあげることが必要です。感じたものは消滅します。

押し入れから引っぱり出して、それを直視してしまうとき、その悪臭に圧倒されるかもしれません。しかし、ひるんではいけません(お片づけするときには、ゴミに直面してしまうことは仕方がないことなのです)。

こんなものを隠しもっているがゆえに、目にするもの、知覚するすべてが「悪臭(不安)」に染まってしまうだけだからです。

これをちゃんと出して、消滅させてあげると、状況が「不安」という悪臭に包みこまれることがなくなるので、ニュートラルな出来事としておびやかされることなく受けとめることができます。

もう腐敗しきっているときにはじゃんじゃん悪臭がきてしまうので、そうなると不安で不安でしょうがない ・・・ 。だからこそ、そこから逃げてはいけないし、目をそむけてはいけないのです。ちゃんと向きあって、捨てなければならない、ということに気づかなければなりません。

そうなったら、イヤな気持ちに直面するやいなや、もうお片づけしかありません。

ただし、お片づけには防護服着用が義務づけられています。はい、悪い菌に感染するといけませんからね。

なので、ハイヤーセルフという防護服でしっかりと守ってもらいましょう。そして、その滅菌パワーとともに、悪臭と化した感情にどっぷりとつかり(無条件に受けとめ)、ハイヤーセルフの光の中で消滅させてしまいましょう。

そうすると、「これがどうなるのか見ていてみようっと?」というセリフも、不安をかきたてるものではなく、自分にとってのヨイこと、最善を待っているような、明るいオープンな気持ちで言うことができるようになるのです。

 

 

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冷食屋さんの不思議スウィーツ

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たまに立ち寄る近所の冷食屋さんです。

フランス発のお店なので、エスカルゴにはじまって、クロワッサン、サーモンのパイ包み、マカロンまで、フランスの食卓を彩るあれこれが冷凍で手に入るのです。

私が買うものといえば、そば粉のガレット、フォンダンショコラ、あとはパンぐらいです。

ふと見ると、ケースに見たことのないチーズケーキが・・・。

フランスはチーズがおいしいから、チーズケーキもきっとおいしい???

このお店には広々としたイートインスペースがあるので、休憩がてらさっそく実食!

お店の方がすぐさま チン☆ してくださり(冷食ですからチンするのですね)・・・ それが、ほっかほか!とろとろ!に(そりゃそうですよね、強制的にあったかくなっちゃいます)。

う〜ん ・・・ これは、チーズケーキというよりは、なにか他のもの?!になちゃった感じです(汗)

次回は、自然解凍で適度につめたいままいただいてみたいです。きっとふつうにチーズケーキになると思います(笑)。

 

気づきの日記「いやな感情にみまわれがちです・・・」

Q: 「ここのところ、いやな気持ちを感じて落ちこみます」

A: 落ちこみ、怒り、恐れ、どよよ〜〜んとしたやる気のなさなど ・・・ 感情というものはどれも、自分よりもずっと威力があるように感じ、ついついのみこまれがちです。

強い感情が出てくると、私たちはもうそれ以上なにもできず・・・ 降参だわ ・・・ と、すぐさま白旗を掲げ、のっとられるままになってしまいます。

とくに強烈な感情である恐れに出くわすと、もう手も足も出せないどころか、固まって動けなくなってしまうこともあります。

いずれにしても、自分ではない感情に支配され、安らぎどころではありません。

なんとかその「気持ち」から逃れねば!と試みるのですが ・・・ その「気持ち」から逃れるのと、その「原因」から逃れるのは、じつはまったく違うことなのです。

気持ちから逃れることに成功しても、それはかえって問題を悪化させることになりかねません。なぜなら、逃げなければならないほど、それはすごいヤツであるとシッポをまいてしまったからです。

それは再びおっかけてきて、囚われてしまうのがオチです。

感情とは「問題」そのものではなく、何かの結果として浮かびあがってくるものです。それはある意味、副作用的なものであって、原因とは関係がありません。

副作用にあれこれしても、癒すことができないのと同じです。その感情はまたぶりかえします。

副作用である感情にあれこれするとは ・・・

いやな気持ちを感じているときに、それに抵抗して気分を変えようとしたり、忘れようと抑圧したり、どうにかなだめようとしたり、自分の間違った考えで正当化しようとしたりすることです。

