今年の桜は駆け足で、あっというまに満開。
明日こそは、早朝お花見をしよう!と決めていたら、あいにくの雨とビュービューの強風。
今朝は雨があがったものの、目黒川ぞいの並木道は花びらの絨毯でした。でも、まだキレイ♪ ツボミもあるようです。

毎年、桜を見るたびに思うのですが、ピンクでもなく白でもない、日本にしかないサクラ色って美しいな〜♡と感じます。

そして、この季節にでまわるサクラの香りのお菓子も大好き。
このトシになって、日本っていい国だわ♡としみじみと感じることが多いこのごろです。
今年の桜は駆け足で、あっというまに満開。
明日こそは、早朝お花見をしよう!と決めていたら、あいにくの雨とビュービューの強風。
今朝は雨があがったものの、目黒川ぞいの並木道は花びらの絨毯でした。でも、まだキレイ♪ ツボミもあるようです。
毎年、桜を見るたびに思うのですが、ピンクでもなく白でもない、日本にしかないサクラ色って美しいな〜♡と感じます。
そして、この季節にでまわるサクラの香りのお菓子も大好き。
このトシになって、日本っていい国だわ♡としみじみと感じることが多いこのごろです。
埼玉在住のお友だちが、地元の激安店をめぐるお買い物ツアーを計画してくれました。
以前にも買い出しに行ったことがあるのですが、とにかくいいものがビックリなお値段で手に入っちゃうので、中国人さながらの暴買いをしてしまったものです。
今回は衣料品店を中心にまわり、お買い物のあいまにはお友だちがチョイスしておいてくれたおいしい激安イタリアンと雰囲気のあるカフェにも立寄りました。
レストランは広々としたフロアで、ロボットウェイトレスさんの接客です。
わ〜い、ロボットさんが接客するお店ははじめて! それだけで盛り上ります。まるでおのぼりさん(苦笑)。
都心のお店は狭いので、ロボットさんが自由に動きまわれるスペースがないのかもしれません。
うちのテーブルの担当はミラノちゃん。かいがいしく給仕してくれます。こちらは、サーモンとほうれん草のクリームパスタ。サーモンごろごろでとっても美味でした。
他にはローマくんも働いていました。最初から最後まで、お店の方を見かけませんでした。
お茶に連れて行っていただいたのは、竹林のなかにたたずむ山小屋カフェ。
ひっそりとした避暑地にあるような山小屋で、木漏れ日がさしこむ窓辺のテーブルでゆったりお喋りを楽しむことができました。
お買い物だけでなく食欲にも勢いがついてしまった私たちは、いちごのシフォンケーキではあきたらず、フレンチトーストとホットサンドまで。部活帰りか?!(お買い物ってお腹がすくのね・笑)。
朝から夕方まで車を走らせてくださって、5つもお店をめぐることができました。どこも、ゆったりのんびりな雰囲気で、オシャレな掘りだしものがリーズナブル。もう、やみつきになりそうです。
お友だちは、もう次回のお店プランをたててくれているようです。しっかりおこづかいをためて、またお邪魔したいです♪ Kちゃん、一日ありがとうございました♡
きょうは、雨がじゃんじゃん降りました。
おかげで、花粉ですっかりかすんでいた窓ガラスがきれいさっぱりクリアに。
夕方、雨があがったかな〜?と外をのぞいてみると、水でといたインクを筆でのばしたようなグレイッシュブルーの空の色。
遠くにうすいピンクがきらきらしていて、とても綺麗でした☆
「すべてはひとつ」「あなたと私は同じもの」・・・こんな言葉を聞いたことがあるかもしれません。
しかし、「アタマではわかっていても、私にはそのようには感じられません。どうしたらひとつだとわかるのでしょうか?」というようなご質問を受けることがあります。
この「ひとつである」ということは、隣にいる人がまさに自分自身であるかのように感じられるに違いない、と思われたりします。もちろん、そのような一体感を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、「すべてはひとつである」「あなたと私は同じである」というのは、このような感じ方とは少し違うものです。
