furukawaさんのブログ

気づきの日記「するべきことは、無防備に受け入れること」

 

私たちは自分を取りもどす旅をしています。

自分が自分で毛嫌いして、抵抗して、切り捨てて、なきものにしようとした自分の一部を、ひとつひとつ回収して、ゆるして、自分とひとつにする旅、分離を終わらせるたび ・・・ それがこの人生でしなければならないことなのです。

それらは当然、イヤな人、もの、経験として姿をあらわします。なぜなら、自分が嫌って、自分とは関係ないと宣言して、ゴミのように外にほっぽったからです。

そして、いつだって、それらのゴミに自分は足をすくわれることになります。

でも、まさか自分が投げ捨てたものとは気づかず、ふたたびそれらに抵抗して、コントロールしよう、遠ざけよう、なきものにしよう、と闘いをいどみます。

イヤなものは、抵抗するか、コントロールするか、無視するか ・・・ それぐらいしか対応策が思いつかないため、結果として、それらの問題は決して回収されて消え去ることがないのです。

いくら外にほっぽったからといっても、それはそもそも自分なので、自分で回収して、自分に統合して、ひとつに帰してあげなければならないのです。

するべきことはただひとつ。

自分がイヤだと感じる、あるいは抵抗する人、もの、経験に出会ったら、それはもう終わりにするチャンス。その問題から卒業するチャンスなのです。

だから、こんどこそそれに対して1ミリも抵抗することなく無防備になり、コントロールせずにちからを抜いて、

ただ真っ正面から自分のなかに迎えいれてあげること。

そして、ゆるして、受け入れて、自分のなかでひとつにしてあげること。

そうすることによって、切り捨てて闘いを余儀なくされていたものとの葛藤がついに終わりになります。

だから、なにが起ころうとも、なにに出くわそうとも、コントロールしないこと、闘おうとしないこと。

まずはちからを抜いて、全面的に受け入れてみること。

リラックスして、それにいったん身をひたして、その嫌悪感、抵抗感、怖れのすべてを受け入れてみましょう。

そうしてこそ、ずっと闘ってきたそれ、自分のなかから生まれたそれは、ようやく自分とひとつになって姿を消すことができるのですむぼう。

そして、もしそこからするべきことがあったら、あらためて行動にうつしてみましょう。

まず、すべてを受け入れて、それに自分の存在を無防備にひたしてみる。

これを忘れずにやってみましょう。

 

 

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お花をいただきました♡

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優しいコーラルオレンジ、大好きな色あいです。

いつまででもながめていられます♪

ありがとうございます♡

 

 

二十数年ぶりの・・・

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二十年数年ぶりで、むかしのお仲間四人で集まりました。

(@HACIENDA DEL CIELO 代官山、メキシコ料理です)

ぜんぜん変わってないじゃない?!って感じるもするけれど、二十数年という時の流れのなかでそれぞれがいろ〜〜〜〜〜んな体験を重ねて、やっぱりみんなステキになってるぅ!☆

まったく変わることなく、でもまた新たに出会えるのは嬉しい体験でした。

これは、二十年まえにもらったウルトラセブンに登場する恐竜戦車のフィギュア。

当時、正座をしている私に「たかちん、恐竜戦車みてえ!」と言われたものでした(ひゃあ!どーゆこと?!)。

でも、どこか愛らしくて、私の二十年にわたるシビアな断シャリにもたえてサバイバルすることができた恐竜戦車くんなのです(引っ越しのときには、棚から転がり出た恐竜戦車くんに業者のおねえさんがマジで絶叫しておりましたわ・汗)

今回お食事会に連れていったら、「恐竜戦車、たかちんにしか見えない」「笑うとそっくり」と言われ、やっぱりガーン!