しかし、いやな気持ち自体は結果なので、「なぜいやな気持ちになったのか」というその根本原因をしっかりと認識する必要があります。

「なぜこんなふうに感じているのか?」・・・ とことん、自分自身の本音に向きあう必要があります(エゴは、うまく自己正当化をはかり、誰かか間違っているからこう感じてあたりまえと主張してくるからです)。

いやな気持ちの根底にある考えを見つけたら、それはいったい本当のことなのか、じつは自分の役に立っていないのではないか、本当のことでないならそれを信じつづけることにメリットがあるのか ・・・ それらをしっかりと見きわめる必要があります。

そうすれば、その考えは自分に役立つどころか、じつはこころを混乱させて葛藤をつくりだし、自分本来の力を弱めている、まさに苦しみの原因であったと気づくからです。

現在の状態に腹が立ってしまうとき、たいていこんな思いがあります。

「こんなのはいやだ!」「我慢できないし、許せない」「私の思いどおりになるべきだ」「そのためには、思いどおりに現状を変えるべきだ」「自分の思いどおりになるためには、誰かが犠牲を払うべきだ(その人がガマンするべきだ)」「それは私のために当然なのだ」と信じています。

しかし、「こんなのはいやだ!」といいはるとき、じつは「私がすべてをコントロールする存在になりたい」「すべては私に従うべきだ」「すべてが思いどおりになって当然」というエゴという全体から分離した「私」がそこに君臨していて、自分以外の「すべて」は私に仕えるべきお道具にすぎないという思いこみがあります。

これがエゴが信じている世界観です。(・・・けれど、恐れてさえいなければ、すべてを自分に仕えさせようとはしないのですね。)

自分が君臨してすべてを仕えさせようとすれば、決して幸せにはなりえません。すべては仕えるために存在しているお道具、あるいは使用人になってしまい、対等に愛をわかちあう存在でなないからです。

そしてまた、思いどおりになる余地もありません。

「思いどおりにしたい!」と思っているときには、目にしている全体は自分の意識のあらわれである、ということをすっかりと忘れています。自分にケンカを売っても仕方がないのです。自分のシッポに自分で噛みついて、自分に腹を立てる・・・ という不毛な状態が起こります。

また、すべてをコントロールしようと躍起になることのなかには、すでに答えはある!という信頼が育ちません。

私こそが「何がいちばんよくて、どうしたらよいかわかっている」「そんなわけのわからない答えなどいらない」と言いはって、宇宙の完璧さを退けて、あくまで自分のやり方をとうそうと頑張ります。

でもそんなダダをこねている存在もほんとうの自分ではなく、たんに間違った思いがわめきらしているにすぎません。

本当はそれに気づいて却下すればよいのです。そんな(エゴである)思いの存在にあわてる必要もありません。

しかし、これがほんとうの自分だと信じてしまうと、自分のなかが分裂して(答えを受けとりたい自分とそれに抵抗する自分)しまい、失敗した感覚や、どうにもできない無力感を感じるようになります。

これこそが、エゴの目指していることなのです。

そこにはまらないようにするには、いやな気分はたんなる「お掃除の必要のサイン」と心得て、その気分の下にある思いを見つけて真偽を正すことで終わりにしることです。

間違った思いに気づいたら、その間違いに気づかせてくれてありがとう!と感謝しながら、すぐにハイヤーセルフに差し出して、もっていってもらいましょう。

いやな気分とは、たんに自分を苦しめる何かを信じていて、それは捨てたほうがよいですよというアラームのようなものです。

いやな気分と格闘してくじけてしまうよりは、まずは落ち着いて、「なぜ、そう感じるのか」を見つめて、手放しましょう。

癒しとは ・・・ 鉛筆で真っ黒に落書きしてしまった画用紙を、「気づくことハイヤーセルフに委ねること」という消しゴムでひとつづつ落書きを消し去って、もとの白い画用紙に戻してあげるようなものです。