それは、自分という個人が「ああ、世界はひとつだな〜。あなたを私のように感じる」というものではないのです。
私という個人の観点からではなく、今ある自分の意識、その意識のなかですべてのものとの一体性を知っている、ということなのです。
私たちがとても幼い頃、まだ自分がどういう名前なのかを自覚しておらず、自分の顔や見た目がどのようであるのかを意識していなかった頃、見るものすべては自分のなかでひとまとまりの現れでした(おそらくそれが当然で、ひとまとまりだとも感じていなかったことでしょう)。
自分の意識のなかにすべてが含まれていて、それを無条件に受け入れていました。
この感覚においては、「すべてはひとつ」などとわざわざ言わなくても、ただひとつの現れであるあらゆるものがあったのです。
なので、「すべてはひとつ」であるというのは、頑張って達成するようなすごい境地ではありません。
ただその昔、体験していたようなまっさらなあるがままの世界、あれこれを比べたり価値判断をしたり好き嫌いをくっつけたりしない、素のままの世界を受け入れるということなのです。
どのようなラベルもなく、価値判断もなく、ひとつのものごとだけが切りとられて大切にされたり軽んじられたりすることもありません。ラベルがついていないのでバラバラになることがなく、すべてがひとまとまりとなっています。
そして、バラバラになっていないので、それは対立することもなく、闘いを生みだすこともありません。
このような見方において、安らぎや平安が達成されます。
誰でもきっと、自分がふと静かになった瞬間に、深い安らぎや解放感を感じたことがあると思います。
それは、こころのなかでラベリングや比較、切り取りが行われず、自分というものと世界とのあいだに葛藤や闘いが起こっていなかったからです。
なので、意図的に思考やアタマのつぶやきをお休みにして、静かになる時間をつくってみましょう。
自分が退くと、退いたところに神さまがやってきてくれる、といいます。
次から次へと問題をねつ造するアタマのつぶやきがお休みすると、平安という神さまがさまざまなお土産を携えてやってこられます。
それは平安や安全の感覚だけでなく、嬉しいインスピレーションがやってきたり、シンクロニシティがたびたび起こるのに気がつくかもしれません。
もし、自然のなかでこれをするなら、自分と自然がまったくひとつであることをシンプルに感じとれるかもしれません。
広い野原に寝転がって、どこまでも広がる青い空とひとつになってみるのもおススメです。
このように、世界をばらばらにしてしまうアタマのおしゃべりが休止されると、静かな安らぎの時間がやってきます。
「すべてはひとつ」という紋きりがたの言葉ではなく、自身の感覚として「ひとつである」ということがどのようなことかわかるでしょう。
それと同時に、自分と人や世界とのあいだの葛藤や闘いがしだいに影をひそめ、安心や解放の感覚とともに自分に対して優しく穏やかである世界を感じられるようになるかもしれません。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
つい先週までダウンに手袋姿だったのに、今週は春のコートも脱ぎすてたいあたたかさです。年々、季節が一気にすすむようで、春と秋はどこへいってしまうのでしょう。
街角の白い沈丁花も満開で、通るたびに深呼吸してしまいます。
これから景色が一変してゆきますね。
いただきもののパッケージも春めいていてウキウキします♪
こちらは海老せん。パッケージもかわいいけど、おせんべいもプリントがキュートです♡
そして、こちらも花ざかりなパッケージ♡
台湾のお土産でいただいた黒烏龍茶なのですが、とってもオシャレ。
キリリとしたお味で、シンプルなお菓子によくあいます。
ハコは捨てずに飾っておきましょう♪
私たちはつねに未来のことを心配したり、過去のことをあれこれ思いあぐねたり、さまざまな混沌とした思いでこころがいつも占領されています。
「この先、(仕事、体調、家族、お金、人間関係・・・)をどうしたらいいんだろう?」「あのとき、こうしておきさえすればば・・・」「あんなことは起きるべきじゃなかった」「あの人はいったいどう思っていたんだろう?」・・・。