二十年たっても変わってないのね(苦笑)。

 

 

気づきの日記「問題は “引いて” 解決する」

 

なにか解決したい問題に直面しているとき、私たちは必死でアタマを使おうとします。どうすべきか悩みながら、四六時中アタマはフル回転。

なぜなら、小さい頃から「もっとアタマを使いなさい!」としっかり考えることを躾けられてきたからです。だから、賢い解決はアタマで考えることから生まれると信じています。

しかし、「ああでもない、こうでもない・・」と心配しながらアタマを使いつづけると、身もココロもかなり消耗することに気つくと思います。ヘトヘトになり、悪くすると体調を崩してしまいます。

それは、アタマはクヨクヨ、あれこれ悩むための器官ではないからなのです。クヨクヨすることで、アタマは不自然な使われ方をし、かなりの負荷がかかり、ブレイクダウン寸前になります。

アタマは作業の手順を考えたり、するべきことの段取りを組んだるするために使うツールなのです(目的地に9時までに到着したいのなら、何時に起きて何時に家を出ればいいの? というように事務的なことを考えてくれます)。

アタマのなかで問題をあれこれ考えることで、問題は私物化され、私物化されることで自分の癒されていない感情(怖れや欲望や期待)をそこに投影する(くっつける)ことになり、問題に対する感情的な反応が強くなり、問題そのものよりもその感情に反応したり抵抗したりし、問題の焦点がずれてしまいます。

また癒されていない感情に反応することで、そこに過剰な注意が注がれ、問題が肥大化し、ずっと維持されるようになってしまうのです。

そうならないために、問題から離脱いたしましょう。

「離脱する??」・・・それは、ずぶずぶ問題に浸りきっていた自分が、問題から退いて、離れて、引いてフカンして観る、ということ。ひとりの個人としてそれを見ない、ということです。

*まずアタマのなかで繰り広げられているお喋りに気づいて、静まってみましょう(お喋りが繰り広げられていることに気づくだけで、静かになってきます)。

**そして引きのレンズのようにそこから退いて、起こっていること全体に気づくようにしてみます。

かかわっている人の反応や行動。自分自身の反応(怖れ、焦り、期待、願望、もくろみ、損得など)にも客観的に気づいてみます。

***この状況にかかわる人やそこで起きていることをすべてをふかんして見ることで、個人を離れて全体となります。自分という存在のなかにあるその問題をあるがままに味わい愛でてみましょう。

そうすることで、これらは自分という存在のなかにやがて静かに消え去ってゆくことができます。

このように自分という個人から離れて全体になることで、すでにそこに存在している叡智による浄化が可能になります。

何もせき止めるようなもの(感情や願望)が存在しないので、すべては自然な道筋で流れはじめ、完全な形をなし、すべての人にとっていちばんよい形で整えられることになります。

後ろに引いて、退いて、全体をふかんする目になって、静かにくつろいで見ていましょう。

これが受け入れることであり、明け渡すことであり、答えを受け入れることなのです。

 

 

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秋もすっかりふかまり・・・

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朝晩の気温がぐっと下がり、遠くの山並みがながめ渡せるようになってきました。

夕方には、きれいなグラデーションの空に富士山のシルエットが。

街は恵比寿神社の秋祭りで、いつものお散歩コースが大渋滞。

夜店には長い行列ができていました。

そうですよね。三年ぶりぐらい? みんな待ちに待ったお祭りですものね。

にぎわいのエネルギーを久しぶりに感じてわくわくいたしました。

 

 

 

秋のおいしいお味噌汁♡

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いつまでもつづく夏がようやく終わったかと思ったら、こんどはダラダラと秋の長雨。

ようやく昨日、今日とお陽さまが顔を出しましたが、今月はほぼずっと雨降りだったのですね。おかげで、室内の観葉植物は日照不足で息たえだえです。

ホットカーペットを出しました、とか、羽布団干しました、とか冬じたくのたよりを耳にします。

私はお友だちがお味噌を送ってくださったので、がぜんお味噌汁作りに萌えています(夏のあいだは、暑くって出汁などとってる場合か!、という感じでしたが・苦笑)。

秋になると丁寧にお出汁をとって、おいしいお味噌汁がいただきたくなります。朝も、トーストとお味噌汁♪

ふだんは何種類かのお味噌をブレンドするのですが、お友だちに麦味噌をいただいてから素朴な味わいの大ファンになり、取り寄せていただいています。

今回は、お友だちが郡上味噌という山梨のお味噌もおすそわけしてくださったので、こちらも楽しみ〜♪

めっちゃ食欲の秋、驀進中です (^-^)