白くなったらおしまいです。でも、黒い鉛筆が残っているあいだは、あれこれ言わずにせっせと消す作業が必要です。

どうもこの「消す」という作業には、「あれ〜!このあいだ処理したのに、また〜!? 失敗しちゃったの?」とか「こんなものがあっていいはずがないのに!」という失敗感、罪悪感がともなうようです。

画用紙は黒くなっちゃったのだから、もうあきらめましょう。黒いもの(問題)を見つけたら消せばよいのです。

これをするためには、めげずに、明るく楽しく、「あ〜ら!またイイモノをみつけちゃったわ!消えてもらうわよ」ぐらいに気軽に、素直に認識して、ハイヤーセルフに差し出して、永久に取り去ってもらうことだけです。

それをつらくやることもできるし、軽く楽しくやってもかまわないのですね〜☆☆☆

 

 

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気づきの日記「問題の答えを受けとる」

Q:「なかなか問題からぬけだせず、悪循環ですっかりヘコんでいます。どうしたらいいでしょうか?」

A: 問題解決に必要なことは、「問題を問題としてちゃんと認識している」ことと、「もうやめにしたい!という明確な意志をもつ」ことです。

悩んでいても、ただ悩みつづけて解決できることを忘れていることもあるのです。

また、意外なことに「ほんとうにヤメにしたい」と思ってなかったりもします。悩んでいる自分になじみすぎて、ふつうになってしまっているのですね。

だから、「私はこんな状態は好きではない(こんな状態はほんとうの私ではないから)」、「もう、キッパリとやめる!(こっそりと被害者になるのはたくさん!)」と、まず決心することです。

問題が目のまえにあるとき、私たちはどうしてもその問題にこころを奪われて、それをガン見してしまっています。

つまり、「わあ!問題だ!問題だ!どうしよう?」「これ、どうする、どうする?」「ああだ、こうだ!あれして、これして!」・・・。これこそ、問題のガン見状態です。

そして、それをどうにかしようと、あれこれと奔走してしまいがちです。

しかし、思い出さなくてはならないのは、私たちは「ジッと注意を注いでいるものを育ててしまう」ということです。ガン見していると、その問題に注意という肥料をたっぷりとやることになり、よりリアルにクリアに元気よく育ててしまうことになります。

また、それをどうにかしようとあれこれ走りまわってしまうのも、「それは自分の外側から自分に襲いかかっているのだから、自分の外側の何かで対処すべき。自分ひとりではできないから、そのお道具がいろいろ必要だ」と信じてしまい、外を探して走りまわることになります。

それは、自分のなかにすでにある解決する力(答え)を失ってしまうことになるのです。

私たちはつねに、自分のこころが求めているものしか見ることができません。

不安や恐ればかりが目にうつるとすれば、不安や恐れを見ることにこころがロックオンされてしまっているということです。不安と恐れに、しっかりと照準があってしまっているのです。

まずは、それを解除しなければなりません。

そこで忘れてはならないのは、「答えはすでに与えられていて、自分はすでに助けられている(完了型)」ということに気づくことです。

「助けて!」と助けを求めるまえに、それはもうやってきていて救出されているのです。だから、安心してよいのです。

しかし、問題がある!と信じているこころは、信じたもの(問題)だけを見つけるので、答えに気づくことができません。答えどころか、問題を増幅しつづけます。

まずは、「答えは与えられてる!」ということを信頼して、それを受けいれるためにこころを開こうとすることが必要です。

答えにこころを開くとは、恐れや不安にロックオンされているこころを解除するべく、安らぎのなかに静かにとどまることです。

*** 静かに目を閉じて、ゆっくりと深い呼吸をします。
意識のなかで自分という個人は五歩ぐらい後ろにさがります。
そこに存在する無限のスペースのなかに溶けこんでしまいましょう。
個人でななく、ただ気づきだけがあります。

そして、過去も未来も手放してしまいます。
「私は何も知らない」とつぶやくと、いらないものは去ってゆきます。
(一時的な記憶喪失の状態です。)