すべて、存在しない時間について気にやんでいるのです。
残念なことに、私たちは「いまここ」というリアルなときから離れてしまうと、心理的にも体調的にもバランスを崩してしまいます。
なぜなら、真の自己の力の源は「いまここ」、「いまここ」にしかないからです。
過去や未来へと思いがふらふらすると、自分自身がコンセントから抜けた状態になってしまい、力や豊かさ、安らぎの供給が止まってしまい、えらく消耗した状態になります。存在じたいが干上がってしまうように感じるのです。
ほんとうは、ものごとはとてもシンプルです。
シンプルだからこそ省エネであり、こころもからだもムダにすりへることがありません。
あるのは「いまここ」だけ。
「いまここ」だけがリアルであり、いのちに満ちています。
だから、「いまここ」だけのお相手をいたしましょう。
それは、とりあえず置かれた状況のなかで、そのときの自分のこころにいちばんすんなりとフィットすることをするだけです。
何かを頑張るということではなく、ただ昼寝をすることや、だらだらすることも含まれます。どれが生産的かとか、価値があるかとか、そのような優劣や価値判断はまったく意味がありません。
そして、次の瞬間もその次の瞬間も、そのときにこころにフィットすることをただする(それについては、こころがいつも教えてくれているはずです)。
するべきことはただそれだけです。
「とりあえず、目のまえのことに自分らしく向き合えばいいんだ」とわかれば、一瞬一瞬がつむがれてゆきます。
罪悪感や無力感の重圧もへってきます。
この瞬間、この瞬間、 ♪それでいいのだ〜♪ と受け入れると、とってもシンプルになります。
そして、こころが少し軽くなると、こころにスペースが生まれ、自然にインスピレーションや新たなエネルギーが湧いてくるのを感じるかもしれません。
奮闘や操作がおさまると、自己の源エネルギーとのつながりが確かになってきます。
そして、こころが整うことで調和が生まれ、自分の目にする世界も同様に調和をかもしだします。
このようにして、あなたをサポートするすべてのピースが、このいまというときにきれいに整列しはじめるのです。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
どんな状況においても、いっつも人生が大変そうな人がいます。
たとえ、平穏な日々でも、自分のやりたいことをしているときでさえも ・・・ 完全にくつろいで、こころを開いて、今を楽しんでいるようには見えません。いつも、なにか重たい荷物を背負っているようで、
生きづらさとともに、人生をおくっているように見えるのです。
一方、いつもお気ラクな人もいます。
楽しいことばかりの人生なのかと思いきや、聞いてみればビックリするようなことを体験していたりします。でも、われ関せず、ひょうひょうと日々をおくっています。
軽やかにするすると流れるように生きているのです。
なにも出来事が起きていないようなときでも安らいでいられないのであれば、生きづらさの原因は出来事ではないことになります。
じゅうぶん安らぎを感じていいはずのときに安らぎを感じられないのは、どうやら「自分のこころ」こそが間違ってしまっているから。こころが誤作動をしているからなのです。
ものごとというのはすべて中立ですが、私たちはものごとを自分のこころのメガネ(自らの検閲)を通してから意味あいを決定しています。
幸せであっていいときにくつろいで楽しめないなら、おそらくそれは自分のこころのメガネが曇ってしまっているのでしょう。
この曇りとは、自分で自分を守るためにこしらえたたくさんのルールです。
ものごととは「こうあるべき」である、という「べきルール」。
「私の人生とはこうであるべき」「人とはこう振る舞うべき」「お金の状態はこのようにあるべき」「私の身体はこう感じるべき」「世界は・・・」「将来は・・・」・・・ 気づいてみると山ほど「べきルール」をもっていることに気づきます。