 

 

気づきの日記「静けさが答えてくれる」

 

私たちが怖れを感じているとき、

何かが自分に対してふりかかってくるように感じています。つまり、ある状況が自分の外側から自分に対してやってくるように感じられるのです。

苦難にしろ、病にしろ、困窮にしろ ・・・ 自分はいつもその状況に見舞われる被害者なのです。

しかし、ほんとうはそうではありません。

怖れを感じているときはいつでも、アタマのなかで紡いでいる自作のストーリーこそに脅されているのです。コワいのはそのストーリーのベースとなっている自分の考えです。

私たちはその自作のストーリーを信奉しすぎるあまり、それは自分が勝手に紡いだものであり、なんの根拠もなく、まったく真実ではない、ということがわからなくなっています。

私たちは自分の考え(でっちあげ)については、疑う姿勢をもちません。ハタから見てどんなにマトはずれであろうとも、自分のものだからこそ大切にしてしまうのです。

そして、それがドラマチックでかつ悲惨的であればあるほど、こころのすべてのエネルギーを傾け、片ときも忘れまいとこころに保ちます。

こんなに愛しちゃったのだからこそ、自分にとってはまぎれもなく真実となっているのですが・・・。

自分のアタマはこの自作のストーリーでいつもぱつぱつなので、何が目に映ろうともこの自作のストーリー展開に加担させてしまうのです。

すべて自分のストーリーに巻きこんで、うまくつじつまをあわせてしまいます。

そうなると、どんなにヨイことが起きていようとも、明るい方法に向かっていようとも、すべてを自分色の悲惨にぬりかえてしまうのです。こころはいつも、自分が信じたことには恐るべきパワーを発揮するからです。

そして、自分が紡ぐ悲劇のストーリーはどんどん成長し完璧になってゆきます。

けれど、しょせんストーリーはストーリー。真実とストーリーは違うのです。

ストーリーはほんとうのことのように感じますが、ただのでっちあげの妄想。絵空事にすぎません(架空の妄想にちぢみあがる私たちっていったい・・・?!汗)。

自分のアタマのなかで妄想ストーリーを紡ぐことをしなければ、そこにはただまっさらなあるがままの平和があります。

それはそのまま流れてゆき、おのずと完全な形をなしてゆきます。

せき止めたり、コントロールしようとしたり、ねじ曲げたりしなければ、自動的にいちばん省エネでラクなルートをスルスルと通りぬけ、行くべきところ(幸せ)へと行きつくのです。

それこそが、すべてのなかに存在する叡智のなせるわざ。

エゴ的な思いでものごとにふれることをしなければ、それは手だしせずともすべてをなしてくれるのです。

でも、その完全さが見えない?わからない? ・・・ それはすでに、自分で結末やプロセスうんぬんを決めてしまっているので、起きていることがそこにあてはまらないように感じているだけです。たんにエゴの戦略にあっていないだけなのです。

ただ手ばなすとことをすると、いつもびっくりさせられます。

こころはまだ疑って怖れを感じていても、とにかくゆだねよう!とすべてから手をひいていると、あるとき「えっっっ?!そうくる?」とビックリするすることになります。それは、自分の予測、計画、思いつきのすべてを超えるストーリー展開だったりするのです。

そして、もちろんそれを気に入らないはずがありません。

コワくても手ばなす練習をつづけていくうちに、この「えっっっ?!」という予想外の完全さをくりかえし体験するようになり、今起っているプロセスへの信頼が深まっていきます。

「私の策略はなんの役にもたたない」「私の考えは怖れをベースに紡がれているから、たんに完全さの邪魔をしているだけなんだ」「すべては手をはなしたとたんに転がりだす」「そして結末は、私はもちろん、かかわる全員にとって恩恵のあるものになる」