すると、自分というよりも「気づいている広がり」になります。
誰なのか、何なのか、どこなのか ・・・ もうわかりません。

時間のないそのスペースに恐れは入ってくることができません。
(恐れは、過去と未来をベースとしています。)

この無限のスペースのなかで、力をぬいて、
ただ広がって、安らいで ・・・
安全に抱かれて、守られて、愛されていることを感じます。
しばらく安全で平和でここちよい時間を過ごします。
・・・・

こちらに戻ってくるときには、
安らぎの光と守られているという感謝のうちに戻ってきましょう。***

このスペースにひたる時間こそが、答えを受けいれますという態度であり、スペースそのものです。

ここに叡智が、すべての必要なことが入ってきます(そう!私がいなくなれば、神ややってくるのでした!)。

そのとき、「自分の考え」は手放して、「どのような答えでも受けいれよう」という気持ちになってみましょう(「こうであるべき」という決めつけにより制限がかかり、答えがわからなくなっている場合もあります)。

身体の弱いところに病気が現れてくるように、私たちも自分のウィークポイント(癒さなくてなならない信念をもっているところ)に問題があらわれてきます。

ウィークポイントの癒しとは ・・・ 恋人やパートナーに依存してしまうのなら、自分はそんなに弱くないということを知る必要があるのかもしれません。仕事の成功に執着してしまうのなら、無意識のうちに自分に何かハクをつけなくては不十分だと感じているのかもしれません。癒すことで、それが手に入らなくなるのではなく、「ないとだめ」という切羽詰まった気持ちがなくなり、より手に入りやすくなるのです。

それは、問題というものをとおして、それを癒して手放して、終わりにしてしまいましょう!というお誘いなのです

恐れや心配でいっぱいになるのではなく、「そうだ!もう助けられているのなら怖がらなくていいんだ」気づき、何の問題も存在しないスペースに寛ぐことで答えとつながることができます。

すると、問題はその穏やかさのなかで自ずと解決にみちびかれたり、ただ姿を消してしまうことで、問題は答えられていたのだ!ということを教えてもらうことができます(行ってゆくと、経験でそれを教えてもらえます)。

そして、自分のいちばんの問題点であったポイントも癒しを行ってもらうことができるのです。

まずは、「答えはきている!受けとろう!」とリラックスすることからはじめましょう。大丈夫、すでに守られています♡

 

 

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お茶の間シネマトーク「マダムのおかしな晩餐会」

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パリに住むアメリカ人のお金持ち夫婦。

ある日、マダムはセレブな友人を集めて晩餐会を催すことに。しかし ・・・ 直前になって、参加者が  13人であることに気づきます。

不吉な数字を嫌ったマダムは、あわててメイドの一人をゲストに仕立てあげることに。スペイン人メイドのマリアなら、自分のドレスがなんとか着られそうだったから(パツパツだけど・汗)。

抵抗するマリアに、「スペイン国王の遠い親戚にするから、くれぐれも笑いすぎない、食べすぎない、喋りすぎないこと! ミステリアスなレディーを演じるように」と指示します。

ところが・・・ 晩餐会がはじまると、彼女は飲みすぎ、下ネタ炸裂・・・ 焦ったマダムは、「笑わせることと、笑われることは違うのよ! もう部屋へ下がりなさい」とコトを丸くおさめたつもりが、ときすでに遅し(汗) ・・・ 画商の英国紳士がすっかりマリアの虜に。

なにしろ、堅苦しくって、誰もが仮面をつけて欺きあうような食事の席で、マリアは水がこぼれれば紳士のスーツをすぐに拭いてあげ、ナイフが使えないこどものところにとんで行っては面倒をみたり ・・・ つまり、彼女がいつもしていることをしてしまっただけなのですが、自然体で、明るく気どらず、チャーミングな彼女に、英国紳士はあっというまに夢中に。