そして、とくに苦しく感じるときには、現実に対して思いっきり「べきルール」をかざして抵抗しているときです。
「こうあるべきである」という理想をもてばもつほど、ストレスを感じることになります。なぜなら、やってくる現実は自分のための理想というものにぴったりとおさまってくれないからです。
自分の「べき」にあてはまるべきだと思えば思うほど、現実にと闘うことになり、えらくエネルギーを消耗してしまうのです。だから、「べき」をかざしているといつも疲れはててしまいます。
やってくる「今」というのは変えようがないので、変えようとすればするほど苦しみとなってしまいます。
「こうあるべき」という「べき」ルールは、なければないほど幸せを感じられるのです。
自分の「べき」ルールにすべてをおしこむよりも、目のまえにやってきたことを信頼してみましょう。
やってきたことこそが、今の自分にとっての「答え」だと受けいれましょう。
自分自身は先を見通すことはできないけれど、自分を導いてくれている高次の存在であるハイヤーセルフが自分とともにいて、人やものごとの関係、タイミング、全ての人にとっての最善や、こころの癒しなどを見越して、すべてに配慮したうえで今いちばんヨイことが進行中となっているのです。
決して間違った流れに乗っているわけではありません。
しかし、その流れに対して怖れを感じて、抵抗したりコントロールしたりしようとすると、その完全さが失われてしまいます。
「起こっていることはいつだっていちばん善いこと」と信頼して、ただ流れにまかせてみましょう。(バカボンの歌です! ♪これでいいのだ〜♪ 笑)
もし、そこで怖れなどの強い感情を感じるのであれば、それこそが自分が抑圧して向いあうことを避けつづけてきた癒さなければならない感情そのものです。ただ「捨ててね!」と浮かびあがってきているのです。
受けいれて、感じて、手ばなして、終わりにしましょう。
そんな感情さえなければ、じつはどんな状況でもゆったりとくつろで身をまかせることができるようになります(じつは、コワいのは「感情」そのものなのですよね)。
「べき」ルールで身を固めて、自分を自分で守ろうとするよりも、
ただ、今に自分を明け渡して、こころを開いて、自分を委ねましょう。
強い抵抗が浮上したら、今癒されるべき感情として、ただ受け入れて感じてあげましょう。
そして、今というときの導きにただ流されてみましょう。
ラクちん、ラクちん♪
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
お友だちとランチをする機会もめっきりふえてきたこの頃です。
オンラインも十分楽しかったけれど、やっぱり顔をあわせてお喋りしながらおいしいお食事&お茶をご一緒するひとときは身もこころもリフレッシュします。
この日のランチは、つばめグリルさん。
二十代の頃からのおなじみの洋食屋さんで、当時は品川の本店(?)によく立ち寄っていましたっけ。
すると、お友だちも同様に、そのむかし仕事で品川に行ったさいに、つばめグリルの隣のホテルに宿泊しお食事をしていてお気に入りだったそうです。
コロナ禍で行きつけの老舗さんが悲しいほどに閉店に追いこまれてしまったので、懐かしい味を提供してくださるつばめグリルさんが無事サバイバルしてくださっていて嬉しいかぎりです。
ランチメニューには有名なロールキャベツはなかったのですが、お互いのお気に入りだった和風ハンバーグステーキは昔のままのお味でした。
トマトのサラダはお初です。まん丸トマトにマヨあえのタマネギが詰めてあって、フレッシュでとても美味しいでした。
その後お茶に向かったお店は、フルーツタルトのお店 アムストラムグラムさん。
たしか、コロナ騒ぎがはじまった頃に開店したわりとニューフェイスさんです。
わたしはお散歩で前を通るたびに吸いよせられるようにリピしてしまうのですが、十種類ほどのフルーツタルトが並んでいるにもかかわらず、いつも同じフルーツもりもりの丸いタルトが私の定番となっています。
じつはこの三日後にも別のお友だちをご案内して、またこのタルトをいただいてしまったのでした〜 笑(食べすぎやろ?!)