「私にできるのは、ただこの流れに指一本ふれずに静かに退いていること」

そして、この信頼からくる平和なこころこそが、本来の自分のなかにあるひかりを広げ、そのひかりのなかで目にするすべてを輝かせてくれます。

だからいつだって、平和な世界は自分のこころ・思いこそがすべてなのです。

アタマはいつも瞬時に判断を下そうとしますが、裁きを手ばなしただ静かに見ている存在になることで、自分の世界に存在していた戦いが静まります。

裁きの思い、判断こそが、自分の目にするものにケンカを売って、その敵意がはねかえってくることで自分のこころを傷つけていたのでした。

戦いの気持ちがなくなれば、はねかえりもなく、自分にとっての世界は平和に静まります。

ついついしてしまいたくなる間違い探しや比較、裁きを手ばなして、すべてをただそのままにしておきましょう。ただ流れゆくものとして流してあげましょう。

ストーリー(セリフ)はすべて手ばなして、アタマをからっぽに鎮めて、起こることをそのままにしてあげましょう。

裁きもなくカラッポにされた空間には、自分本来の安らぎであるひかりが広がります。そして、そのひかりこそがすべてを浄化し美しくしてくれるのです。

静かにすれば、ひかりの中でおのずと答えが展開してゆきます。自分のなかの叡智が静かにリーダーシップをとります。

それには間違い、というものはありません。ただあるがままで大丈夫なことこそが、私たちがいつも守られ大きなちちからに慈しまれている証なのです。

もしその途中で怖れを感じることがあるのなら、それは自分のものではない怖れが浮上してきただけです。ただ受けとめて、感じて、終わりにしましょう。自分でストーリーを紡げなくなったエゴが縮みあがって叫んでいるのですから。

エゴはいつも、結局は苦しみを生みだすことしか提案してこなかったのです。すみやかに去ってもらいましょう。

私たちの思い(考え=エゴ)は決して正しくない、ということです。

こころに抑圧されていた罪悪感や怖れのせいで、なんとか自分が罰(苦しみ)を受けずにすむように、必死で策略してあがいていたのが「あれこれの思考」だったのです。

けれど私たちの高い自己であるハイヤーセルフは、そんな私たちの怯えたこころも見越して、

「ただすべてから手を引いていてください。あなたの一歩一歩を安全に導きましょう。そして、あなたの自分に対する間違ったイメージ(罪悪感や怖れ)もまとめて手ばなせるように面倒をみましょう」と言ってくれています。

だから、今することはひとつだけ! ただ信頼して、後ろに退いて、手だしをすることなく、ゆったりくつろいで、「これっていったい、どうなるのかな〜?楽しみ♪」という気持ちですべてを見守っていましょう。

おまかせしておけば大丈夫! からなず、自分(エゴ)が思っていたよりもはるか上に連れていってもらえます(自分でするよりも、もっといいところに!)。

ハイヤーセルフにすべてをゆだねる気持ちをもつことで、傷をおうことなく、ひとつひとつにおいて守られ導かれていることをこころの底から知ることができるようになるでしょう☆

 

 

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お茶の間シネマトーク「セッション」

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米国最高峰の音楽院に入学したばかりのアンドリュー・ニーマンくん。彼はジャズ ドラマーとして偉大になることを夢見ています。

幸いにも著名な教師フレッチャーのもと、バンドに参加することが許されたのですが ・・・ そこでアンドリューくんは想像を絶する地獄を見ることになります。

教師からのハラスメントなんてものではありません。まるで「愛と青春の旅立ち」や「フルメタルジャケット」の鬼教官を彷彿とさせる血も涙もない拷問のようなシゴキそのもの。ここは軍隊?!