そして、この恋は猛スピードで展開してゆきます。

しかし、近ごろだんなさんに大切にされていないと感じているマダムにしてみたら、なんの努力もせずいとも簡単に上流階級の男性のこころを奪ってしまったマリアが許せないし、そもそも住む世界が違うでしょ! と厳しくたしなめます。

さっそく英国紳士にすべてをバラしたいところだけれど、ビジネスが絡んでいて、嘘つきと思われたくもない・・・。

一方マリアは、一身に愛を受けとめながら、どんどん自信をつけて綺麗になってゆきます。そして、マダムの言葉に対しても、「人は平等で、私はマダムと同じだけの愛される価値があるのです」とまったく譲らないのです。

さてさて、この恋のゆくえは・・・。

お話もコミカルでおかしいのですが、晩餐会を準備する様子も、テーブルウエアがとっても素敵で、お料理も一流のフレンチのようにゴージャス。ハイセンスなセレブのおうちをのぞき見している楽しさがあります。

そして、メイドのマリアのことをマダムは「醜い」と評していますが、Vouge のモデルのようなマダムの物さしにかければそう見えるのかもしれませんが、マリアはとってもチャーミングに見えるし、あたたかくて、ほんとうに可愛らしい女性です。「人の価値は平等」とこころから思っているので、マダムよりもずっとまっとうな自信を抱いているのです。

女性が美しいと思う女性と、男性が惹かれる女性というのは、決定的に違うのですよね〜。だから、なにが美しのかなんて、ホントわかりません♪

どうか愛らしいマリアにシンデレラの幸せが訪れますように ・・・♡

 

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気づきの日記「相手にイライラして疲れます」

「夫はあれこれ指図や要求や文句が多い人なので、私はいつもイライラし、ケンカになり疲れてしまいます」とA子さん。

イライラしている状態は、とてもエネルギーを消耗します。そして、疲れていると感じるときはいつだって、何かが間違っているというアラームが鳴っているときです。

だからこそ気づかねばなりません。「私は(だんなさんではありません!)、何か間違ってしまっている!」、「 だってこんなに疲れて、本来のイキイキした自分ではなくなっているのだから」と。

疲労するということは、それだけ不自然な状態にいるのです。

私たちは自分がイライラしているとき、「こんなことをされたなら、誰だって腹を立ててあたりまえよね?!」「だから、この人こそを正されるべきだわ」と思いがちです。

しかし、「腹が立った」と感じているのは自分自身であり、「問題だ」と感じているのも自分なのです。 ・・・ だから、どこに問題があるかといったら、「問題だ!」と知覚して騒いでいる自分がまず問題というわけです。

だんなさんに、「なぜ私をイライライさせるのよ!」と言ったとしても、「いったい何のこと?」と言われるかもしれません。

私たちは、じつは自分のこころが「これはこういう意味なのだ」と決めたことに対して腹を立てています。自分のつけた意味にじたいに怒っているということです(自分で自分に怒っているのです)。

この場合では、「夫の態度は、私を攻撃している」という判断を下して、その自分の意味づけに対して腹が立ってしまっている ・・・ ということです。

でも、もしかすると、他の人がそのやりとりを見たら、「あれはぜんぜん攻撃じゃないじゃないよ? なぜ怒る必要があるの?」と言われるかもしれません。

では、なぜだんなさんの態度に対して、「攻撃」というレッテルを選んでしまったのでしょうか?なぜ「攻撃されている可哀想な私」と知覚する必要があったのでしょうか?

じつは、私たちは自分が日々慣れ親しんで重宝している手口(?)しか、自分で理解することができません。使っているからこそ、それと解るのです。

・・・ ということは、もしや?! A子さんの方こそが、「攻撃」という手口は自分の欲しいものを手にするために最高の方法であると信じていて、大切にしてきたのかもしれません。

自分がこっそりと使っている手口だからこそ、相手がそれを使ってやり返してこないかビクビクしている自分がいます。すると、攻撃でなくとも攻撃であると知覚して、早めに反撃しようとしてしまうのです。

つまり、相手が攻撃したかどうかよりも、自分こそが攻撃を大切にしているということになります。

攻撃を大切に思う → 攻撃しないとやられる → やられちゃった過去があると思っている → もう絶対やられないために先にやっちゃえと思っている → 何でも攻撃に見えちゃう、というわけです。