行きつけ老舗レストラんの消滅は寂しい限りですが、その一方で新しいオシャレなお店も続々開店中。少しづつ制覇したいと思っているのですが ・・・ そうはいっても、磁石に吸いよせられるようにいつも定番のお店に足がすいよせられてしまうのでした〜。
家族でも、友人でも ・・・問題を抱えて悩んでいる人がいるとき、その人と一緒になって悩むこと、こころを痛めること ・・・ それが寄り添うことであり、優しさだと思っていることがあります。
しかし、そうすることで問題を抱えていた人はもともと一人だったはずなのに、気がつけばどんどん不幸せな感じの人が芋づる式にふえてしまっているのです。モヤモヤが伝染病のごとく蔓延してしまうことになるのです。
だからといって、「ほっておきなさい」というわけではありません。
ニュートラルなこころのまま、自分にできることはなんでもします。でも、一緒に問題を抱えこんで、日々こころのなかにその問題をちらつかせる必要はないのです。
人を真に助けようとして一緒に悩むことは、まったく助けにならないのです。
ともにあれこれ悩んでしまえば、正気でなくなっている状態に自分もよろこんで入ってゆくことになります。それはまさに、ミイラとりのミイラ。ともに地獄入りです!(汗)
助けようと思うのなら、自分こそが正気でいる必要があります(悩んでいるときというのは、こころが誤った考えにとりつかれて、その考えでしかものごとを知覚できなくなっています。つまり、悩んでいる思考に世界が汚染されてしまうのです)。
だからこそ自分自身はしっかりと正気を保ったままでいて、その人のために道しるべとなり、「闇から出ておいで。光はこっちにあるよ!」とその人を誘導してあげなければならないのです。
また正気でいることで、自分がその人のためにハイヤーセルフからのレスキューメッセージを受信して、それを伝えてあげることができるようになります(受信しよう!と頑張らなくても、なんの気もなしにサラリと出てくるひとことが相手にとって大切なメッセージとなるのです)。
なによりも、自分が正しい場所にいてあげることで、「そんなふうにラクに生きたい!そちら側に自分も行きたい!」と正しい軌道を進むためのモチベーションをもたせてあげることができるのです。
たったひとりでも、「それで大丈夫!」と信頼してくれる人がいるだけで、自分自身がつくり出した地獄の闇がスッと消えてしまうこともあるのです。
一緒に地獄入りするのではなく、正常なポジションから寄り添うことがほんとうの共感の仕方です。
かたくなに闇に包まれていると思っていたのが、ちょっとこころがラクになってほどけると、あらら・・・闇なんてじつはなかった・・・と、ほんの少しだけ視点を変えることで自分の体験する世界は180度か変わってしまいます。
そんな体験ありません? ちょっとしたひとことや、ふとアタマに浮かんだことで、サーッと目のまえから霧が晴れるように感じたこと。
ひとりでも「安らぎ」のひかりをキープしていれば、その光に照らされて、混乱していた闇は消え去ることができるのです。
だから、悩んでいる人に「わかるわ〜〜。大変やわ〜。いったいどないしよ・・・」と間違った共感をして、ともに地獄入りするのはやめましょう(あなたの光も空前の灯火となりますよ〜)。
いつもの穏やかさのなかにとどまって、そこから「こっちへおいで♡」とあじわい愛でてさしあげましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
立春をすぎてもまだまだ寒さが厳しいですが、陽射しがぽかぽかしてきたり、梅が咲いたり、春の訪れも感じることができる二月の後半です。
私のなかでは毎年、バレンタインが終わって確定申告が終了したら、「やった〜、はれて春〜〜♪」 という感じなのですが、
今年もバレンタインがすぎゆき、ナント、確定申告もつつがなく終了しちゃいました〜☆
ということで、私はすでに春気分。
さらに、バレンタインにいただいたアイカラーが、春を感じるちょっと大人なモーヴ色。オーロラライトという、素敵なネーミングです。
じつは、モーヴ色はいつからか似合わなくなってしまったと感じて、あきらめていた色。なので、チャレンジ再びなのです。
まだ寒さにふるえながらも、ひとり春めいているこのごろです♪
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