言葉の暴力は生徒自身のことのみならず、親や生まれのことにまで及び、さらにビンタは飛ぶは、ドラムやシンバル、椅子までも飛んでくるしまつ(わあ〜!この人、サイコパス?!)。

しまいには、アンドリューくんのドラムをたたく手は血まみれに・・・。(→予告をみる

人は自分の言動がどのようなものであろうとも、自分がそのときに最善だと信じていることを言ったり行ったりするものです(はたから見たら、それが狂気であったとしても)。

この教師は、自分が見こんだ生徒に対しては徹底的に貶めて、屈辱を与えて、心身ともにボロボロにすることこそが成長の動機となると固く信じています。

「次のチャーリー・パーカーはなにがあっても挫折しない」とフレッチャー。自分の使命は、生徒たちを期待以上の高みに引き上げること。それも自分が信じた方法で。

だから、それらは決してイジメや暴力ではなく、彼にとっては最善であり、生徒への愛そのものなのです(丸々信じたら、それがその人にとっては真実ですね・汗)。

しかし、こんなことが学校で問題にならないはずもなく・・・やがて傷ついたアンドリューくんも教師のフレッチャーもともに学校を去ることになるのですが、それが終わりではありませんでした・・・・(きゃあ〜☆コワ!)。

ふだんはあまり目がいくことはなかったのですが、ドラムスってたいへん〜〜〜! 演奏家というよりもアスリートです!

生徒役のマイルズ・テラーさんはドラム未経験者にもかかわらず、ほぼスタントなしで演じきったそうですが、まさに狂気の演奏です。

ずっとドキドキですが、私はこのエンディングのあとこそがすごく気になりました。

 

 

時をこえた音楽の館

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「ランチをしたあと行きたい喫茶店があるんだ」と言われ、

喫茶店?! カフェじゃなくって、あえて喫茶店っていうことは ・・・ クリームソーダやナポリタンがある昔ながらの純喫茶か、はたまた初老のマスターが一杯づつ丁寧にサイフォンやネルドリップでいれてくれるこだわりのお店か ・・・?

どっちも違っていました。「名曲喫茶」だったのです。

名曲喫茶とは、珈琲などを楽しみながらレコードから流れてくる音楽に静かに耳を傾けるお店。

新宿にはまだあると聞いていましたが、渋谷にもあったのですね。

見てください! この外観。名曲喫茶ライオンといいます。

(撮影:MM氏)

なんと、創業1926年だそう(おおよそ100年まえ!)。一回戦火で消失したそうですが、それでも再びつづけられたのですね。

当時はステレオでさまざまな名曲を自由に聴くことはむずかしかったと思うので、このお店は名曲と珈琲のある贅沢な空間だったことでしょう。

お店のプログラムには、「帝都随一を誇るステレオ音響完備」とあります。「帝都」という単語が年代を感じさせます。

お店のなかは撮影禁止なのですが、壁一面に巨大なスピーカーがあり、当時からのレコードプレーヤーも置いてあります。

きらめく古いシャンデリアや木でできたゴシック風の柱を見ていると、ここで過ごした人々の雰囲気や流れた数々の音楽が肌で感じられるようです。

ここのシステムはどうなっているのかわからなかってのですが、コーヒーを持ってきてくださったおにいさんに「リクエストなんてできたりするんですか?」と尋ねてみたら、「はい」と言われ、

「どうやって?」と再び尋ねると、「口頭で」と。

では!と、すかさずリクエストを口頭で伝えました。

この日は冷たい雨降りだったので、青空と広がりと風が感じられる曲が聞きたくて、「じゃあ、ラフマニノフのパガニーニの主題によるラプソディの18を」とお願いすると、おにいさんは題名を復唱することもなく静かに「はい」と答えると去ってゆきました。

この日のお店のプログラムはバルトークだったので、先客のリクエストとバルトークがかかったあとに、曲目と演奏者の紹介があって私のリクエストがかかりました。

お店いっぱいに広がる重厚なレコードの音色。大好きなルービンシュタインの演奏で嬉しくなりました。

お店にアルバイト募集のはり紙があったそうですが、クラッシックからグレゴリオ聖歌まで網羅する知識があり、瞬時にレコードをピックアップするためには相当な経験が必要そうです。店員のおにーさん、すご〜〜〜い☆