解決するためには、まず自分が腹を立てているときに、攻撃しかえしたい!という怒りの欲求があることに気づきます。そして、その原因を見ることで、それを取り除くことができます。

腹が立って攻撃するとき、私たちは「自分に足りない何かがある」という隠された欲求をもっていて、それ以上うばわれないために、またその欲求を今満たそうとするために怒ります。

その満たされていない欲求は、今や力づくでないと(攻撃というおどしがないと)満たしてもらえないと信じています。

だんなさんの態度に腹が立ったのなら、「私のほうが足りないのだから、あなたに与える余裕なんてないのよ」「あなたこそ与えなさいよ!」と怒っているのかもしれません。

そこにはもしかすると、自分の思いを無視されて聞いてもらえなかったこども時代があったのかもしれません。自分の正直な気持ちを尊重されずに、いつも否定されていた小さいこどもがまだ泣いているのかもしれません。

私のこころの叫びを誰も聞いてくれなかったのだから、私はあなたの要求なんて聞く耳をもたない!ということになります。

怒りのいちばん下にあるこころの叫びに気づいて、そこにある悲しみを感じてあげましょう。

怒りの原因は、いつも「泣きたいほどの悲しみ」であり「弱っている自分」なのです。

その気持ちの存在をしっかりと認めて、そこにある感情を感じたら、

ハイヤーセルフに差しだして、それをこころから取り去ってもらいましょう。そして、悲しみをベースとした怒りからではなく、ものごとを正しく見られるように助けてくださいとお願いします。

そして、だんなさんとの関係のなかで、何か言うべきこと、できることがあったらハイヤーセルフにアドバイスしてもらいましょう。

ハイヤーセルフに尋ねてからとる言動であれば、怒りをふくむことはなく、愛と思いやりからなされることになります。

何か言うにしても、まったく怒りをくっつける必要なないのです(怒りは、おどしなのですね。おどさなくちゃいけないと感じているときには、とても無力に感じています)。

もしかすると、だんなさんに「もう少し自分でできるようにしてみてね。」と優しく言ったり、だんなさんをほめながらできるようにしてしまうこともあるかもしれません。

いずれにしても、怒りでコントロールしようとする必要はないのです。

実際、怒ると、あとでかならず気分が悪くなります。ドヨヨ〜ンと重苦しくなります。

こころのどこかでは知っているのです。どんなときでも相手を攻撃することは傷つけようとすることだと。だから、罪悪感を感じて憂鬱な気分になるのです。

あからさまな攻撃のみならず、攻撃には相手に対するぷちイラっとから、なにげで見下すことまで含むのですが、これをつづけてゆくとこころは知らぬまに病んでゆきます。

晴ればれとした気持ちがだんだんと感じられなくなります。

だからこそ、自分を大切にするためにも、自分のエゴの動きに敏感になって、攻撃の思いは自分のこころのなかで原因を見つけて、さっさと手放す必要があるのです。

A子さん、攻撃の下にある気持ちを感じてハイヤーセルフに渡して、エゴから解放されてしまいましょう。それは本当の自分ではないから。本当の自分のために、取り除いてもらいましょう。

そして、あるがままにだんなさんを見てみましょう。

あれ? 攻撃だと感じていたけど、甘えていただけじゃない? とか、
ああ、この人、こういうパターンでしかコミュニケーションしかとれないのね! そっか、ただコミュニケーションをとりたかったの?! とか、
文句が多いと思っていたけど、自分のことばかり主張する三歳児のように見えて、可愛く思えてくる! とか,
あるいは、何を言われても、ぜんぜんどうでもよくなっちゃった! とか、

きっと、ハイヤーセルフとともに見ると、違った見方ができるようになり、わざわざ自分をも傷つける攻撃という武器を出してくる必要はなくなることでしょう。

そして、なによりも、本来のA子さんの優しさのなかで安らいでいる自分を感じることができることでしょう♡

 

 

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