びっしりと収納されたレコードは毎日出し入れされたせいで、すっかりジャケットがすりきれていました。

ひさしぶりにレコードからの音色を聴きましたが、CDにくらべてしっかりと重さや奥行き、広がりがあるように感じ、こころに沁み入るようでした。

思わぬステキな体験ができました。お誘い、ありがとうございました。楽しかった♪

 

 

気づきの日記「タロットにハマってる?!」

 

その月々によって、いらっしゃるクライエントさんに特徴があったりします。

男性ばかりの月もあれば、ご相談者がオール28歳とか、相談内容がオール「浮気」などなど。クライエントさん同士が申しあわせたの?! と疑いたくなるほどシンクロしていたりするのです。

9月は ・・・ みごとに「タロット」月間でした。

いらっしゃるクライエントさんが口々に同じことをおっしゃるのです。「最近、YouTube のタロットに中毒的にハマっていて、やっているうちに身も心も具合が悪くなってきました・・・」と。

YouTubeでさまざまな動画が見られるようになり、タロット占いもわざわざ占い師さんを訪ねなくとも簡単にできるようになったのですね。

あまりにも手軽にできるので、ちょくちょくのぞいているうちにすっかり依存状態になり、占いの結果を見てはいちいちザワザワする・・・と。

タロットじたいはまったく害のあるものではありませんが、大切なのはその使い方です。出てくる札には不吉な雰囲気のものもあるので、どのように解釈するのかが大切になってきます。

そして、タロットに依存してしまう心理とは・・・ それは、過去に思い残しがあるため、現在がもの足りなく感じ、じゃあ未来はいったいどうなのよ?!少しは変われる? と未来ばかりに期待してしまうのです。

タロットはそのときの自分のこころを投影しているだけなので、いくらひきつづけてもこころを変えることはできません。むしろ、タロットを見て、今の状態に気づき、ではどう対処するのか、が大切になってくるのです。

タロットをひきながら未来を気にすれば気にするほど、たった「今」という自分が真に存在している時間軸からパワーが失われてしまいます。

未来は存在していないので、そこにいくらパワーを注ごうとしてもパワーは帳消しになってしまいます。

私たちがいるべき時間軸は唯一存在する「今」だけで、ここにこそすべてに変化を起こすためのカギが存在するのです。

過去を悔やんだり未来を心配することは、すっかり「今」がお留守になるので、まさに「今」から力が失われ、すっかり消耗しきってしまうのです。

そして、何度未来を心配しても、そこには変化を起こす手がかりは存在しません。

こころにとっていちばん健康なことは、しっかりと「今」に足をふんばること。

でも、「今」にいると不安や感じたくない感情に出くわす、ということもありえます。

そのときはまさに、今のこころをお掃除してくださいね、いらない感情を認めて、素直に手放し、安らかにすっぽりと「今」に向きあえるようにしてくださいね、というメッセージなのです。

「今」にいたくない理由を認めて、それを手放してあげる必要があるだけです。

そして、いらないものを手放したら、まったく怖れとは無関係の真の自分を思い出すことができるように、高い意識(ハイヤーセルフ)の力をかりましょう。

変化は真に存在する時間軸「今」のなかでしか起こすことができません。

存在しない過去や未来にとらわれることなく、しっかりと「今」に向きあって、ここから確実な変化を起こしましょう。

たった「今」、自分のこころが誤作動して起こしている間違い(後悔、罪悪感、無価値観、虚無感・・・)を修正することによって、すべてが変化してゆきます。それぐらい「今」にあるこころにはパワーがあります。

そして、タロットでどんなカードが出たとしても、こわがらなくって大丈夫です。

なぜなら、エゴが紡ぎ出す残酷なストーリーでは「死神」やらこわいカードが不吉なことを伝えていましたが、今や私たちは自分を完璧に守ってくれるハイヤーセルフの光のなかで安らいでいます。

ハイヤーセルフはそんなこわいカードさえも、いちばんステキな贈ものへと魔法をかけて見せてくれるのです。

そのためには、しっかりと「それが見たい」と伝えてみましょう。

タロットのカードはなにが出ても大丈夫! ハイヤーセルフとともに見て、ステキな贈ものを受けとる機会にしましょう♪

 

 

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